第68話(前編):絶望の歌声――殲滅の旋律
大聖堂の最深部、『至聖所』。
そこは、教会の祈りが集まる場所ではなく、世界の理を維持するために聖女の命を搾取する、巨大な魔導演算機の心臓部だった。
中心に鎮座する巨大なクリスタルから伸びた無数の黒いコードが、アリア様の細い手足、そしてその喉元にまで蛇のように絡み付いている。
「……システム、再起動。……不純物、排除。……歌を、歌わなければ……」
アリア様が、カチリ、と機械的な音を立てて顔を上げた。
彼女の金色の瞳には、もはや私を慈しむ光など一欠片も残っていない。ただ、深い深淵のような真紅の魔力が渦巻き、彼女の唇から、この世のものとは思えない「旋律」が溢れ出した。
――キィィィィィィィィィィィィン!!
それは歌ではない。……鼓膜を、そして魂を直接ヤスリで削り取るような、超高周波の精神破壊音。
広場に控えていた帝国兵たちが、悲鳴を上げる間もなく耳を押さえて崩れ落ち、教会の残党たちも自らの呪詛に呑まれて発狂し、壁に頭を打ち付け始めた。
「……くっ、……これが、聖女の力の『反転』か……! 魔力回路が、内側から引き裂かれるようだ……!」
私の隣で、ゼノス公爵が苦悶に満ちた声を漏らし、膝を突いた。
彼の強大な魔力でさえ、アリア様が放つ「存在そのものを否定する音波」の前では、霧散する雪のように脆かった。ゼノスの周囲に展開された氷の障壁が、パリン、パリンと乾いた音を立てて砕け散っていく。
「……お嬢様、下がってください……! この音は、私の影さえも物理的に消滅させようとしています……っ!」
シオンが私の前に立ち、自らの身体を覆う影を限界まで濃くして、盾になろうとしていた。
だが、シオンの指先は震え、影の縁からは不気味な黒い煙が立ち上っている。影を操る彼の精神が、アリア様の歌声によって直接「デリート(消去)」されかけているのだ。
(……ギャーー!! この絶望的なBGM……原作『純七』のバッドエンド【聖女の暴走・世界崩壊】そのものじゃない! ゼノス様もシオンも、HPがみるみる削られていく……。このままじゃ、私の『推し』が、私の『大切な人たち』を皆殺しにしてしまう……!)
私は、震える手で懐の『シル・フォン』を握り締めた。
耳元には、この日のためにアルベルトに徹夜で作らせた『精神防護ヘッドフォン』を装着している。だが、それでもアリア様の歌声は、空間を震わせて私の骨を直接鳴らしてくる。
「……ゼノス閣下! シオン! 離れなさい! ……今の彼女に、魔法の盾は逆効果ですわ!」
「……断る。……君を、この暴力的な光の中に一人で立たせるわけにはいかない」
ゼノスが、吐血しながらも私の手を強く握った。
彼の氷の魔力が、私の足元だけを凍らせて固定し、衝撃波から守る。
「……リリアーヌ。……行け。……あの子の『バグ』を直せるのは、世界で君一人だ。……後のことは、私とこの執事で食い止める」
「……ええ、その通りです、お嬢様。……お嬢様を目的地へ届けるのが、私の……生涯の務め。……この影が尽き、魂が消えようとも、お嬢様の道だけは死守してみせます!」
シオンが影を楔のように床に打ち込み、リリアーヌの進むべき一本の道を、自らの肉体を盾にして作り上げた。
光の矢が降り注ぐ。
アリア様の指先から放たれた無慈悲な殲滅の光が、ゼノスの氷を貫き、シオンの影を焼き切る。
二人の攻略対象が、ボロボロになりながらも、決して私の手を離さず、私を前へと押し出す。
(……尊すぎる。……原作では殺し合っていた二人が、今、私のためにボロボロになって……。……これが、私の選んだ、私が書き換えた『愛』の結果なのね……!)
私は、涙を拭い、高らかに叫んだ。
「……アリアちゃん!! 聴こえていますわね!? 貴女の歌声は、こんなに汚い音ではありませんわ! ……私が、貴女に本当の音を……『自由の周波数』を思い出させてあげますわよ!!」
私は、端末の最大出力を解放し、アリア様が放つ呪詛の波形をリアルタイムで解析し始めた。
画面には、真っ赤に警告を表示するエラーコードの山。
アリア様の歌声がさらに激しさを増し、大聖堂の巨大な柱が音を立てて崩落し始める。
「キュ、キュアァァァァァァッ!!!」
シルの咆哮が、かろうじて空間の崩壊を食い止める。
私は、ゼノスとシオンに背中を押されるようにして、嵐の吹き荒れる祭壇へと、一歩、また一歩と歩みを進めた。
絶望の旋律が響き渡る中、悪役令嬢は『推し』の心へとダイブするための、最後の一撃を準備する。




