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第39話:商人王の帰還、黄金の招待状

 昨夜の「公爵邸・崩壊寸前バトル」から一夜明けた帝都の朝。

 私の離れのリビングには、エアコンの心地よい冷気だけでは中和しきれない、重苦しく、そしてひどく気まずい沈黙が漂っていた。


「……お嬢様。……昨夜の、その……。私が少し、熱くなりすぎてしまったことについては、深く、深く反省しております。……ですので、どうか、その……『一晩中寝室の隅で影と同化するの禁止令』だけは、今日限りで解除していただけないでしょうか……?」


 シオンが、隈の浮いた瞳で、今にも消え入りそうな声で訴えてきた。

 彼は私の足元に跪き、まるで主人の機嫌を伺う捨てられた子犬――というには図体が大きく、かつ背負っている殺気が重すぎるが――のような姿で、私のドレスの裾をそっと握りしめている。


「……ダメよ。貴方が自分の執着をコントロールできるようになるまで、夜の警護は廊下の外、それも三メートル以上離れた場所で行いなさい」


「……っ!? 三、三メートル……!? そんな、お嬢様の吐息の音さえ聞き取れない距離……。それは、死ねと仰るのと同じです……!」


(……大げさだわ。でも、これくらい言っておかないと、このヤンデレ執事、いつか本当に私の足首に影の鎖を繋ぎかねないもの)


 一方、反対側のソファに座るゼノス公爵も、不機嫌そうに窓の外を眺めながら、不器用にお茶を啜っていた。

 彼の指先には、まだあのサファイアの小箱が握られている。


「……リリアーヌ。……昨夜は、少し焦りすぎた。……君の言う通り、アリア殿の成功を祝うのが先だったな。……だが、私の想いに嘘はない。……君を、帝国の外へ逃がすつもりは……毛頭ない」


 ゼノスの視線が、私の机の上に置かれた「赤い光を放つ金貨」に向けられる。

 

「……それよりも、その金貨だ。……今朝から、発信される魔力量が増大している。……あのアラビアンな男、いよいよ本格的に動き出したようだな」


 その言葉を待っていたかのように。

 リビングの中央、何もない空間から、突如として黄金の火の粉が舞い落ちた。


「キュ、キュアァッ!?」


 シルが驚いて私の膝に飛び乗ってくる。

 黄金の光は瞬く間に形を成し、空中に一通の「招待状」を編み上げた。

 それは、紙ではなく、極薄に叩き延ばされた純金に、宝石を砕いた粉で文字が刻まれた、成金趣味を通り越して芸術の域に達した代物だった。


「……お初にお目にかかる、などという挨拶は抜きにしよう。……麗しきリリアーヌ・アステリア。そして、帝国の堅物公爵と、不気味な影の執事君」


 招待状から、ハシムの声が立体的な魔導映像と共に響き渡った。

 

「……俺の金貨を枕元に置いてくれたこと、光栄に思うぞ。……さて、ビジネスの話だ。……帝都の港に、俺の商船団『黄金の獅子』を停泊させた。……君たちが開発したあの『通信機』と『美容クリーム』。……全大陸での独占販売権を、俺と結ばないか?」


(……キターー!! 商人王ハシム、再登場! いきなりビジネスライクな切り出しだけど、この映像のハシム様、裸足に金のアクサリーとか、色気振りまきすぎじゃない!? 眩しすぎて目が潰れるわ!)


 映像の中のハシムは、豪華な船の甲板で、果実を摘みながら不敵に笑っている。


「……もちろん、ただの契約ではない。……君の隣にいるあの『真の聖女』アリア。……彼女の歌声を世界に広めるための、海上劇場さえ用意してある。……君たちは何も心配いらない。……俺の胸に飛び込んでくれば、金と宝石、そして永遠の享楽を約束してやろう」


「……黙れ。……誰が君の胸に飛び込むというのだ、この砂漠の守銭奴め」


 ゼノスが立ち上がり、映像に向かって冷気を放つ。

 だが、ハシムは愉しげに肩をすくめた。


「……冷たいな、ゼノス。……独占は身を滅ぼすぞ。……リリアーヌ。……今夜、港に来い。……君のために、この世で最も贅沢な晩餐会を用意した。……もちろん、アリアと……その、妙な執事も連れてきて構わん。……俺の懐の深さ、存分に見せてやろう」


 映像は、ウィンク一つを残して霧散した。

 

 リビングに残されたのは、より一層濃くなったシオンの殺気と、ゼノスの警戒、そして……。


「……リリアーヌ様! 海、海ですわ! 私、本物の海を見たことがありません!」


 アリア様が、純粋な瞳をキラキラと輝かせて私の袖を引いている。

 

(……ああ、アリアちゃん! その期待に満ちた顔を見せられたら、プロデューサー(私)として拒否できるはずがないじゃない……!)


「……わかりましたわ。……ゼノス閣下、シオン。……今夜は港へ、ハシム様の『おもてなし』を受けに行きましょうか。……旧王国の買収で資金は潤沢ですが、商人王の懐を借りるのも、悪役令嬢としての嗜みですもの」


「……お嬢様。……あのような男に近づくのは、火の中に飛び込むようなものです。……もし、あいつがお嬢様に指一本でも触れたら……。……その船ごと、影の底へ沈めて、魚の餌にして差し上げますからね」


 シオンが私の背後に回り、私の髪をきつく、縋るように握りしめた。

 

「……いいだろう。……私も同行する。……帝国の港で、好き勝手させるわけにはいかないからな」


 ゼノスもまた、宣戦布告のような眼差しで窓の向こうの港を見据えた。

 

(……ヤンデレ執事、冷徹公爵、そして新たに加わった俺様系商人王。……私の『もふもふスローライフ』、どんどん逆ハーレム的な修羅場に巻き込まれていく気がするけれど……。……まあ、アリアちゃんが海を楽しめるなら、オールオッケーだわ!)


 私は、手元の『シル・フォン』で、アリア様のための「マリンルック」の設計を始めながら、嵐の予感がする港への旅を心待ちにするのだった。


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