第3話:「パーティー会場、四面楚歌の華」
豪華な装飾が施された馬車が、王立学園の大広間前に滑らかに停まった。
扉が開かれた瞬間、夜の冷気と共に、会場から漏れ出す喧騒と楽器の調べが流れ込んでくる。
「さあ、お嬢様。手をお貸ししましょう」
シオンが先に降り、白手袋をはめた右手を差し出す。
その仕草一つをとっても、王族以上に洗練されており、並んでいた他の令嬢たちが思わず息を呑むのがわかった。
私はリリアーヌとしての傲慢な笑みを崩さず、その手に指を預ける。
「……ええ。エスコートを頼むわ、シオン」
馬車を降り、会場のレッドカーペットを踏みしめる。
その瞬間、周囲の空気が一変した。
ひそひそという、羽虫の羽音のような囁き声が、波のように押し寄せてくる。
「見て、アステリア公爵家のリリアーヌ様よ……」
「今夜、殿下から婚約破棄されるという噂は本当だったのね。あんなに平然としていられるなんて」
「聖女様をあんなにいじめておいて……。今日が彼女の年貢の納め時だわ」
(……聞こえてる。全部聞こえてるわよ、モブの皆さん!)
私の内面――結衣は、その陰口に心の中で激しく突っ込みを入れていた。
乙女ゲー『純七』の設定通り、リリアーヌの評判は最悪だ。ヒロインであるアリアを階段から突き落とそうとしただの、教科書を破っただの、冤罪もあれば「本物のリリアーヌ」が実際にやったことも混ざっている。
今の私は、この国で最も嫌われている女といっても過言ではない。
「……シオン」
私が小声で名前を呼ぶと、隣を歩くシオンの肩が微かに揺れた。
彼の顔を見ると、相変わらず完璧な微笑みを湛えている。だが、その瞳の奥には、今にも目の前の貴族たちの喉元を掻き切りかねないほどの、凍てつくような殺意が宿っていた。
「……お嬢様。どうかご安心を。貴女の耳を汚す不快な雑音は、後ほど私の方で『適切に』処理しておきますので。今、この場で彼らの舌を引き抜かないのは、ひとえにお嬢様のドレスに返り血を飛ばさないためだけの慈悲にございます」
(怖い! 慈悲の定義が独創的すぎるわよシオン!)
ヤンデレ執事の「掃除」予告に戦慄しつつも、私は背筋を伸ばして会場の奥へと進む。
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが割れるようにして道を作る。その先、会場の中央に、一際目立つ集団がいた。
中心にいるのは、金髪を輝かせた傲慢な美青年――第一王子エドワード。
そしてその隣で、今にも泣き出しそうに肩を震わせている少女。
(……いた。アリアちゃん!)
ふんわりとした栗色の髪に、潤んだ大きな瞳。
清楚な白いドレスに身を包んだ彼女は、まさに「守ってあげたいヒロイン」そのものだった。ゲーム画面で見るよりも何百倍も儚げで、そして驚くほど可愛い。
私のオタク心が一瞬で沸騰し、叫びそうになるのを必死に堪える。
(ああ、尊い……。あんなに震えて。周りの視線が怖いよね、不安だよね。大丈夫よ、お姉さんが今すぐその王子の隣から引き剥がして、美味しいお菓子をたくさん食べさせてあげるからね!)
私がアリアを見つめていると、エドワード王子が勝ち誇ったような笑みを浮かべて口を開いた。
「よく来たな、リリアーヌ。今夜という日が、貴様にとってどのような意味を持つか……理解した上でのその厚顔無恥な態度か?」
王子の声が会場に響き渡り、オーケストラの演奏が止まった。
観衆の視線が、一斉に私に突き刺さる。
「殿下、ご機嫌麗しゅう。理解、と仰いますのは? 私はただ、学園の卒業を祝うために参っただけですわ」
私は優雅に首を傾げてみせた。
王子は私の不遜な態度に顔を赤くし、アリアの腰を引き寄せた。アリアがビクッと体を強張らせる。
「白々しい! 聖女アリアを虐げ、数々の悪行を重ねてきた貴様の罪……最早、見過ごすことはできん! この会場にいる全員が、貴様の断罪の証人となるのだ!」
王子の怒声に、周囲から賛同の声が上がる。
アリアは絶望したように俯き、その目からは今にも涙が溢れそうだった。
だが、私は知っている。
この後、王子はアリアをも「偽聖女」として切り捨て、自分の権力闘争の道具にするつもりだということを。
そしてシオンが、私の背後でいつでもナイフを抜けるよう、右手を懐に忍ばせていることも。
(……準備は整ったわね)
私はアリアを安心させるように、リリアーヌとしての冷たくも美しい微笑を、彼女だけに向けた。
アリアが、驚いたように顔を上げる。紫の瞳と、潤んだ瞳が重なった。
「殿下。そんなにお急ぎにならないで。……今夜、私が失うものと、手に入れるもの。どちらが多いか、楽しみにしておりますわ」
私の挑発的な言葉に、王子の顔がさらに歪む。
四面楚歌のパーティー会場。
だが、私の心はかつてないほど冷静だった。
推しを救い、自由を掴むための「逆転劇」の幕が、今、切って落とされたのだ。




