第48話:玉座の黄昏――聖獣のクッションと、氷の刻印
エドワード王子の社会的抹殺を告げる全土配信の残響が、いまだ王都の夜空に木霊している。
私は、ゼノス公爵にエスコートされ、シオンを影のように従えて、王城の最深部――『謁見の間』へと続く重厚な扉の前に立っていた。
かつて、私が「悪役令嬢」としての断罪を受け、冷たい床に膝をつかされた因縁の場所。
扉が開かれると、そこには月光が差し込む高い窓と、壁際に並んで震える旧王国の重臣たちの姿があった。彼らは、かつて私を軽蔑の眼差しで見下ろした大臣や貴族たちだ。だが、今の彼らにその面影はない。帝国の軍艦が空を覆い、王子の醜態が世界中に晒された今、彼らはただ、自分たちの首が繋がっているかどうかを確認するために、浅い呼吸を繰り返すだけの肉の塊に過ぎなかった。
正面の階段の上。
暗闇の中で、王権の象徴である黄金の『獅子の玉座』が、空虚な輝きを放っている。
「……ふふ。……相変わらず、趣味の悪い椅子ですわね」
私は、静寂に包まれた広間に、あえて響くような足音を立てて歩みを進めた。
シオンが私の背後で、嫌悪感を隠そうともせずに鼻を鳴らす。
「……お嬢様。……この部屋の空気は、無能な老人たちの加齢臭と、腐りかけた権力の腐敗臭で満ちています。……今すぐ影の奔流で壁ごと洗い流し、お嬢様にふさわしいクリスタルの宮殿に作り替えましょうか?」
「いいえ、シオン。……壊すのは簡単だけれど、それでは『美しくない』わ。……まずは、この椅子の価値を正しく鑑定してあげなくては」
私は階段を上がり、玉座の前に立った。
扇子の先で、精緻な彫刻が施された黄金の背もたれを、コツン、と軽く叩く。
(……前世のゲーム『純七』の設定では、この玉座は『初代国王が神から授かった聖なる椅子』とされていたけれど。……私の魔導解析を通せば、ただの金の含有率が低い合金に、不効率な魔導増幅回路を無理やり詰め込んだだけの『粗大ゴミ』だわ)
「……皆様。……貴方たちが数百年守り続けてきたこの椅子、実は致命的な欠陥がございますのよ?」
壁際の重臣たちが、弾かれたように顔を上げた。一人の老臣が、震える声で異を唱えようとする。
「……な、何を仰る! その玉座は、王国の誇り……! 神聖不可侵の……!」
「神聖? ……笑わせないで。……人間工学を無視した背もたれの角度、魔力の循環を阻害する不純物まみれの装飾。……これに座り続けていたから、エドワード様はあんなに脳が熱くなって、正常な判断ができなくなったのではないかしら?」
私は、懐から取り出した魔導計算盤を操作し、玉座に直接『構造分解術式』を流し込んだ。
パキパキと、黄金の装飾が剥がれ落ち、内部の無骨な骨組みが露わになる。
「……ああっ! 王座が……王座が壊される……!」
「いいえ。……『改善』ですわ。……アルベルト! 入ってきなさい!」
扉の外で待機していたアルベルト(雑用眼鏡)が、大量の魔導具を抱えて駆け込んできた。彼は私の指示を受けると、手慣れた手つきで玉座の残骸に、帝国の最新技術を組み込み始めた。
「……師匠! この純金、導電率を上げるために銀と合成してもよろしいですか!? ……それから、この座面に『低周波振動もふもふ促進回路』を組み込みます!」
「ええ、やってちょうだい。……最高に柔らかく、最高に温かい場所に書き換えるのよ」
数分間の「魔改造」の後。
かつての硬く冷たかった黄金の玉座は、帝国の特殊魔導繊維と、聖獣の魔力に共鳴する『極上クッション』が敷き詰められた、巨大なベッドのような代物へと変貌を遂げていた。
「……さあ、シル。……貴方の新しいお昼寝場所ですわよ」
私が合図を送ると、完全体の威容を保ったままのシルが、ゆったりとした足取りで階段を上がってきた。
シルはクンクンと新しくなった椅子の匂いを嗅ぐと、満足げに鼻を鳴らし、そのままドサリと、かつて王だけが座ることを許されたその場所に身を投げ出した。
「……キュ、キュアァ……」
大きな尻尾をパタパタと振り、シルが幸せそうにお腹を出して寝転ぶ。
かつての王権の象徴が、一瞬にして『聖獣のプライベートサロン』へと上書きされた瞬間だった。
「…………。…………。…………」
重臣たちは、もはや言葉を失い、涙を流して崩れ落ちる者さえいた。
彼らにとって、これ以上の屈辱も、これ以上の「力の証明」もなかっただろう。
「……不遜だな、リリアーヌ。……一国の主権を、獣の寝床に換えるとは」
階段の下で腕を組んでいたゼノス公爵が、愉しげに口角を上げた。
彼はゆっくりと階段を上がり、シルの隣に立つ私の腰を、強く引き寄せた。
「……だが、それでいい。……この国は、もう君のものだ。……契約の仕上げをしようか」
ゼノスが指先に極低温の魔力を灯し、玉座の脚元――大地と繋がる石床に、自らの手を押し当てた。
――バリバリバリッ!!!
凄まじい凍結音が響き、床の石材が帝国の紋章……そして『リリアーヌ・アステリア所有』という文字を刻んだ「氷の刻印」へと書き換えられていく。それは、物理的に破壊しようとすれば都市ごと崩壊するほどの、強大な守護の呪印でもあった。
「……これで、ここは公式に帝国の『特別管理区』……。そして、君という女王が支配する聖域となった。……誰も、君からこの場所を奪うことはできない」
ゼノスが私の耳元で、熱い吐息と共に独占欲を囁く。
その瞬間、シオンの影が物理的な「壁」となって、ゼノスと私の間に割り込んだ。
「……閣下。……お嬢様の所有権を主張するのは、そこまでにしていただけますか? ……この館の影は、既に私の意思と直結しています。……お嬢様の座る場所、眠る場所、そのすべてに私の影を這わせておきましたので。……公爵夫人になる前に、お嬢様が私の影から逃げられなくなるのが先かもしれませんよ?」
シオンの瞳は、暗闇の中で濁った狂気を孕んで光っていた。
彼は私の足元に膝をつき、シルを撫でている私の手に、執拗に唇を寄せた。
(……はいはい、また始まったわね。……でも、これで旧王国の権威は、物理的にも社会的にも死んだ。……これからは、この玉座の上で、アリアちゃんの新しいステージの構想を練ることにしましょうか)
私は、シルの真っ白な腹部に頭を預け、目を閉じた。
かつて私を断罪したこの場所。
今は、もふもふの温もりと、私の知性を称える魔導の音だけが、心地よく響いている。
「……皆様。……呆然としている暇があるなら、明日からの『特別区税制』の書類を整理なさい。……無能な者は、明日からシオンの影の中で、永遠に掃除当番をしていただくことになりますわよ?」
私の冷徹な一言に、重臣たちが一斉に這いつくばる。
旧王国の中心で、悪役令嬢は勝利の微睡に落ちた。
だが、その静寂を破るように、一人の伝令が転がるように駆け込んできた。
「……リ、リリアーヌ様! ……アステリア公爵閣下……貴女の父君が、地下牢の前で面会を求めております! ……『家を、家を救ってくれ』と……!」
私は、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
その金色の瞳には、かつての家族への愛情など一欠片も残っていない、冷徹な計算の光だけが宿っていた。
「……父様、ですって? ……ふふ。……随分と、虫の良いお話ですわね」
私の逆襲は、血の繋がりさえも断ち切る、非情なる最終段階へと進もうとしていた。




