第55話:枢機卿ルカの懺悔室――禁断の魔導通信
商人王ハシムによる「洋上の拉致監禁エステ」という名の強引なバカンスから、ゼノス公爵とシオンの手によって(物理的に海を割りながら)救出されて数日。
帝都ガルディナの離れには、再び平穏……という名の、執事と公爵による熾烈な「お嬢様のスケジュール奪い合い」が戻ってきていた。
「……お嬢様。ハシムの船で浴びた砂漠の香りが、まだ僅かにお髪に残っています。……今すぐ、私の調合した影の成分入りの薬湯で、その記憶ごと洗い流して差し上げましょう」
「シオン、さっきもお風呂に入ったばかりよ。……それより見て、私の新しい発明を! これこそが、この世界の民衆の『心の壁』を取り払う革命になるわ!」
私は、工房の作業台に広げた巨大な魔導水晶板を指差した。
『シル・フォン』が普及し、文字や画像の送受信が可能になった今、次なるステップは「一対多」のコミュニケーション。……すなわち、匿名で誰もが呟ける、魔法帝国版のソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の構築だ。
(……ふふ。前世の知識をフル稼働させて、魔力波長をパケット化し、中央サーバーで同期させるシステムを組んだわ。……名付けて『マギ・グラム』。これがあれば、アリアちゃんの尊い日常画像を、全世界の信者がリアルタイムで共有し、『いいね(魔力提供)』を捧げることができるのよ!)
私が悦に浸りながら深夜のデバッグ作業を行っていた、その時だった。
――チリン。
静まり返った工房に、冷たく、澄んだ鐘の音のような通知音が響いた。
まだ一般公開前、私とアルベルトしか知らないはずの極秘サーバーに、旧王国の『聖域回線』を経由した、不自然なほどに強大なアクセスが試みられていた。
「……あら? 誰かしら、私のセキュリティをこじ開けようとする不届き者は。……シオン、少し出力を上げて、逆探知してくださる?」
「……お嬢様。……この魔力の残滓。……あの、生臭い銀髪の男の匂いがしますね。……今すぐ、この通信回線ごと影の底へ沈めて、発信元の脳を焼き切って差し上げましょうか?」
シオンの瞳が、暗闇の中でドロリとした狂気を帯びて光る。
だが、私が止めるよりも早く、水晶板の画面が淡い白銀の光を放ち、そこに一人の男の姿が浮かび上がった。
真っ白な石造りの部屋。ステンドグラスから差し込む月光を背に、豪奢な法衣を纏った枢機卿ルカが、画面越しに私を見つめていた。
「……素晴らしいですね、リリアーヌ様。……貴女の作るこの『鏡』は、人の心の醜い本音を映し出す、神の試練そのもののようだ。……思わず、私の懺悔室から手を伸ばしてしまいましたよ」
ルカの声は、聴く者の精神を優しく、けれど確実に侵食するような、甘い毒を含んだ響き。
(……ルカ枢機卿! 原作『純七』における、最も油断ならないラスボス候補! 画面越しなのに、その蜂蜜色の瞳に見つめられるだけで、背筋に冷たいものが走るわ……!)
「……ルカ様。……教会の最高位にあるお方が、ハッキング……いえ、不法侵入なんて、神様もお嘆きになりますわよ?」
「……ハハッ、神は常に私の隣におわします。……リリアーヌ様、貴女のこの技術。……人々が匿名という仮面を被り、互いを監視し、欲望を曝け出す場……。……これは、既存の宗教を根底から破壊する『新世界の聖域』になり得る。……貴女は、自分がどれほど恐ろしい『果実』を育てているか、自覚していらして?」
ルカが画面越しに、スッと手を伸ばしてきた。
彼の指先が、水晶板の内側から私の頬をなぞるように動く。
「……いつか、このガラスの壁を壊して、貴女を私の祭壇へ迎え入れましょう。……アリアという『器』も、貴女という『知恵』も、すべては神の……いえ、私の所有物となるべきだ」
「……あいにくですが、ルカ様。……私は『もふもふ』と『推し』の平穏を愛する、ただの悪役令嬢ですの。……貴方の退屈な祭壇に飾られるつもりは、一ミリもございませんわ」
私が言い放った瞬間、ルカの瞳が、蜂蜜色から不気味な真紅へと変色した。
「……ふふ、強がりも美しい。……では、この『マギ・グラム』の最初の投稿は、私が捧げましょう。……『聖女を奪いし魔女に、神罰の接吻を』。……また、夢の中でお会いしましょう、リリアーヌ様」
プツン、と。
通信が途絶え、画面にはノイズだけが残された。
「…………。……シオン、今の見た?」
「……ええ、見ましたよ。……お嬢様の頬を、あの指先で汚そうとしたこと。……そして、何よりお嬢様が、あの男の言葉に一瞬だけ頬を染めたこと。……すべて、私の心臓に刻み込みました」
シオンが私の背後から回り込み、私のスマホ(シル・フォン)を、粉々に砕かんばかりの力で握りしめた。
「……お嬢様。……この板の中からお嬢様を誑かす男は、電波ごと影の底へ沈めて、永遠に『圏外』にして差し上げます。……今夜は、お嬢様の意識を上書きするために、私の愛の囁きを二十四時間体制で流し続けさせていただきますね」
(……ギャーー!! シオンのデジタル・ストーカー化が、ルカの宣戦布告によって加速しちゃったわ! 圏外って、私のインフラ技術を否定しないで……!)
私は、シオンの重すぎる愛情(拘束)から逃れるために、隣で「お腹空いた」と鳴くシルのもふもふな腹部に顔を埋めた。
新インフラ『マギ・グラム』。
それは、世界を繋ぐ希望の光となると同時に、闇の枢機卿の執着を招き寄せ、私の平穏な日々をさらに「熱く」掻き乱していくことになるのだった。




