第45話:逆襲の幕開け――王城への堂々たる凱旋
旧王国の王都『セント・ルミナス』の上空を、巨大な影が覆い尽くしていた。
それは雲でも、不吉な嵐の前触れでもない。魔法帝国ガルディナが誇る魔導軍艦、そして商人王ハシムが提供した黄金の浮遊船が織り成す、圧倒的な武力と富の象徴だ。
地上では、飢えと困窮に喘いでいた民衆たちが、空を見上げて呆然と立ち尽くしている。
だが、その瞳に宿るのは恐怖ではない。
旗印に刻まれた、かつての公爵令嬢リリアーヌ・アステリアの紋章を見た瞬間、街のあちこちから「救世主だ!」「リリアーヌ様が、聖女様を連れて戻られた!」という狂信的な歓喜が沸き起こった。
(……ふふ。かつて私に石を投げた民衆が、今は私の名を神のように呼んでいる。……皮肉なものね。でも、これが情報の力、そして『もふもふ』と『聖女』という最強のカードを握った者の特権よ)
私は、軍艦の最上層にある展望サロンで、帝都最高の職人が仕上げた『凱旋のドレス』の裾を整えていた。
深い真紅の生地に、漆黒の魔導レース。胸元にはゼノス公爵から贈られたサファイアの守護石が輝き、背後には影のように寄り添うシオンの気配がある。
「……お嬢様。……王城の周囲には、エドワードの息がかかった近衛兵が僅かに残っていますが、私の影で一瞬にして『掃除』しておきましょうか? ……お嬢様の美しい靴を、あのような無能の血で汚す必要はありません」
「いいえ、シオン。……今日は、彼らが自ら道を開けるのを見守るのが、最高の嗜みですわ。……閣下、準備はよろしくて?」
隣で腕を組み、冷徹な軍司令官の顔をしていたゼノス公爵が、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「……ああ。……我が帝国の魔導砲は、既に王城の急所をすべてロックオンしている。……少しでも不穏な動きを見せれば、その瞬間に王城は歴史から消え去るだろう。……リリアーヌ。……君の望む通り、最高の『舞台』を整えてやったぞ」
船がゆっくりと、王城の中庭へと高度を下げていく。
かつて、私が跪かされ、婚約破棄と追放を言い渡された、あの断罪の広場。
そこには今、ボロボロになった甲冑を纏ったエドワード王子が、震える手で剣を握りしめて立っていた。
彼の周囲には、教会の魔導師たちや、わずかに残った騎士たちが、絶望的な表情で空を見上げている。
「……リリアーヌ……! ……本当によくも、よくも私の国をここまで……!」
タラップが降り、私が一歩、その地に足を降ろした瞬間。
――ズゥゥゥゥン!!
聖獣シルが、完全体の威容を保ったまま私の横に降り立ち、大地を揺らす咆哮を上げた。
その神聖な圧力だけで、近衛兵たちの槍がパキパキと音を立てて砕け、彼らは戦う意欲を完全に喪失してその場に崩れ落ちた。
「……あら、エドワード様。……随分とお痩せになったようですわね。……あんなに自信満々だった貴方の『正義』は、三万の軍勢と共に霧散してしまいましたの?」
私は優雅に扇子を広げ、エドワードの数歩手前で足を止めた。
シオンが、お嬢様の周囲に不可視の影の結界を張り、不浄な空気を完全に遮断する。
「……黙れ! ……貴様さえ、貴様さえいなければ、アリアは私の隣で微笑んでいたはずだ! ……教会も、民も、すべて私の……!」
「……まだ、そんなことを仰るの? ……アリア様を傷つけ、道具として扱おうとしたのは貴方ですわ。……ほら、ご覧なさい。……貴方の執着の対象が、誰を愛し、誰を信じているのかを」
私の背後から、アリア様がゆっくりと姿を現した。
彼女の纏う聖女の衣は、以前よりも強く、清らかな光を放っている。
アリア様は、エドワードを憐れみの目で見つめ、静かに告げた。
「……エドワード様。……貴方に私の声はもう、届きません。……私は今、リリアーヌ様と共に、新しい世界の夜明けを見ているのですから」
「…………っ!? ア、アリア……! 待て、行くな!」
エドワードが狂ったように手を伸ばすが、ゼノス公爵の放った氷の壁が、彼の行く手を無慈悲に遮った。
「……無能。……君の時間は、あの日、彼女を断罪した瞬間に止まっている。……リリアーヌ、終わらせろ。……こんな男に、これ以上の言葉は不要だ」
ゼノスが冷たく言い放つ。
(……ええ。……その通りね。……でも、最後にこれだけは言っておかないと。……私の気が済まないわ)
「……エドワード様。……貴方の『最後の晩餐』への招待、謹んでお受けいたしますわ。……ただし、主客は私。……貴方は、その豪華な食卓の端で、自分の犯した罪を肴に、泥の味のワインを啜るのがお似合いですわよ」
私は王城の扉を、自分の手で力強く押し開けた。
かつて私を追い出した場所へ、今、私は「真の支配者」として凱旋したのだ。
シオンの影が王城の廊下を侵食し、ゼノスの氷が歪んだ装飾を粉砕していく。
シルは私の足元で「お掃除完了だね」と満足げに鼻を鳴らした。
旧王国の崩壊。
そして、私の手による「再編」。
断罪の日から始まった私の長い旅は、今、最も華やかで残酷な結末へと向けて、その最終局面を迎えようとしていた。
「……さあ、行きましょうか。……この腐りきった城を、私好みの『もふもふの聖域』に作り替えるために!」
私は高笑いと共に、かつての敵たちが並ぶ謁見の間へと、堂々と足を踏み入れた。




