第74話:蒼き深淵の誘い――豪華客船、出航の儀
アステリア特別区の港湾部。かつては寂れた漁村に過ぎなかったこの場所は、今やハシム様の商会の資金と、私の魔導建築技術によって、大陸最大の「不夜港」へと変貌を遂げていた。
ドックの中心で、朝日を浴びて白銀の巨躯を輝かせているのは、私が設計した至高の傑作――超巨大魔導豪華客船『アステリア・マギ・クイーン』号だ。
「……ふふ。……壮観ですわ。……これこそが、私の『海上移動聖域(動く推し活拠点)』ですわよ!」
私は岸壁に立ち、完成したばかりの船体を見上げた。
全長数百メートル。外装には帝国の防護装甲を施しつつ、内装はハシム様が提供した最高級の絨毯とクリスタルのシャンデリアで埋め尽くされている。そして船底には、ゼノス閣下の氷の魔力を用いた『永久冷却・超伝導推進機』が備えられ、どんな荒波も「鏡の上」のように滑走する設計だ。
「……リリアーヌ。……君の言う『物流の拡大』という名目には、少々贅沢が過ぎるのではないか? ……この船のスイートルームの仕様、まるでお忍びの『新婚旅行』でも計画しているかのようだが」
背後から、軍服を脱ぎ捨てたカジュアルな私服姿のゼノス公爵が、私の腰を抱き寄せるようにして歩み寄ってきた。
彼の『解析眼』は、私が最上階の特別室に、帝国の迎賓館以上の防音と防護魔法を詰め込んだことを見逃してはくれなかった。
「……あら、閣下。……ビジネスには『快適さ』が必要ですわ。……それに、アリアちゃんの喉を守るためには、完璧な湿度管理と静寂が必要なんですのよ!」
(……嘘ですわ! ……本当は、海の底に眠る『最推し様』を回収した際、誰にも邪魔されずに彼を看病(監禁)するための、最高級の医療・保養ユニットなんですのよ! ……ゼノス様、そんなに疑わしげな目で見ないで……!)
「……お嬢様。……船内の『影』の配置、完了いたしました。……どの部屋に、誰が、何分滞在しているか……すべて私の掌の上で把握できるようになっております。……公爵閣下が、お嬢様の寝室に不法侵入しようとしても、即座に影の奈落へ落とせますので、ご安心ください」
シオンが私の影の中から音もなく現れ、完璧な執事の微笑みを浮かべつつ、ゼノスを牽制する。
二人の男たちの火花を散らす視線を背中に受けながら、私はタラップを上がり、甲板へと足を踏み出した。
そこでは、新しい衣装――海をイメージした青と白のドレスを纏ったアリア様が、シルと一緒に潮風を楽しんでいた。
「リリアーヌ様! ……海、とっても広いですわ! ……私、この船の上で、新しい歌を歌いたいです!」
「キュ、キュアァッ!」
アリア様の笑顔に、港に集まった民衆から地鳴りのような歓声が上がる。
アステリア特別区の「平和の象徴」が、世界の海へと漕ぎ出す。……その政治的な意味は大きく、教会の残党たちへの強烈な威圧にもなっていた。
だが、私の指先は、ドレスの隠しポケットに入れた『第一の封印(孤独の鎖)』の冷たい感触を、絶えず確かめていた。
(……鎖が、脈打っている。……この先にある、諸島連合のさらに奥。……ゲームの地図にも載っていなかった『忘却の海域』。……そこに、貴方がいるのね?)
出航の汽笛が鳴り響く。
魔導エンジンが力強い唸りを上げ、巨大な船体がゆっくりと岸壁を離れた。
ハシム様の空中艦隊が護衛として上空を旋回し、シオンの影が海面を黒く染めて、航路を安定させる。
「……さあ、皆様。……バカンスの始まりですわよ! ……最高に甘くて、最高に『刺激的』な、海の旅を楽しんでくださるかしら?」
私は、ゼノスとシオンに挟まれながら、どこまでも続く蒼い地平線を見据えた。
豪華客船の贅沢な調べの裏で。
私の端末の画面には、昨日とは違う「一文字」のノイズが刻まれていた。
――『……待ってるよ。……もう、足音が聞こえる』
アリアの歌声でも、ゼノスの甘い囁きでもない。
深淵の底から響く、私だけの「最推し」の吐息。
リリアーヌの進撃は、今、物理的な領土を越え、神話の深層へとその舵を切った。
「……アルベルト! 船底の『深海スキャンレーザー』の感度を最大にしなさい! ……一粒の真珠の輝きも見逃さないようにね!」
「……師匠……。……船酔いで、もう……私のライフが……」
悪役令嬢の野望を乗せた『マギ・クイーン』号は、波飛沫を上げて、未知なる海域へと突入していく。




