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第54話(後編):黄金の泥パックと、商人王の執着

 商人王ハシムの旗艦『黄金の獅子』。その最上階に位置する主賓室は、波の音さえも遮断する厚い魔導防音壁に囲まれ、室内には白檀びゃくだん沈香じんこうが混ざり合った、異国の官能的な香りが満ちていた。

 私は、雲のように柔らかいシルクのクッションが敷き詰められた長椅子(エステ台)に横たわらされ、その目の前には、シャツのボタンをさらに二つほど寛がせたハシムが、至近距離で私を見下ろしていた。


「……さあ、リリアーヌ。……君の知性は、あまりに働きすぎだ。……今夜はすべてを忘れて、俺の財力が生み出す最高の『癒やし』に身を委ねろ。……この香油は、一滴で金貨十枚の値がつく代物だぞ」


 ハシムの、熱を帯びた大きな手。その節くれだった指先が、私の頬に触れようと伸びてくる。

 彼のトパーズのような瞳は、獲物を……いえ、愛おしい小鳥をかごに閉じ込めようとする、底知れぬ独占欲に燃えていた。


(……ギャーー!! 出た! 攻略対象による【逃げ場のない洋上の甘い誘惑】イベント! ハシム様の顔が良すぎて、視界が黄金色に発光してるわ……! でも、タダで癒やされるほど、私の開発者魂は安くないのよ!)


「……お待ちになって、ハシム様。……癒やされる前に、私が持参した『最新鋭・魔導超音波美顔器』と、特製の『黄金泥パック』のテストをさせてくださいまし!」


「……は?」


 ハシムが呆気に取られた瞬間、私は電光石火の早業で、トランクから銀色に輝く奇妙なデバイスを取り出した。

 

「……さあ、ハシム様。貴方のその完璧に整った褐色肌こそ、私の新製品の『実証実験体』にふさわしいわ! ……動かないで。……この超高周波振動が、毛穴の奥の不純物を一掃し、聖属性魔力を肌の深層まで届けるんですの!」


「……おい、リリアーヌ。……俺は今、君を口説いている最中なのだが……」


「口説くのは後ですわ! ……はい、口を閉じて。……黄金の泥、塗り込みますわよ!」


 私は、ハシムを椅子に押し戻すと(物理的に固定し)、彼の顔面に最高級の金粉を混ぜ込んだ「泥パック」を豪快に塗りたくった。

 

 世界を買い取ると豪語する商人王が、顔中を金色の泥でベタベタにされ、魔導美顔器のブーンという振動音に身を委ねる。……シュール極まりない光景だが、私の指先は「データの収集」に喜びを感じて止まらない。


「……ふふ。……ハシム様、肌のキメが整っていくのが数値で見えますわ! ……ああ、素晴らしい。……私の理論は正しかった!」


「…………くくっ。……ははははは!」


 泥まみれのハシムが、突然喉を鳴らして笑い出した。

 

「……面白い。……本当に面白い女だ。……俺の顔をこれほど雑に、実験道具のように扱うのは、世界中で君一人だぞ、リリアーヌ。……ますます、君を俺の宝物庫に閉じ込めておきたくなった」


 ハシムは泥を拭い去ると、肌に宿ったかつてない「輝き」を鏡で一瞥し、満足げに指を鳴らした。

 

 その瞬間。

 天井の魔導仕掛けが開き、頭上から本物のダイヤモンド、真珠、ルビーのつぶてが、雪のように、あるいは雨のように、私の上に降り注いだ。


「……あいたっ!? ちょっと、ハシム様! 宝石の物理攻撃なんて聞いてませんわよ!」


「……ははっ、これは俺からの『お礼』だ。……リリアーヌ。……君の知性は、俺の富と組み合わさって初めて、世界の頂点に立てる。……ゼノスやシオンのような、狭い価値観で君を縛る者たちの元へ帰る必要はない。……この船ごと、俺の王国の妃として、一生贅沢の限りを尽くさせてやる」


 宝石の山に埋もれた私を、ハシムが力強く抱き上げる。

 

(……これよ! これが商人王ルートの真骨頂! 【札束(宝石)で殴られるような溺愛】! 痛いけど、この圧倒的な肯定感……! オタク女子の夢が全部詰まってるわ……!)


 ハシムの熱い吐息が私の唇に触れようとした、まさにその時。

 船底を直接、巨大なつちで叩いたような衝撃が、船全体を激しく揺らした。


 ――バリバリバリッ!!!


 窓の外の海面が、瞬時にして数キロ先まで凍りつき、氷の道が『黄金の獅子』を完全に封鎖した。

 同時に、室内の影が不気味に膨れ上がり、ハシムと私の間に漆黒の壁を築き上げた。


「…………。……その不潔な手を、お嬢様から離せと申し上げたはずですよ、砂漠の泥棒猫さん」


 影の中から現れたシオンの瞳は、完全に光を失い、どろりとした狂気の色だけを湛えていた。

 

「……リリアーヌ。……随分と楽しそうだな。……我が帝国の港を凍らせてまで、君を迎えに来た甲斐があったというものだ」


 氷の道を文字通り「走って」現れたゼノス公爵が、窓を粉砕して室内へと踏み込んできた。

 彼の軍服は霜で白く輝き、その立ち姿はまさに『氷の死神』そのものだ。


「……はっ、揃いも揃ってお出迎えか。……だが、リリアーヌは今、俺との『美容共同開発』の真っ最中でね。……邪魔をするなら、俺の商船団の全火力を、君たちの喉元に向けてもいいんだぞ?」


 ハシムが不敵に笑い、私の腰をより強く引き寄せた。

 

 三人の男たちの魔力が、豪華なサロンの中で激しく激突し、バチバチと火花が散る。

 

(……あああ、また始まった! 逃げ場のない海の上で、三つ巴の修羅場イベント! 私の『癒やしバカンス』はどこへ行ったのよ!?)


 私は宝石の山を掻き分け、手元の魔導デバイスを最大出力で起動させた。


「……三人とも、いい加減になさい!! ……せっかくの黄金泥パックが、貴方たちの殺気で乾燥してしまいますわ! ……さあ、誰が一番『肌のコンディション』が良いか、今すぐ私が鑑定して差し上げますから、一列に並びなさいな!!」


 悪役令嬢の喝采が、夜の海に響き渡る。

 

 ハシムの財力、ゼノスの権力、シオンの執着。

 リリアーヌを巡る争いは、洋上の宮殿を舞台に、より一層甘く、より一層「騒がしく」燃え上がるのだった。


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