第42話:騎士団長の絶望――かつての断罪、今の大罪
乾いた風が吹き抜け、枯れ草がカサカサと虚しい音を立てて転がっていく。
かつては王国最強の盾と謳われたレオニダス卿が、泥にまみれた膝を突き、呆然と私を見上げている。その瞳に宿るのは、かつての冷徹な正義感ではなく、底知れぬ混乱と、認めたくない後悔の色だった。
「……リリアーヌ令嬢。……貴女は、本当に、あの時の……」
「ええ、レオニダス卿。貴方が『国の安寧のため』と称して、私の両手に冷たい手枷を嵌めた、あのリリアーヌ・アステリアですわ。……驚かれました? 貴方が処刑場へと送り出した女が、こうして帝国の加護を得て、貴方の守るべき国を買い取りに来たのですから」
私は、シオンが差し出した日傘の下で、優雅に扇子を広げた。
私の肌には一点の汚れもなく、纏うドレスは帝国の魔導技術によって、この不毛な地の穢れさえも寄せ付けない。
(……レオニダス。原作『純七』では、彼は最後まで自分の正義を疑わなかった。リリアーヌを断罪することが、国を救う唯一の道だと信じ込まされていたのよね。……でも、その結果がこの惨状。皮肉なものだわ)
私の背後で、シオンがクスクスと、地を這うような低い笑い声を上げた。
「……おやおや、騎士団長ともあろうお方が、随分と無様な姿ですね。……お嬢様を罪人として扱い、その誇りを踏みにじった男が、今さら何の権利があってその御顔を見上げるのですか? ……その汚れた瞳、今すぐ私の影で抉り出して差し上げましょうか?」
「……シオン。やめなさい。……死なせてしまっては、彼の『忠義』が報われませんわ」
シオンの殺気を含んだ言葉に、レオニダスはびくりと肩を震わせた。
彼は震える手で地面を掴み、喉の奥から絞り出すような声を上げた。
「……私は……私はただ、王命に従ったまでだ。……貴女が禁忌の魔導に手を染め、聖女アリア様の力を奪おうとしていると、殿下から……司教様から、そう聞かされていた……!」
「……それが、貴方の正義の限界だったということですわ。……自分の目で真実を見極めることもせず、ただ与えられた役割に酔いしれていた。……その盲目な忠誠が、この国を、そしてアリア様をどれほど傷つけたか……。……分かっていらして?」
私がアリア様の方へ視線を向けると、彼女は悲しげに、けれど決然とした表情でレオニダスを見つめていた。
「レオニダス様。……私は、貴方を信じていました。……でも、貴方がリリアーヌ様を連行していった、あの時。私の叫びは貴方に届きませんでした。……貴方の守りたかったものは、私ではなく、ただの『形だけの秩序』だったのですね」
「……アリア様……っ! ……申し訳、ございません……! 私は……私は……!」
レオニダスが、子供のように声を上げて泣き崩れた。
その鎧の繋ぎ目から漏れ出す嗚咽は、かつての威厳を完全に粉砕していた。
「……見苦しいな。……君がここでいくら涙を流したところで、枯れ果てた大地が潤うわけではない。……リリアーヌ、時間の無駄だ。……こんな抜け殻のような男に構う必要はないだろう」
ゼノス公爵が、不快そうに腕を組み、冷徹な一言を投げかけた。
彼の『解析眼』は、レオニダスの心臓が、自責の念によって極限まで衰弱しているのを見抜いているのだろう。
(……確かに、ゼノスの言う通りね。……でも、レオニダスをこのまま放っておくほど、私は甘くないわ。……彼には、これから始まる『新しい旧王国』の再建のために、死ぬよりも辛い労働に励んでいただかなくては)
「……レオニダス卿。……貴方に、最後のチャンスを差し上げますわ。……この国の騎士団を解体し、私の管理下にある『開拓民の護衛』として再編しなさい。……かつて貴方が踏みにじった民たちのために、その剣を使いなさい。……それが、貴方に許された唯一の贖罪ですわ」
「……開拓民の、護衛……? ……誇り高き王立騎士団に、土を弄る者たちの守りをしろと……?」
「……あら、嫌なら結構ですわよ? ……今すぐシオンの影に飲み込まれて、誰にも知られず消えるのも一つの選択肢ですわ。……どちらが貴方の『正義』にふさわしいか、お選びになって?」
私の言葉に、レオニダスはしばらくの間、虚空を見つめていた。
やがて、彼はゆっくりと、けれど確かな重みを持って、再び頭を垂れた。
「…………承知、いたしました。……リリアーヌ様。……いや、我が主。……この命、この剣。……これからは貴女の仰せのままに。……かつての罪を、一生をかけて償わせていただきます」
レオニダスが私の足元で、騎士の誓いを立てる。
その光景に、シオンは面白くなさそうに鼻を鳴らし、影を足元に収めた。
(……よし。これで旧王国の最大の武力を掌握したわ。……レオニダス、貴方の屈折した忠誠心は、これからたっぷり利用させてもらうわね。……シオンほど重くなくていいけれど、貴方の後悔は、私の活動を支える良い『動力』になりそうだわ)
私はレオニダスを一瞥もせず、再び浮遊船の方へと歩き出した。
「……さあ、行きましょうか。……次は、聖域の森を蝕む『淀み』を掃除しなくては。……シル、準備はよろしくて?」
シルの大きな尻尾が、私の背中を優しく撫でる。
かつて私を断罪した男は、今や私の足元に跪く僕となった。
けれど、私の心に去来するのは、勝利の悦びだけではない。
これから始まる、崩壊した国の建て直し。
そして、影で糸を引く教会の枢機卿ルカの存在。
私の真の平和を勝ち取るための戦いは、まだその序章を終えたばかりなのだから。
枯れた大地に、一筋の冷たい風が吹き抜ける。
それは、旧王国の終焉と、新しい支配の始まりを告げる風だった。




