第52話:シオンの執愛料理教室――影はキッチンで踊る
旧王国の再建は順調そのもの。インフラ整備の基盤も整い、私は久々に公爵邸の離れで、ゆったりとした朝を迎えていた。
……だが、オタクという生き物は、暇になると余計なことを考え始める習性がある。
「……決めましたわ。私、今日こそアリアちゃんに手料理を振る舞いますわ!」
私がティーカップを置いて高らかに宣言した瞬間、背後で控えていたシオンが、手に持っていた銀のトレイをガシャンと床に落とした。
「…………。お嬢様、今、何と仰いましたか? 私の聞き間違いでなければ、神をも恐れぬ『自炊』という言葉が聞こえた気がするのですが」
「聞き間違いじゃないわよ、シオン。……いつもアリアちゃんには美味しいものを食べさせてもらっているし、たまには私がお姉様らしく、愛のこもったオムライスの一つでも作ってあげたいと思ったの」
シオンの顔から、一瞬にして表情が消えた。
彼は音もなく私の前に膝をつくと、私の両手をそっと、壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
「……お断りします。お嬢様の、この真珠のように白く、絹のように滑らかなお指を、包丁などという無骨な鉄塊に近づけさせるわけにはいきません。……万が一、産毛一本でも傷ついたら、私はこの世のすべての刃物を影の底へ沈め、人類から『切る』という概念を奪い去らねばならなくなります」
「……極端すぎるわよ! だったら、危なくない調理器具を作ればいいじゃない!」
(……出たわ。ヤンデレ執事の『お嬢様箱入り化計画』。でも、これを突破しないと、乙女ゲーの王道イベント【二人きりの秘密のキッチン】が発生しないのよね……!)
私はすぐさま工房へ籠もり、アルベルト(雑用眼鏡)を叩き起こして、数時間で『魔導感応加熱台』――いわゆるIHクッキングヒーターの試作機を完成させた。
「……見て、シオン。これなら火は使わないし、プレート自体は熱くならないわ。魔力の摩擦で鍋の中身だけを温める、安全設計の極致よ!」
「…………。……認めざるを得ませんね。この技術があれば、確かに火傷の心配は激減します。……ですが、お嬢様。……調理には『指導者』が必要です」
シオンは諦めたように溜息をつくと、私の背後に回り込み、私の腰に自分のエプロンの紐を回して結び始めた。
「……私が、お嬢様の指先となり、影となり、完璧にサポートいたしましょう。……一分、一秒たりとも、私の側を離れることは許しませんよ」
キッチンに移動した私たちは、調理を開始した。
まずは玉ねぎの微塵切り。……だが、シオンが私の背中にぴったりと張り付き、私の手の上から自分の手を重ねてきた。
「……シ、シオン? 距離が近すぎないかしら?」
「指導ですから。……さあ、力を抜いて。……トントン、とリズムを刻むのです。……そうです、お嬢様。お上手ですよ。……ああ、お嬢様の項から、甘い香りがして……集中力が削がれますね」
シオンの低い、熱を帯びた声が耳元で響く。
彼の長い銀髪が私の頬に触れ、背中からは彼の心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくる。
(……ギャーー!! これよ! これが攻略サイトに載っていた『至近距離の調理実習(心拍数急上昇Ver.)』! シオンの吐息が熱すぎて、ヒーターの出力設定より私自身の体温の方が上がってるわ……!)
「……次は、卵です。……お嬢様の繊細な力加減なら、きっと黄金のドレスのような美しい仕上がりになるでしょう。……さあ、私の胸に背中を預けて。……私が、貴女の腕を導きますから」
もはや料理を作っているのか、彼に抱きしめられているのか分からない状態で、なんとか『魔導オムライス』が完成した。
ケチャップで描かれた不格好な「ハートマーク」。
それを見たシオンは、なぜか恍惚とした表情でそれを凝視していた。
「……お嬢様の、初めての作品。……本当なら、このまま影の結界で永久保存し、私一人で毎日眺めていたいところですが……」
「食べなさいよ! 料理なんだから!」
リビングでは、匂いを嗅ぎつけたアリア様と、涎を垂らしたシルが待機していた。
「わぁっ! リリアーヌ様が作ったんですか!? いただきます!」
アリア様が一口食べ、ぱぁっと顔を輝かせた。
「……美味しい! リリアーヌ様の優しい味がしますわ!」
「キュ、キュアァーッ!」
シルも一口(という名の半分)を丸呑みにし、尻尾を千切れんばかりに振って喜んでいる。
(……良かった。……前世の家庭科の成績は微妙だったけど、シオンの超精密指導のおかげで、推しを喜ばせることができたわ……!)
満足感に浸る私。……だが、ふと横を見ると、シオンが空になった皿を見つめながら、自身の指を薄く噛んでいた。
「…………。……お嬢様。……次は、私と二人きりの時に、私のためだけに作ってください。……アリア殿や、あの獣に、お嬢様の『初めて』を分け与えるのは……もう、耐えられそうにありませんから」
シオンの瞳に宿る、底なしの独占欲。
新インフラ『マギ・ヒーター』は、王都の食卓を安全にする前に、我が家の執事の「執愛の炎」にさらに油を注ぐ結果となったようだ。
(……次は、自動調理器を作って、シオンをキッチンから遠ざけた方がいいかしら……。……でも、あの至近距離の指導、……正直、悪くないのよね……)
私は、赤くなった頬を冷やすために、シルの冷たい毛並みに顔を埋めるのだった。




