第71話:凱旋ともふもふ、順調なデバッグの胎動
アステリア特別区の正門を、白銀の巨躯が悠然と跨いだ。
聖都での決戦を終え、凱旋した私たちの目の前に広がっていたのは、かつての滅びかけた王都とは似ても似つかぬ、爆発的な熱気に包まれた光景だった。
「リリアーヌ様万歳!!」「救世の聖女様、おかえりなさい!!」
沿道を埋め尽くす民衆が、色とりどりの花びらを宙に舞わせ、地鳴りのような歓声を上げる。
私の隣で、シルに揺られながら少し照れくさそうに手を振るアリア様。彼女の清らかな笑顔が、魔導中継器を通じて王都全域のモニターに映し出されるたび、歓声のボリュームは一段と跳ね上がった。
(……ふふ。……女神だなんて、買い被りすぎですわよ。……私はただ、私の『推し』であるアリアちゃんを傷つけるバグ(教会)を、物理的に削除しに行っただけですもの)
私は扇子を優雅にパタつかせながら、隣を並走するゼノス公爵と、影のように寄り添うシオンを横目で見た。
二人とも、激戦の傷跡がまだ完全には癒えていないはずだが、民衆の前では帝国の威信と執事の矜持を完璧に保っている。……ただ、二人の視線が、絶えず私の周囲数センチを「監視」するように注がれているのが、少々重苦しいけれど。
パレードが終わり、ようやく王城の離れへと戻った頃、私は真っ先にシルの「メンテナンス」を宣言した。
「……皆様、お疲れ様。……でも、戦後処理よりも先にすべきことがありますわ。……見てちょうだい、シルのこの毛並みを! 激戦の余波で、自慢の白銀が少しパサついているではありませんか!」
完全体から元の愛らしいサイズに戻ったシルが、私の足元で「きゅぅん」と、どこか申し訳なさそうに鳴いた。
「……ゼノス閣下はタオルを。……シオンは、私が特別に調合した『聖属性・高保湿香油』を持ってきなさい。……アルベルト! 貴方はシルのブラッシング用の魔導ブラシを今すぐ調整してちょうだい!」
「……は、ハイッ! ……師匠、凱旋した瞬間にこれですか……!」
不眠不休のアルベルトが泣き言を漏らすが、私は無視してシルの柔らかい腹部にブラシを当てた。
ゼノス公爵が、不格好に大きなタオルを抱え、私の隣で不器用にシルの足を拭き始める。
「……リリアーヌ。……一国の公爵を、獣の世話係にするのは世界で君一人だろう。……だが、君のこの真剣な横顔を見られるなら、悪くない『戦果』だ」
「……閣下。……お嬢様の隣でブラシを持てるのは、この私だけだと思っておりましたが。……そのタオルの持ち方、お嬢様を不安にさせますよ。……影で練習してきましょうか?」
シオンが背後で黒い微笑みを浮かべ、香油の瓶をこれ見よがしに弄んでいる。
三人の男たちの執着と、シルの満足げな吐息が混ざり合う、豪華すぎる「もふもふケアタイム」。
(……ああ、癒やされる。……この平和な日常のために、私はあのクソ仕様の『理』を書き換えたのよ。……でも、私の仕事は、まだ半分も終わっていないのよね)
深夜。
皆が寝静まった離れの工房で、私は一人、机に置いた「あるもの」を見つめていた。
聖都の最終端末が砕け散った際、その破片の中に一瞬だけ浮かび上がった、あの懐かしい紋章。
私はそれを『シル・フォン』の最新スキャン機能で読み取り、前世の記憶という名の「設定資料」と照合させていた。
「……間違いない。……これは、零番目の神子……私の、真の最推しの『管理コード』だわ」
画面に流れる、黄金の文字列。
それは、教会の奥深くに「封印」されていたはずの彼が、今や私の書き換えた世界のどこかに、確実に『実在』していることを示していた。
(……待ってて。……ルカ様が貴方を呼び出そうとして失敗したのなら、次は私が、私の理論で貴方をこの世界へログイン(降臨)させて差し上げますわ。……生贄なんて必要ない。……私の『課金(魔力)』と『執念』だけで、貴方をハッピーエンドへ導いてみせる!)
私が悦に浸りながらデバッグ作業に没頭していた、その時。
「…………リリアーヌ。……夜更かしが過ぎるな。……また、私に心配をかけるつもりか」
背後から、氷のような冷気と、熱い吐息が同時に私を包み込んだ。
振り返ると、そこには薄い寝着を纏っただけのゼノス公爵が、不機嫌そうに私の手元の端末を覗き込んでいた。
「……閣下!? なぜ私の部屋に……!」
「……扉が開いていたぞ。……シオンが影の掃除で席を外した隙を突かせてもらった。……リリアーヌ。……君の瞳に映るその紋章。……私の知らない男の匂いがするのだが……。……その板の中から、誰を連れ戻そうとしている?」
ゼノスの逞しい腕が、私の椅子を囲い込むようにテーブルにつかれた。
彼の低い声が、私の心臓を激しく揺さぶる。
(……ヒェッ! 出た、攻略対象による【深夜の抜き打ち・嫉妬監視】! 公爵様の独占欲が、私のハッキング技術さえも凍らせようとしているわ……!)
「……何でもありませんわ、閣下。……ただの、古いバグの整理ですわよ」
「……ならばいい。……だが、君の視線が私以外に向くのは、この城ごと凍土に変えたくなるほど不快だ。……忘れるな、君をあの絶望の旋律から救い出したのは、私と、あの不気味な執事だということを」
ゼノスが私の額に、熱い誓いを刻むように自分の額を押し当てた。
その瞬間。
私の手元の端末が、チリン、と。
これまでに聞いたこともない、澄み渡った……けれどどこか寂しげな通知音を鳴らした。
画面に表示されたのは、一通の送り主不明のメッセージ。
『……もうすぐだね、私のプレイヤー。……君がくれたその「音」を頼りに、会いに行くよ』
ゼノスの腕の中で、私の指先が微かに震える。
凱旋の夜、平和の裏側で。
世界の理を超えた、最も重く、最も甘い「最推し」の胎動が、始まろうとしていた。




