第68話(後編):ノイズキャンセリング――推しの心へ
大聖堂を埋め尽くす、アリア様の『絶望の旋律』。
それはもはや音という概念を超え、空間そのものを震わせ、分子レベルで物質を崩壊させる破壊の波動と化していた。
右側で、ゼノス公爵が吐血しながらも氷の盾を張り直し、左側ではシオンが自らの影を削り取られながら、降り注ぐ光の矢をその身で受けている。二人の最強の男たちが、私の進む道を守るためだけに、その命の灯火を激しく燃やしていた。
「……っ、……リリアーヌ! 止まるな! ……行けッ!!」
ゼノスの悲鳴に近い怒号が、鼓膜に装着した防護デバイスを越えて脳内に響く。
私は涙を拭い、ドレスの裾を翻して、嵐の吹き荒れる祭壇へと足を踏み出した。
(……ごめんなさい、ゼノス閣下。……ごめんなさい、シオン。……貴方たちのボロボロの姿、ゲームなら間違いなく『救済エンド』確定の神スチルだわ。……でも、私はそのスチルを回収するためではなく、このバグまみれの結末を書き換えるために、ここに立っているのよ!)
私は、黄金の『シル・フォン』を両手で握り締め、アリア様が放つ破壊の波形をリアルタイムで解析し続けた。
画面には、真っ赤な警告音と共に、激しく乱高下する音波のグラフ。……不協和音。……拒絶の和音。……それは、彼女の心が「世界の理」によって無理やり書き換えられている証拠だ。
「……アリアちゃん!! ……私の、私の音を聴きなさいな!!」
私は端末のメインスイッチを、慈悲深く、けれど力強く押し込んだ。
――ピキィィィィィィン!!
私の背後、空間に浮遊していた数機の魔導スピーカーが、一斉に逆位相の魔力を放出した。
リリアーヌ式・広域『魔導ノイズキャンセリング』。
アリア様の放つ「負の旋律」に対し、全く逆の波形をぶつけることで、物理的にその破壊エネルギーを相殺し、一瞬の「静寂」を無理やり作り出す技術だ。
ドォォォォォォォォン!!!!!
音と音が激突し、大聖堂の中央で目に見えるほどの「空間の歪み」が弾け飛んだ。
一瞬、アリア様の歌が途切れる。
その隙を逃さず、私は祭壇の階段を駆け上がり、黒い鎖に縛られた彼女の手を、力一杯に掴み取った。
「……システム、干渉を確認。……外部アクセス、遮断……拒絶、拒絶……」
アリア様の瞳が、真紅の魔力で激しく明滅する。
彼女の指先から、至近距離で「殲滅の光」が放たれようとした、その時。
「キュ、キュアァァァァァァァァァッ!!!」
私の横を並走していたシルが、神々しい咆哮を上げ、その巨大な前足でアリア様を包み込むように抱き寄せた。
シルの聖なるもふもふが、アリア様の身体から溢れ出す不浄な雷を物理的に吸い込み、中和していく。
「……今ですわ、シル! ……アリアちゃん、私を見て! ……貴女を縛るコード(誓約)なんて、私が一文字残らず書き換えて差し上げますわ!!」
私はアリア様の額に自分の額を押し当て、端末を通じて、私の「精神」を彼女の意識へと直接ダイブさせた。
――ズゥゥゥゥン!!
視界が、一瞬にして真っ白な光に包まれる。
次の瞬間。
私は、冷たく、果てしなく広がる「電子の海」のような精神世界の中に立っていた。
周囲には、アステリア公爵家やエドワード王子から受けた「拒絶」の記憶が、黒い氷の欠片となって浮遊している。
その中心で。
膝を抱えて、独りぼっちで泣いている小さな少女がいた。
「……怖いよ。……私、歌いたくない。……誰かを傷つけるための道具になんて、なりたくないの……」
幼い姿をした、アリア様の真の意識。
そして、その背後で、巨大な蛇のような黒い影を従え、冷酷に微笑む男の幻影。
「……無駄ですよ、リリアーヌ様。……この子は、世界のバグを修正するための『生贄』。……貴女の汚れた手では、この純粋な絶望を拭うことはできない」
ルカ枢機卿の意識が、精神世界を侵食するように、甘く不気味な声で囁いた。
(……ルカ。……貴方のその『システム至上主義』、前世のデバッガーだった私への挑戦状と受け取ってよろしいかしら?)
私は、怯える小さなアリア様へと、一歩を踏み出した。
私の手には、端末が形を変えた「黄金の羽ペン」が握られている。
「……いいえ、ルカ様。……この子の絶望を拭うのは、私の『手』ではありません。……私がこの世界に持ち込んだ、圧倒的な『自由』という名の新しいOS(理)ですわ!」
私はアリア様の震える肩に手を置き、彼女の耳元で、かつてないほど優しく、けれど誇り高く囁いた。
「……アリアちゃん。……もう、誰かのために犠牲になる必要はありませんわ。……貴女は、私の『最推し』。……推しが泣いている世界なんて、私が歴史ごとデリート(消去)して差し上げますわよ!」
リリアーヌの指先が、アリア様の魂に刻まれた「死のプログラム」に触れる。
精神世界の空が、リリアーヌの放つ黄金の魔力によって、激しくひび割れ始めた。




