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第46話:終焉の晩餐会――毒の杯と、震える指先

 旧王国の王城、『星辰の間』。

 かつては大陸一の栄華を象徴し、数々の華やかな舞踏会や叙任式が執り行われたその大広間は、今や死臭と絶望が入り混じった、ひどく寒々しい空間へと変貌を遂げていた。

 高い天井から吊るされた巨大な魔導シャンデリアは、魔力供給が不安定なせいか、時折パチリと乾いた音を立てて不吉に明滅している。その青白い光が、すすけ汚れた壁面や、破れたカーテンの隙間から差し込む月光と混ざり合い、広間全体を墓所のような陰鬱な色に染め上げていた。


 かつての近衛兵たちはどこへ消えたのか。代わりに立っているのは、脂汗を流し、今にも逃げ出しそうな怯えた瞳をした数人の騎士だけだ。彼らの鎧は手入れが行き届かず、錆びた鉄の臭いが鼻を突く。

 その中央に鎮座する、長大な黒檀のダイニングテーブル。

 そこには、帝国から持ち込まれた最高級の食材と、旧王国の乏しい貯蔵庫から無理やり掻き集められたであろう、おりの混じった古びたワインが並べられていた。


「……リリアーヌ。……よくぞ、私の招待に応じてくれた。……感謝するぞ、我が『元』婚約者殿」


 上座に座るエドワード王子が、ひどく掠れた、湿り気を帯びた声で私を呼んだ。

 彼の瞳は、かつての傲慢な黄金の光を失い、今はただ、追い詰められた獣のような濁った執着と、隠しきれない殺意だけが宿っている。震える手で銀のワイングラスを握りしめ、その指先は白く強張っていた。彼の頬は不自然に痩け、瞳の下には深い隈が刻まれている。……それは、自らの無能が招いた破滅の記録そのものだった。


 私は、ゼノス公爵にエスコートされ、エドワードの正面へと優雅に腰を下ろした。

 私の左右には、完璧な執事の立ち振る舞いを崩さないシオンと、聖域の王としての威厳を隠そうともしないシルが控えている。アリア様は、ゼノスの騎士たちが周囲を鉄壁に固める中、私の隣で静かに祈るように座っていた。彼女の清らかな魔力が、この部屋に漂う不浄な空気を僅かに浄化しているのが分かる。


(……エドワード様。……貴方のその震え、私の『解析眼』を使わなくても、空間に響く動悸だけで丸見えですわ。……三万の軍勢を失い、民衆に見捨てられ、最後に残った手札が毒殺という古臭い策かしら? ……あまりに不憫で、笑いさえも贅沢に感じてしまいますわね)


 私は、リリアーヌとしての高貴な所作を崩さず、目の前に並べられた、どこか死の匂いのする料理を冷ややかな目で見つめた。


「……和解の晩餐、でしたかしら。……随分とお寂しい食卓ですこと。かつての王国の繁栄は、どこへ消えてしまいましたの?」


「……黙れ! ……すべては、貴様が帝国へ逃げ込み、我が国の富を奪ったせいではないか!」


「奪った? ……いいえ、エドワード様。……私はただ、価値あるものを価値ある場所へ移動させただけですわ。……このお料理もそう。……この『沈黙の氷毒』が仕込まれたワインを、あえて私に振る舞おうとする、貴方のその『誠意』に免じて、少しお話を伺いましょうか」


 私がその言葉を発した瞬間、広間の空気が凍りついた。

 エドワードの額から、大粒の冷や汗が流れ落ち、テーブルの大理石を汚す。


「……な、何を……!? 毒など、入っているはずが……!」


「……隠しきれているとお思い? ……シオン、解説して差し上げて」


 私の背後で、シオンが音もなく一歩前へ出た。

 彼の影が、テーブルの上を黒い蛇のように這い回り、エドワードのグラスの周囲で渦を巻く。シオンの瞳は、暗闇の中で妖しく発光し、その冷笑には剥き出しの殺意が混じっていた。


「……お嬢様。……このワインからは、旧王国の禁忌図書館の奥底に眠っていたはずの、第四位階暗殺薬『沈黙の氷毒』の匂いがします。……一口啜れば、魔導回路が末端から凍結し、一分後には心臓の拍動が氷に閉ざされる。……お嬢様の美しい最期を、あのアホ王子は特等席で見守るつもりだったようですよ」


 シオンの声は、聴く者の骨を直接削り取るような、底知れぬ圧力を湛えていた。

 彼はゆっくりと腰の暗器に手をかけ、エドワードの喉元を影の触手でなぞる。


「……お嬢様の口に入るものを汚したその罪。……万死を持ってしても、まだ足りませんね。……今すぐ、貴方の肺を内側から影で塗り潰して差し上げましょうか?」


「……シオン。やめなさい。……まだ、デザートもいただいていないのですから」


 私はシオンを制し、あえて自らの手で、毒入りのワイングラスを手に取った。

 

 エドワードの瞳に、絶望と期待が入り混じった狂気が宿る。

 

「……リリアーヌ。……君がそれを飲むなら、私は、私は君を許してやってもいい……。……今すぐ、アリアを返せ! ……そうすれば、以前のような生活を……!」


「……許す? ……滑稽ですわね。……私が、貴方に許しを請うているように見えますの?」


 私はグラスを傾け、そのルビー色の液体を、一滴も残さず飲み干した。

 

 ゴクリ、と。

 音が聞こえるほどの静寂。

 

 アリア様が悲鳴を上げかけ、ゼノス公爵が僅かに目を細める。

 エドワードは狂ったように笑い出そうと、その口を大きく開けた。

 

 だが。

 私の身体の奥底では、前世のナノマシン技術の概念を魔導に落とし込んだ、超微細な『自動浄化術式』が猛烈な勢いで稼働を開始していた。

 胃壁を通り抜けて血管に侵入した毒素の分子構造を、私の魔力が一瞬で「解析」し、それを無害なエネルギーへと変換していく。

 凍てつくはずの血流は、逆に心地よい熱を帯び、私の全身を活性化させていく。


(……ああ。……悪くないわね。……毒素を分解する瞬間の、この脳内に直接響くような魔力の火花。……エドワード様、貴方の殺意は、私の魔力の『糧』にしかなりませんでしたわ)


 私は、顔色一つ変えず、空になったグラスをテーブルに戻した。

 

「……あら。……期待していたような『氷の彫像』になれなくて、残念でしたわね?」


「……ば、馬鹿な……。……なぜ、なぜ死なない!? 貴様、何を食べた!? どんな防護魔法を……!」


「魔法? ……いいえ、これは『科学』と『執念』の融合ですわ。……貴方が古臭い教典を読み耽っている間に、私は世界を書き換えるための準備をしていたのですよ」


 逆上したエドワードが、隠し持っていた暗殺用の短剣を抜き放ち、テーブルを乗り越えて私に襲いかかろうとした。

 

 だが。

 私が指先を軽く鳴らすと、広間のステンドグラスが爆発するように粉砕され、上空から十機を超える小型の自律型ドローン『シル・アイ』が、目にも止まらぬ速さで突入してきた。


 ドローンから放たれた不可視の重力魔法が、エドワードの身体を床に叩きつける。

 

「――ぐはっ!!」


「……お見苦しいですわよ、エドワード様。……今の貴方は、我が国の最新鋭の防衛システムの、テスト用デコイ(囮)にもなりませんわ」


 私は立ち上がり、跪かされた王子の元へ、シオンとゼノスを従えて歩み寄った。

 

「……さて。……毒殺が失敗し、武力でも届かない。……次は何をなさるおつもり? ……ああ、忘れていましたわ。……貴方がここで何をしようと、もう世界中がそれを知っているのですけれど」


 私は懐から、純金製の『シル・フォン』を取り出した。

 その画面には、今この広場で起きている「王子の醜態」が、リアルタイムで王国全土の空に巨大なホログラムとして投影されている様子が映し出されていた。


「……さあ、エドワード様。……貴方の『最後の晩餐』、本当の招待客をご紹介しますわ。……それは、貴方が飢えさせ、見捨てた、王国のすべての民衆たちです!」


 城門の外から、地響きのような怒号が聞こえ始めた。

 

 旧王国の終焉を告げる、真実のライブ配信。

 

 私の逆襲は、まだ始まったばかりだった。


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