第69話(後編):デバッグ完了――書き換えられる世界の理
精神世界の白い虚無が、私の放つ黄金の魔力によって激しく波打ち、ひび割れ始めた。
私の目の前で、小さなアリア様を縛り付けていた「黒い数式(誓約)」が、私の突き立てた黄金の羽ペン――魔導演算端末『シル・フォン・プロトタイプ』に触れた瞬間、パチパチと不吉な火花を散らして抵抗を始める。
「……リリアーヌ様。……やめて。……これを壊せば、世界は、世界を維持する燃料を失って……」
幼いアリア様が、震える声で私を制止しようとする。
だが、私はその小さな、冷たい手を、火傷しそうなほどの熱量で握りしめた。
「……甘えないで、アリアちゃん! ……世界が滅びる? ……そんなの、単なる『サーバーの容量不足』か『不効率なアルゴリズム』が原因に決まっていますわ! ……誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて、設計ミス以外の何物でもありませんわよ!」
(……そう。……前世で私が何度も見てきた、納期直前のバグまみれのコード。……この世界の『理』も、それと同じだわ。……無理やり動かしているから、誰かが犠牲にならなきゃいけない。……だったら、私が根こそぎコード(法則)を書き換えて、最適化してあげればいいだけの話!)
私は、ルカ枢機卿の幻影を背に、端末の操作画面を高速でフリックした。
「……第一から第六の誓約、一括選択。……属性、無効化。……そして、第七の誓約――『聖女の献身』。……これこそが、全てのバグの根源。……命令、永久抹消!!」
――ズゥゥゥゥン!!
精神世界が、悲鳴のような轟音と共に反転した。
ルカの幻影が、驚愕に目を見開き、形を失って崩れていく。
「……正気か、リリアーヌ様! ……神のプログラムを、一人の少女の笑顔のために……全て、無に帰すというのか!」
「……ええ! ……神様が仕事(管理)をサボっているなら、私が代わりに『もふもふ優先』の新しい世界を再構築して差し上げますわ! ……さあ、アリアちゃん、目を開けて! ……新しい世界の、最初の音を……貴女の自由な歌声を、私に聴かせてくださるかしら!」
私はアリア様を強く抱きしめ、彼女の魂に刻まれた最後の「呪い」を、私の魔力で上書きし、粉々に粉砕した。
真っ白な世界が、音を立てて崩落し、眩い黄金の光に飲み込まれていく。
――現実世界、大聖堂の最深部。
パリン、と。
アリア様を繋ぎ止めていた、巨大なクリスタル――『世界の最終端末』が、内側から弾けるように砕け散った。
「…………あ。…………あ、ああ……」
アリア様の瞳から、不気味な真紅の光が消え、いつもの、宝石のような澄んだ金色が戻ってきた。
彼女は、糸の切れた人形のように倒れ込み、私の腕の中に収まった。
その身体からは、もはや誰かを傷つけるための棘のような魔力は感じられない。ただ、一人の少女としての、温かな鼓動だけが伝わってくる。
「……お帰りなさい、アリアちゃん」
「……リリアーヌ、様……。……私、……夢を見ていたみたいです。……とても、甘くて、美味しい綿菓子の……夢を……」
アリア様が、私を見て、花が綻ぶように微笑んだ。
その瞬間、私は勝利を確信した。……教会の、神の、そして運命の、完全なる敗北だ。
「……っ、……リリアーヌ……! 無事か!」
祭壇の下で、満身創痍のゼノス公爵が立ち上がり、私に向かって駆け寄ってきた。
彼の軍服はボロボロになり、頬には痛々しい傷跡が残っている。……だが、その瞳には、自分の傷を顧みる余裕など一切ない。ただ、無事にアリアを奪還し、微笑む私への、狂おしいほどの安堵だけが宿っていた。
「……ああ、お嬢様……。……良かった。……お嬢様の魂が、あの暗闇に連れ去られたかと思いましたよ……」
シオンもまた、影の底から這い上がるようにして私の足元に跪き、私のドレスの裾を、震える手で掴んだ。
彼の影は、先ほどの死闘で限界を超え、今は淡く揺れる霧のようになっている。……それでも、彼は私の無事を確認し、歓喜に震えていた。
(……ゼノス様、シオン。……ボロボロの攻略対象たちが、私一人のために……。……ああ、この『救済完了』の空気感、乙女ゲーのグランドフィナーレ(大団円)そのものじゃない! ……あとは、この生臭坊主に引導を渡すだけね)
私は、祭壇の隅で膝を突き、信じられないものを見るかのように砕け散ったクリスタルを見つめているルカ枢機卿を見下ろした。
「……ルカ様。……システム・エラーは、修復完了しましたわ。……これからは、貴方の言う『神の理』ではなく、私の魔導理論による『最適化された世界』を楽しんでくださるかしら?」
「…………。……ハハッ、……完敗だ。……リリアーヌ様、貴女こそが、この退屈な世界の唯一の『例外』だ」
ルカが、負け惜しみではなく、どこか憑き物が落ちたような、清々しい……けれど不穏な微笑みを浮かべた。
大聖堂の外からは、ハシムの空中艦隊が鳴らす、勝利の汽笛が響き渡っている。
聖都の空に、新しい時代の、そしてリリアーヌの支配を告げる、黄金の虹が架かった。
「……さあ、帰りましょう。……シルが、お腹を空かせて待っていますわ」
私はアリア様を支えて立ち上がり、誇らしげに、そしていつものように傲慢に、大聖堂の出口へと歩き出した。
世界の理を書き換え、運命をへし折った悪役令嬢。
だが、彼女の「もふもふスローライフ」への執念は、さらなる混乱と、そして……ついに現れる「あの人」への予感と共に。




