第50話:新・アステリア特別区宣言――沈まぬ太陽と、救世の女神
旧王国の王都『セント・ルミナス』に、数ヶ月ぶりとなる澄み渡った朝日が差し込んだ。
かつては重苦しい雲と魔素の澱みに包まれていたこの街も、聖獣シルの浄化の雨を経て、今は宝石を散りばめたような瑞々しい輝きを取り戻している。
王城のメインバルコニー。
かつて、私がエドワード王子によって「悪役令嬢」の断罪を受け、民衆の罵声の中で追放を言い渡されたあの場所。……今、そこには、帝国の最新鋭魔導によって織り上げられた、白銀とアクアブルーの新旗が掲げられていた。
旗に刻まれているのは、アステリア王家の紋章ではない。アリア様の聖なる杖と、シルの翼を象った、新しい「自由」の象徴だ。
「……リリアーヌ。……準備はいいか。……この瞬間に、この国の歴史は物理的に書き換えられる」
隣で正装の軍服に身を包んだゼノス公爵が、低く落ち着いた声で私を呼びかけた。
彼の瞳には、一国の主権を奪い去ることへの躊躇など微塵もない。あるのは、私の成し遂げた「偉業」に対する、深い賞賛と独占欲だけだ。
「ええ、閣下。……待ちわびていましたわ。……この光景を、あの方たちに見せつける日を」
私はバルコニーの手すりに手をかけ、眼下に広がる広場を見下ろした。
そこには、数万人の民衆が、息を呑んで静まり返っていた。彼らの視線の先にあるのは、バルコニーの下……。
鎖で繋がれ、泥にまみれた姿で引き立てられていく、エドワード王子とアステリア公爵、そして腐敗した重臣たちの無様な列だった。
「……離せ! 私は王子だ! 私はまだ、この国の……!」
エドワードが狂ったように叫ぶが、その声は民衆の冷ややかな視線と、彼を監視するレオニダス卿の無言の圧力によってかき消される。
かつての「国の象徴」は、今や開拓地の荒野を耕すための一介の「草むしり係」へと、その身分を墜とされていた。
(……ふふ。……エドワード様。……貴方が守りたかった『王冠』は、今や私の足元で砕け散っていますわ。……貴方はこれから、自分が蔑んだ平民たちの汗の重さを、その身を持って知るのです)
私は、シオンが捧げ持った魔導拡声器の前に立った。
シオンは私の背後に影のように寄り添い、周囲の不純な音をすべて遮断するように、漆黒の魔力で私の空間を包み込んでいる。
「お嬢様。……世界中が、貴女の言葉を待っています。……さあ、その美しい声で、この腐りきった国に最後の一撃を」
私は大きく息を吸い込み、王都全体、そして通信機を通じて王国全土へ届くように、凛とした声を放った。
「――旧王国の民の皆様。……本日、アステリア王国は、その歴史を閉じました」
ざわ、と。
広場が揺れた。だが、それは悲しみではなく、解放への期待が孕んだ震えだった。
「これよりこの地は、魔法帝国ガルディナの庇護下にある『アステリア特別管理区』へと移行いたします。……私は、貴方たちの新しい女王になるつもりはありません。……私がここに持ってきたのは、圧政ではなく、『自由』と『技術』……そして、真の聖女様の慈悲ですわ!」
私が指を鳴らすと、王城の各所に設置された巨大な魔導モニターが起動し、これからこの国に導入されるインフラ整備の計画図が映し出された。
清潔な水。魔導エアコンによる快適な生活。そして、誰もが『シル・フォン』を通じてアリア様の歌声を聴くことができる未来。
「貴方たちを縛っていた古い法は、すべて廃止します。……これからは、汗を流す者が報われ、愛を歌う者が守られる。……そのような『聖域』を、私がこの場所に作り上げて差し上げますわ!」
その瞬間。
広場から、天を割るような大歓声が巻き起こった。
「リリアーヌ様万歳!!」「救世の女神様だ!!」「アリア様を、聖女様を称えよ!!」
民衆が涙し、抱き合い、かつての「悪役令嬢」の名を、神の如く崇める。
(……計画通り。……支配ではなく、圧倒的な『利益』で民の心を掴む。……これが、前世の知識と悪役令嬢の知略を掛け合わせた、最強の国家運営よ!)
連行されていくエドワードが、絶望の表情でこちらを振り返る。
彼が最後に見たのは、自分の名前を叫ぶ民など一人もおらず、すべての視線が、眩しい太陽を背負って微笑む私に向けられているという、究極の「敗北」の光景だった。
私は、シオンとゼノスの間に立ち、かつての敵たちが去っていく背中を、冷ややかに見送った。
旧王国の完全な解体。
そして、私の手による「新時代」の幕開け。
私の「特別区宣言」が王都に響き渡り、民衆の歓喜が地鳴りのように地表を揺らした直後。
バルコニーの喧騒を一瞬にして静寂へと変えたのは、背後から歩み寄ってきたアリア様の、震えるけれど確かな足音だった。
「……リリアーヌ様。……私、歌ってもよろしいでしょうか。……この新しく生まれ変わる街に、私の……本当の声を届けたいのです」
アリア様は、私が夜を徹して設計した『純白の福音ドレス』を纏い、月光を宿したような瞳で私を見つめた。その手には、かつての教会の古臭い教典ではなく、私が開発した魔導集音器が握られている。
(……あああああ! アリアちゃん、そのやる気に満ちた顔! 尊すぎて後光が見えるわ! ……さあ、世界中の誰もが貴女の信者になる、伝説のステージの始まりよ!)
私は彼女の肩を優しく押し、バルコニーの最前面へと導いた。
シオンが指を鳴らすと、王城の各所に配置された魔導スピーカーが駆動音を上げ、ゼノス公爵が合図を送ると、空に滞空していた軍艦から数万もの光の粒子が、雪のように舞い降りた。
「……聴いてください。……『自由へのプレリュード』」
アリア様が唇を開いた瞬間。
世界から、あらゆる雑音が消え失せた。
――♪ 凍てついた鎖を…… 溶かすのは光の旋律……。
その歌声は、もはや単なる「音」ではなかった。
シルの浄化の魔力と共鳴し、目に見えるほどの黄金の波動となって王都全域を駆け巡る。
瓦礫の隙間に、瞬く間に色鮮やかな花々が咲き誇り、病に伏せっていた老人たちが立ち上がり、争っていた者たちが手を取り合う。
それは、旧王国の腐敗した教会が数百年かけても起こせなかった、真の「神蹟(奇跡)」そのものだった。
「……キュ、キュアァァァッ!!」
完全体となったシルが、アリア様の背後から天へと飛翔した。
その巨大な白銀の翼が羽ばたくたび、空に虹が幾重にも架かり、羽の一枚一枚が光の矢となって不浄な魔素を射抜いていく。
王都の民衆は、もはや歓喜を通り越し、敬虔な祈りを捧げるようにしてその光景に平伏した。
「……素晴らしいな。……リリアーヌ。君は、この国をただ買い取ったのではない。……君の技術と、彼女の歌声で、人々の魂ごと買い取ってしまったようだ」
ゼノス公爵が、私の背後から腰を抱き寄せ、耳元で感嘆の吐息を漏らした。
彼の氷の瞳は、今や冷徹な司令官のそれではなく、手に入れた至宝をどう愛でるかと思案する、略奪者の熱を帯びている。
「……この『アステリア特別区』は、君の庭だ。……だが、その庭を守る門番は、私一人でいい。……リリアーヌ、帝国へ戻ったら、本格的な『結納』の準備をさせてもらうぞ」
「……あら、閣下。……お話が早すぎますわ。……私はまだ、この国に作りたい『もふもふテーマパーク』の設計で忙しいんですのよ?」
「……お嬢様。……その閣下の戯言は、私の影で耳栓をして差し上げましょうか?」
反対側から、シオンが私の手をとり、恭しく、けれど独占欲を剥き出しにした力で口づけを落とした。
彼の瞳は、暗闇の中で濁った紫色の光を放ち、影の触手たちが私のドレスの裾を、誰にも触れさせまいと執拗に守護している。
「……お嬢様。……貴女がこの国を再生させたのなら、私はそのすべてを影で包み、お嬢様だけの『箱庭(鳥籠)』にして差し上げましょう。……外敵も、傲慢な公爵も、誰も入り込めない、私とお嬢様だけの神域に……」
(……はいはい、二人とも落ち着きなさいな。……私の自由なスローライフ、まだ始まったばかりなんだからね。……でも、これだけのイケメンたちに、これほど重い愛を向けられるのも……悪役令嬢としての『税金』みたいなものかしらね)
アリア様の歌が終わる。
王都に、新しい時代の鐘が鳴り響いた。
かつて私を断罪した場所は、今や世界で最も清らかで、最も先進的な、私の「聖域」となった。
エドワード王子やアステリア公爵といった、過去の残滓はもうどこにもいない。
あるのは、朝日を浴びて輝くアリア様の笑顔と、満足げに私の膝に鼻を寄せるシルの温もりだけだ。
「……さあ、皆様! 次の目標は、この特別区を世界一の『推し活の聖地』にすることですわよ! ……まずは明日、王都のメインストリートを全域『もふもふパレード』の会場に作り替えますわ!」
私の高らかな宣言に、ゼノスは呆れ、シオンは狂おしい愛を深め、アリア様は花が咲くように笑った。
悪役令嬢リリアーヌの逆襲劇。
その第4フェーズは、完璧な勝利と、さらなる「もふもふ」の予感と共に、最高の幕を閉じた。
(ふふ……スカッとしたわ! 次は、誰を私の魔導理論で『お世話』してあげようかしら?)
私の知性と愛が紡ぐ物語は、ここからさらなる「休息」と「新たな混乱」へと向かって、力強く加速していくのだった。




