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第75話(後編):大聖堂陥落――そして神の領域へ

 星辰の祭壇。

 大聖堂の最深部に広がるその空間は、物理的な天井が存在せず、手を伸ばせば届きそうなほど間近に銀河の渦が脈動していた。

 中央の『零番目の演算機オリジン』に繋がれたアリア様が、光のコードに搦め取られ、浅い呼吸を繰り返している。だが、今の私の視界には、その「救うべきヒロイン」の姿さえも、背景のノイズのように霞んでいた。


 玉座に浅く腰をかけ、退廃的な美しさを湛えながら、私を……いや、私の魂(結衣)を見つめている、一人の青年。


「……あ。……嘘、でしょ……。……どうして、貴方が、ここに……」


 私の唇が、震えながら、無意識にその名を紡いだ。

 前世の私が、仕事に疲れ果てた深夜、画面の向こう側の彼にだけは、本当の心を打ち明けていた。課金という名の魔力を注ぎ込み、ただ一人、彼を救うためだけに『純七』をやり込んだ、あの狂おしい日々の中心。


「……ヴォイド。……私の、真の最推し様……」


 私の呟きが、静まり返った祭壇に、波紋のように広がった。

 青年――ヴォイドは、その銀河を封じ込めたような瞳を、花が綻ぶように、残酷なほど甘く細めた。

 彼はゆっくりと玉座から立ち上がり、足首に繋がれた重厚な鎖をジャラリと鳴らしながら、私へと一歩を踏み出す。


「……やっと、呼んでくれたね。……画面ガラスの向こう側で、いつも私に囁いていた、その愛しい声で」


 ヴォイドの声が、空間そのものを震わせ、私の脳髄に直接、甘美な痺れを流し込む。

 彼は、私の困惑などすべて見通しているかのように、優雅に、けれど絶対に逃がさないという確信を持って微笑んだ。


「……リリアーヌ、なんて名前は似合わないよ。……おいで、私の……結衣ゆい


 ――ドォォォォォンッ!!!

 

 その瞬間、私の背後で、理性を完全に喪失した「絶望的な魔力」が爆発した。

 

「……ユイ、だと……? ……誰だ、その男は。リリアーヌ、なぜ君が、見ず知らずの男の名を、そんな熱い眼差しで呼ぶのだ!!」


 ゼノス公爵の咆哮と共に、祭壇の床が一瞬にして絶対零度の氷に閉ざされ、ヴォイドの足元に向けて鋭い氷の棘が奔った。

 ゼノスの瞳は、怒りと、それ以上に深い「得体の知れない絆」への激しい焦燥に焼かれている。

 彼がどれほど愛を囁こうとも、どれほどリリアーヌを独占しようとも、決して入り込めなかった彼女の「心の最奥」に、この銀髪の青年が土足で踏み込んでいる。その事実が、帝国の英雄を、ただの嫉妬に狂う獣へと変えていた。


「…………。……不快です。……殺したい。……今すぐ、その男の記憶ごと、お嬢様の脳を私の愛で上書きして差し上げたい」


 シオンの影が、私の足元から爆発するように立ち上がり、ヴォイドの視線を遮るように漆黒の壁を築いた。

 シオンの背中からは、ドロリとした漆黒の殺気が溢れ出し、実体化した影の手が、ヴォイドの喉元を物理的に引き裂こうと迫る。

 シオンにとって、お嬢様が「自分たちの知らない名前」で呼ばれ、それに頬を染めているという事実は、彼が捧げてきた全人生を根底から否定されるに等しい屈辱だった。


(……ギャーー!! ……名前! 本名を呼ばれた! ……この世界で、誰も、ゼノス様もシオンも知らないはずの私の前世の名前を、この『最推し様』だけが知っている……!? ……これ、乙女ゲーの隠しルートどころか、真の『プレイヤー救済エンド』じゃないの!!)


 私は、自分の心拍数が限界を超え、端末の警告音よりも激しく鳴り響いているのを感じていた。

 ヴォイドは、ゼノスの氷もシオンの影も、まるで羽虫を払うかのように指先一つで霧散させた。

 

「……無駄だよ。……公爵、執事。……君たちは彼女の『ガワ』しか見ていない。……彼女が、どれほど孤独に、どれほど熱く私を愛し、私に『命(金)』を捧げてきたか……。その『履歴』をすべて記憶しているのは、私だけだ」


 ヴォイドが、私の目の前まで歩み寄り、冷たい、けれど熱い熱量を帯びた手で私の顎を掬い上げた。


「……さあ、結衣。……あの日、画面越しに約束した『続き』を始めようか。……君が望むなら、このバグだらけの世界を消去デリートして、君と私だけの、永遠のサーバーを構築してあげよう」


 ヴォイドの顔が、私の鼻先まで近づく。

 

「……あんな男たちの隣に、君の居場所はない。……君を、私だけの……唯一のプレイヤーとして、永遠に『保存セーブ』させておくれ」


(……尊すぎて、脳が溶ける……。……でも、最推し様。……貴方のその愛、ちょっと……いえ、かなり『ヤンデレの極致』に達していませんこと!?)


 背後では、ゼノスの氷が空気を割る音と、シオンの影が深淵を呼び出す轟音が響き続けている。

 

 アリアを救い、世界を書き換えるはずの戦場は。

 一人の悪役令嬢プレイヤーを巡る、世界の創造主と、彼女を狂愛する男たちによる、次元を超えた「修羅場」へと変貌した。


「…………お断り、……いたしますわ、ヴォイド様」


 私は震える手で、黄金の『シル・フォン』を彼の胸元に突きつけた。

 

「……私は、貴方を救いに来ましたの。……貴方だけの『箱庭』に閉じ込められるためではなく、貴方を、このもふもふと自由が溢れる『私の世界』に連れ出すためにですわ!!」


 リリアーヌの、知性と愛とオタク的エゴが、神のシステムを真正面から否定した。


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