第40話:海上劇場の晩餐、商人王との危険な取引
帝都エーテルヘルムの軍港。
そこに停泊していたのは、夕闇を黄金色に染め上げるほどに巨大で、かつ不遜なほどに豪奢な一隻の帆船――商人王ハシムの旗艦『黄金の獅子』だった。
船体には魔導彫刻が施され、マストには異国の絹が張られ、甲板からは既に極上の香辛料の香りが漂ってきている。
「……ふふ。これこそが、課金イベント限定マップ『黄金の海上宮殿』ね! ゲームのドット絵じゃわからなかったけど、この成金……いえ、圧倒的な富の暴力。最高にワクワクするわ!」
私は、帝都最高のデザイナーとアルベルト(雑用)に作らせた、夜の海に映える『真珠光沢のイブニングドレス』を纏い、タラップを見上げていた。
隣には、同じくマリンカラーの聖女服で瞳を輝かせるアリア様。そして私の足元には、海風に毛をなびかせる聖獣シルが、少しだけ警戒するように鼻を鳴らしている。
「お嬢様。……あのアラビアンな男、お嬢様を船ごと海に連れ去るつもりかもしれません。……もしそうなれば、私はこの海を影で染め上げ、魚一匹残さず窒息させて差し上げますので、ご安心ください」
シオンが私の背後で、完璧な執事の礼をしながら、その瞳にはどろりとした漆黒の独占欲を宿していた。
「……シオン、物騒なことはやめなさい。……閣下、護衛はよろしいかしら?」
「……ああ。私の近衛騎士団が周囲を包囲している。……それ以上に、私の『氷』が、この船を帝国の港に縫い止めてある。……逃げ場など、最初から存在しない」
ゼノス公爵もまた、軍服の襟を正し、冷徹な眼差しで船の最上階を睨み据えていた。
タラップを上がり、甲板に足を踏み入れた瞬間。
パチン、と乾いた指の音が響き、空中に無数の魔法の火花が舞った。
「――ようこそ、俺の宮殿へ。……麗しきリリアーヌ。そして、不機嫌な番犬諸君」
現れたのは、仮面を外し、彫りの深い素顔を晒したハシムだった。
褐色に輝く肌、トパーズのような瞳。そして、胸元を大きくはだけた絹のシャツ。……その姿は、まさに砂漠の王。
(……ギャーー!! ハシムの素顔、尊すぎて直視できない! この『俺が世界のルールだ』っていう自信満々な笑顔……! これぞ、隠し攻略対象の風格だわ!)
ハシムは私の前に跪き、私の指先を掬い上げると、ゼノスやシオンが割り込む隙さえ与えぬ速さで、熱烈な口づけを落とした。
「……君をここに呼ぶために、世界中の海から一番美しい真珠を集めさせ、この船を飾らせた。……だが、君の瞳の輝きに比べれば、すべてはただの石ころに過ぎないな」
「……っ!? ハシム様、ご挨拶が過ぎますわ。……私はビジネスの話に来たのですわよ?」
「ははっ、ビジネスこそ愛だ。……さあ、最高の晩餐を用意してある。……アリア殿も、そのもふもふした神獣も、存分に楽しんでくれ」
用意された晩餐会は、想像を絶するものだった。
船の中央に作られた『海上劇場』のテラスで、波の音をBGMに、大陸中の珍味が運ばれてくる。
アリア様は見たこともない異国の果実に目を丸くし、シルはハシムが用意した「最高級の魔導肉」をむしゃむしゃと頬張っている。
「……さて、リリアーヌ。……君の『シル・フォン』と『美容クリーム』。……俺が全大陸の流通を買い取ろう。……報酬は、君が一生遊んで暮らせる金貨ではない。……この世界そのものだ。……君が望むなら、旧王国の王城を買い取って、君の『もふもふ牧場』に作り替えてやってもいい」
「……条件は、私が貴方の『コレクション』に加わること……かしら?」
「……察しがいいな。……俺の横に座れ、リリアーヌ。……君の知性は、この世界を支配するにふさわしい」
ハシムが私の腰を引き寄せ、熱い吐息を漏らす。
その瞬間、劇場の空気が一変した。
「…………閣下、やりますか?」
「……ああ。……これ以上、この男の放言を聞くのは苦痛だ」
シオンの「影」が船底から湧き上がり、ゼノスの「氷」がテーブルを一瞬で凍りつかせる。
ハシムもまた、金色の魔力を手に纏わせ、不敵に笑った。
最強のヤンデレ執事、冷徹公爵、そして商人王。……三人の攻略対象の魔力がぶつかり合い、船体が悲鳴を上げる。
(……やばい。これ、船が沈むやつよ! アリアちゃんが怖がってるじゃない!)
アリア様が震え、シルが低く唸る。
私は一喝しようとしたが、その前に、意外なことが起きた。
――ガォォォォォォン!!
シルが、これまでにないほど力強い咆哮を上げた。
次の瞬間、シルの身体が眩い光に包まれ、その姿が巨大化していく。
背中からは本物の魔力の翼が生え、その頭上には、聖なる加護を象徴する光の輪が現れた。
(……え。シル? これって、原作の最終決戦で見せる『聖獣完全体』の状態じゃない!? なんで今、ここで!?)
完全体となったシルは、圧倒的な浄化の波を放ち、三人の男たちの魔力を一瞬で霧散させた。
船の揺れが止まり、穏やかな月の光が甲板を照らす。
「……キュ、キュア……」
シルは私の元へ歩み寄ると、巨大な頭を私の肩に乗せ、優しく甘えるように鼻を鳴らした。
まるで「喧嘩はやめて、このお嬢様は僕が守るんだから」と言わんばかりの態度だ。
「…………。……聖獣に、先に手を出されるとはな」
ゼノスが溜息をつき、シオンが悔しそうに影を収める。
ハシムは呆然とした後、腹を抱えて笑い出した。
「……くくっ、はははは! ……完敗だ、リリアーヌ。……君だけでなく、その獣まで俺を拒絶するとはな。……いいだろう。……君を無理やり買い取るのは諦めよう。……だが、対等な『パートナー』としての契約は有効だ。……俺は、君が世界を塗り替えるのを、一番特等席で見ていたい」
ハシムが私の手に、契約の証としての純金のメダルを握らせた。
こうして、商人王との「危険な取引」は、リリアーヌの圧倒的な魅力(ともふもふの加護)によって、最高の形で結ばれた。
(……ふぅ。……第3フェーズ、終了ね。……アリアちゃんは帝国のアイドルになり、私は帝国の技術とハシムの富を手に入れた。……さあ、次は……旧王国の連中に、本当の『絶望』を叩きつけてあげる番よ!)
夜の海、輝く月。
リリアーヌは、愛すべき仲間たちと共に、いよいよ物語のクライマックスへと向けて、高らかに勝利の笑みを浮かべるのだった。




