第53話:ゼノス公爵と鉄路の夢――氷のレールを敷いて
アステリア特別区の再建は、私の予想を遥かに上回るスピードで進んでいた。
だが、そこで大きな壁にぶち当たった。……物理的な「距離」という名の壁だ。
帝国からの食料、資材、そして何より私が開発した美容クリームや通信機の部品……。それらを運ぶ馬車の列は、もはや旧王国の荒れた街道を埋め尽くし、物流の遅延が深刻な問題となっていたのだ。
「……ダメだわ。これじゃ、私が頼んだシルのための『最高級・低反発もふもふクッション』が届くまでに一週間もかかってしまう! 糖分も足りないし、アリアちゃんの新作衣装の布地も足止めを食らっているなんて、耐えられない……!」
私は離れの書斎で、地図の上に赤いバツ印を引きながら、拳を机に叩きつけた。
(……前世の記憶が叫んでいるわ。この問題を解決できるのは、ただ一つ。……そう、陸の王者『鉄道』よ! 魔法帝国には『氷の魔導』と『重力制御』がある。これを組み合わせれば、摩擦ゼロの超高速リニア……いえ、魔導列車が作れるはず!)
私が一人で鼻息を荒くして設計図を広げ始めた時、背後の扉が静かに開き、冷涼な風と共にゼノス公爵が姿を現した。
「……リリアーヌ。……また、ろくに眠りもせず、妙な図面を引いているな。……君のその情熱は、時として我が軍の参謀総長よりも恐ろしい」
ゼノスは苦笑しながら、私の背後に音もなく歩み寄った。
彼は上着を脱ぎ、ワイシャツの袖を腕捲りした、あの「オフショット」に近い姿だ。……いけない、この姿の公爵は、私のオタク的な自制心を激しく揺さぶる。
「閣下、ちょうどいいところに! 見てください、この『氷結滑走式・魔導列車』の構想を! 鉄のレールの表面に、閣下の魔力で常に薄い氷の膜を張るんですの。そこを、重力魔法で浮かせた車体が滑るように進む……。これなら、帝国から王都まで、わずか三時間で結べますわ!」
「……三時間? 馬車で三日かかる距離をか。……リリアーヌ、君は物流の概念そのものを破壊するつもりか?」
ゼノスが呆れたように溜息をついた。……が、その瞳には既に、技術者としての、そして「リリアーヌの才」を愛でる男としての鋭い光が宿っている。
彼は私の椅子を跨ぐようにして背後に立ち、テーブルに両手をついて私を囲い込んだ。
「……だが、この術式では摩擦熱で氷が溶ける。……こうだ。……私の魔力を直接供給するラインを、ここに一本……いや、三本通せ」
ゼノスの手が、ペンを握る私の手の上から、重なるように添えられた。
軍人の、節くれだった大きな手。けれど、その指先は驚くほど繊細に、私の魔力経路を修正していく。
(……ギャーー!! 出た! 攻略対象による【深夜の製図室・バックハグ指導】! ゼノス様の体温が低いせいか、彼の指が触れる場所だけが、逆に焼けるように熱く感じる……! 設計図の魔力計算よりも、私の脳内の処理落ちの方が深刻だわ……!)
「……閣下、近いですわ。……自分でも書けますから」
「……じっとしていろ。……この術式は私の氷の波長に合わせねばならん。……君の魔力と、私の魔力を……ここで、密接に絡み合わせる必要があるんだ」
ゼノスが耳元で、甘く、低い声で囁く。
彼の銀色の前髪が私の頬を掠め、その視線は図面よりも、私の横顔に釘付けになっていた。
「……リリアーヌ。……この列車が完成したら、最初の乗客は君と私だけにしよう。……誰にも邪魔されない密室で、この鉄の道がどこまで続くのか、確かめてみたい」
「……そ、それは……、アリア様やシルも……」
「……ダメだ。……今夜の君は、私の『共同研究者』だろう?」
ゼノスが私の顎をそっと指先で持ち上げ、その青い瞳に、私一人の姿を閉じ込めた。
――ガタガタッ!!
その時、書斎の影が、地鳴りのような音を立てて膨れ上がった。
「…………閣下。……お楽しみのところ、非常に、非常に申し上げにくいのですが。……庭園に敷かれた『テスト用レール』が、何者かの手によって木っ端微塵に粉砕されております。……ああっ、誰の仕業でしょうねぇ?」
影の中から現れたシオンが、顔中を真っ黒な殺気で満たしながら、これ以上ないほどの「作り笑い」を浮かべていた。
「……シオン! 貴方、何をやっているの!」
「……お嬢様。……お嬢様と閣下が二人きりで、鉄路という名の『愛の逃避行ルート』を築き上げようとしているのが、私の影に伝わってきましてね。……お嬢様の目的地は、私の腕の中だけで十分です。……レールなど、私が一本残らず飲み込んで差し上げますよ」
シオンの背後で、巨大化したシルが「なになに? 追いかけっこ?」と言わんばかりに、壊れたレールの残骸を口に咥えてやってきた。シルの頭には、リリアーヌが昨日遊びで作った「車掌帽」が不自然に傾いている。
「キュアァッ!」
シルの能天気な咆哮が、一触即発の空気を僅かに和らげた。……が、ゼノスとシオンの間で火花が散っているのは変わりない。
「……リリアーヌ。……この執事、やはり一度影の底へ送り返すべきではないか?」
「……閣下。……影の底なら、お嬢様と二人で行きたいので、貴方は氷山にでも隠居してください」
(……はぁ。……結局、いつもの修羅場ね。……でも、これで『魔導列車』の理論は完成したわ。……シオン、レールは後で直しておきなさい。……じゃないと、貴方の分のアイス、全部シルにあげちゃうんだから!)
私は、ゼノスの腕を潜り抜け、シルの車掌帽を直してあげた。
帝国と特別区を繋ぐ、氷の轍。
それは、私の「もふもふ物流」を加速させると同時に、二人の男の執着をさらに煮詰めていくことになるのだった。
「……さあ、シル車掌! 試作二号機のテスト、始めますわよ!」
「キュ、キュアァーッ!」
夜の王都に、希望の、あるいは独占欲の汽笛が鳴り響こうとしていた。




