第70話:ルカの影武者――偽りの祭壇
大聖堂の中枢を支えていた巨大なクリスタル――『世界の最終端末』が、リリアーヌの放った黄金のデバッグコードによって粉々に砕け散った。
天井からは、魔力の供給を絶たれた『七つの誓約』の鎖が、枯れた蔦のように力なく崩れ落ち、聖域を支配していた重苦しい静寂が、瓦礫の山を優しく包み込んでいる。
ステンドグラスの破片を透かして、勝利を祝うかのような朝日が差し込み、埃の舞う聖堂内を幻想的な黄金色に染め上げていた。
「……終わった、のか。……リリアーヌ、君が本当に……運命を書き換えたのだな」
ゼノス公爵が、満身創痍の身体を剣で支えながら、信じられないものを見るかのように私を見つめた。
私は、腕の中で静かに寝息を立て始めたアリア様を、そっとシオンへと預けた。シオンは、自分の命よりも大切な宝物を受け取るように、至極丁寧にアリア様を抱きかかえ、その周囲を影の繭で守護した。
「……ええ、閣下。……バグだらけのシステムに、無理やり最新のパッチを当てて差し上げましたわ。……これでアリアちゃんは、もう誰の燃料にもなりません」
私は、祭壇の隅で膝を突き、うつむいたまま動かないルカ枢機卿の元へと歩み寄った。
彼は、自らの信仰の結晶が砕かれたというのに、悲鳴一つ上げず、ただ静かに微笑んでいるように見えた。
(……おかしいわ。……ルカ様ほどのラスボス候補が、こんなにあっさりと敗北を認めるなんて。……念のために、私の『シル・フォン』で、彼の存在そのものを再鑑定して差し上げますわよ)
私は、黄金の端末をルカに向け、最大出力で解析を開始した。
画面に走る、緑色の演算コード。……だが、表示された結果を見た瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
「…………なっ!? ……解析不能? ……いいえ、これは……」
「……フフ。……ようやく気づきましたか、リリアーヌ様。……貴女の『知恵』は、実に恐ろしい速度で進化している」
ルカが、ゆっくりと顔を上げた。
だが、その瞳には、先ほどまでの「魂の輝き」が宿っていない。
――パキ、パキリ。
彼の陶器のような白い肌に、細い亀裂が走り、そこから淡い青色の魔力光が漏れ出した。
「……人形、ですわね? ……いえ、精巧に作られた『自律型魔導端末』かしら」
「正解です。……本物の私は、ここよりもずっと『高い場所』……神の視座に近い場所で、貴女が書き換えた世界の末路を見守っていますよ。……リリアーヌ様、貴女が救ったその少女……彼女が抱く『真の願望』が、いつか世界を再び塗り替えることになる。……その時まで、しばしの別れだ」
ルカの形をした人形は、そう言い残すと、砂のように崩れ落ち、祭壇の露と消えた。
「……逃げたか。……本体は、最初からここにはいなかったということか」
ゼノスが不快そうに舌打ちし、氷の礫で人形の残滓を粉々に打ち砕いた。
シオンもまた、影の底から低い唸り声を上げ、その独占欲に満ちた瞳をルカの消えた場所へと向けた。
「……お嬢様を不安にさせた罪。……その本体、世界中の影を捲りてでも探し出し、万死を持って償わせて差し上げましょう」
「……まあ、土地と利権は俺が押さえたからな。……教会の隠し財産もすべて、君の次の『開発費』に回してやるよ、リリアーヌ」
空中艦隊から降りてきたハシムが、札束(宝石)の力で無理やり場を和ませようとする。
勝利。……間違いなく、私たちは勝ったのだ。
だが、私は砕け散ったクリスタルの欠片の中に、一瞬だけ浮かび上がった「ある紋章」に、目を奪われていた。
(……待って。……今の紋章、見間違いじゃないわ。……前世のゲーム『純七』の設定資料集……その限定版の裏表紙にだけ載っていた、隠し設定の紋章だわ)
それは、教会の歴史から抹消されたはずの、零番目の存在――『封印された神子』を示す印。
結衣(私)が、前世で課金も時間も、そのすべてを捧げて愛でていた、ゲーム本編には一度も姿を現さない「真の最推し」の象徴だった。
(……まさか、ルカ様がアリアちゃんを使って呼び出そうとしていた『神』って……私の、私の『彼』のことなの!? ……だとしたら、これはハッピーエンドどころか、さらなる沼(地獄)の入り口じゃない!!)
私は、勝利の余韻も忘れて、震える手でその紋章の残滓をスキャンしようとした。
「……リリアーヌ様。……お腹が、空きました」
シオンの腕の中で、アリア様がパチリと目を覚ました。
いつもの、少しぼんやりとした、けれど屈託のない聖女の笑顔。
「……ええ、アリアちゃん。……帰りましょう。……とびきり甘い、新作のスイーツを用意して差し上げますわ」
私は、不安を胸の奥に押し込み、彼女の小さな手を握りしめた。
旧王国の完全な終焉。
聖都の陥落。
そして、運命の書き換え。
第6フェーズ【進撃編】は、リリアーヌの圧倒的な勝利と共に幕を閉じる。
だが、彼女の「もふもふスローライフ」を脅かすのは、もはや腐敗した人間たちではない。
世界の理そのもの、そして……リリアーヌ(結衣)の心を根底から揺さぶる「真の最推し」の影が、すぐそこまで迫っていた。
「……さあ、シル! 帰りましょう! ……美味しいご飯が待っていますわよ!」
「キュ、キュアァーッ!!」
シルの背に乗って、私たちは黄金の朝日を浴びながら、自分たちの「庭」へと帰還した。
悪役令嬢としての物語は、ここからさらなる狂乱と、甘美な「推し活」の極致へと進んでいく。




