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第38話:氷の公爵、熱情に溶ける――月下の密やかな求婚

 旧王国の買収手続きという、歴史的な大事業が一段落した夜。

 帝都の離れは、いつになく静まり返っていた。

 アリア様はライブの疲れを癒やすために早々に夢路を辿り、聖獣シルもまた、冷房の効いた専用の寝床で大きな寝息を立てている。


 私は、月光が青白く差し込むテラスのソファに身を預け、夜風に吹かれていた。

 そこへ、カツン、カツンと規則正しい、けれどどこか重みのある足音が近づいてくる。


「……こんな夜更けに、一人で何を考えている。……風邪を引くぞ、リリアーヌ」


 現れたのは、ゼノス公爵だった。

 だが、今の彼は、いつもの隙のない軍服姿ではない。上着を脱ぎ、白亜のシャツの第一ボタンを寛がせ、袖を少しだけ捲り上げた、驚くほど無防備な姿だ。


(……え。ちょっと待って。……ゼノス公爵のオフショット!? あの鉄壁の理性の塊が、こんなに色気を垂れ流して……。シャツの隙間から見える鎖骨のライン、これ、前世の乙女ゲー雑誌なら表紙確定の破壊力だわ……!)


 私は内面の結衣が「ギャーー!!」と絶叫するのを必死に抑え、優雅にワイングラスを傾けて見せた。


「あら、閣下。……お疲れのようですね。……一国の買収なんていう無理難題を押し通したのですもの、今夜くらいはゆっくりお休みになればよろしいのに」


「……君を一人にして、眠れるはずがないだろう」


 ゼノスが私の隣、手を伸ばせば触れられるほどの距離に腰を下ろした。

 彼から漂ってくるのは、冷たい雪のような香水と、僅かなヴィンテージワインの芳醇な香り。……そして、彼自身の熱。


「……リリアーヌ。……君という女は、本当に私の予想を裏切ってくれる。……旧王国を武力で踏み潰すのではなく、経済で買い取るなど。……我が帝国の参謀本部も、君の爪の垢を煎じて飲むべきだな」


 ゼノスが低く笑い、私の髪を一房、そっと指に絡めた。

 その指先は、いつも私の魔力を解析する時の鋭さはなく、まるでもろい宝物を愛でるような、驚くほど優しい感触だった。


「……君の知性。君の傲慢。……そして、時折見せる、あの聖女や獣に対する無邪気なまでの慈愛。……そのすべてが、私を狂わせる」


「……閣下。……酔っていらして?」


「……ああ。……君という、毒よりも甘い美酒に酔っているのかもしれん」


 ゼノスの青い瞳が、月光を反射して怪しく、熱く光る。

 彼は私の腰をそっと引き寄せ、耳元に顔を寄せた。熱い吐息が肌を打ち、心臓が跳ね上がる。


「……リリアーヌ。……私は、君を『賓客』として保護するだけでは満足できなくなった。……君が他の男――あの嫉妬深い執事や、異国の商人に向ける視線を、すべて私だけのものにしたい。……君の隣に立つ権利を、私に独占させてはくれないか?」


(……キ、キターーー!! ゼノス公爵のデレモード、全開! これ、ゲームの『公爵ルート・ラストスパート』の台詞じゃない! 冷徹な男が自分だけに執着を見せるこのギャップ……! 尊すぎて、脳の処理能力が追いつかないわ……!)


 ゼノスは、私の震える手を両手で包み込んだ。

 軍人の、節くれだった大きな手。けれど、その掌からは、彼が抱える孤独と、私への切実な思慕が伝わってくるようだった。


「……これは、帝国としての要請ではない。……ゼノス・フォン・ガルディナという、一人の男としての願いだ。……君の未来を、私に預けてほしい」


 ゼノスが懐から、一つの小さな小箱を取り出した。

 開かれた中には、帝都の夜空をそのまま切り取ったような、深い輝きを放つサファイアの指輪が鎮座していた。


「……帝国公爵家に代々伝わる、守護の指輪だ。……所有者の魔力を安定させ、あらゆる厄災を退ける。……リリアーヌ。……私の公爵夫人になってくれないか? ……契約ではなく、真実、私の生涯をかけて君を愛し抜くと誓おう」


 ゼノスの言葉は、氷のような冷たさを微塵も感じさせない、情熱に満ちたものだった。

 彼は指輪を摘み上げ、私の左手の薬指に滑らせようとする。


 月明かりの下、静寂が支配するテラス。

 ゼノスの瞳には、私しか映っていない。

 

(……ああ、どうしよう。……こんなに真っ直ぐに、こんなに熱く迫られたら……。悪役令嬢としての意地も、前世のオタクな警戒心も、全部溶けてしまいそうだわ……)


 私が、吸い寄せられるように彼に顔を近づけた、その時。

 ゼノスの唇が、私のそれに触れようとした、まさにその刹那。


 ――ガタガタッ!!


 部屋の隅、月光さえ届かない濃密な「影」が、物理的な衝撃を伴って爆発するように広がった。


「…………。……随分とお楽しみのようですね、閣下」


 その声は、地獄の底から響いてくるような、底冷えのする響き。

 影の中から現れたのは、瞳から完全に光を失い、どろりとした狂気だけを湛えたシオンだった。


「……お嬢様の神聖な指先に、その安物のサファイアを嵌めようとするその腕。……今すぐ、影の糧として削ぎ落として差し上げましょうか?」


 シオンの背後で、数千、数万という影の触手が、ゼノスを、そして部屋全体を飲み込もうと狂ったように蠢き始めた。


(…………。……あ。これ、アカンやつだわ。シオン、臨界点突破しちゃったわね)


 甘い求婚の時間は、ヤンデレ執事の乱入によって、帝都を揺るがす修羅場へと変貌しようとしていた。


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