第35話:旧王国の宣戦布告と、悪役令嬢の経済制裁
魔法帝国ガルディナの離れは、今日も私が開発した『魔導エアコン』のおかげで、森の深淵のような清涼な空気に満ちていた。
私はソファに深く腰掛け、シオンが削ってくれた最高級の氷に自家製シロップをかけた「魔導かき氷」を口に運んでいた。隣ではアリア様が、冷たいハーブティーを飲みながら、シル(もふもふ)の腹部に足を乗せて読書を楽しんでいる。
(……ああ、極楽。外は三万の軍勢が押し寄せて殺気立っているっていうのに、この部屋だけは別世界だわ。これぞ文明の利器、そして悪役令嬢の特権ね!)
そんな平和なひとときを切り裂いたのは、テーブルの上に置かれた私の『シル・フォン』――そのプロトタイプ機からの、耳障りな着信音だった。
画面に表示された魔力波長を解析した瞬間、私の眉が不快そうに跳ね上がった。
「……お嬢様。……その不浄な波長、間違いなくあの『ドブネズミの親玉』です。……今すぐこの通信機ごと影に沈めて、発信元の喉元を切り裂いて参りましょうか?」
シオンが、氷を削っていたナイフを指先で弄びながら、どろりとした殺気を放つ。
「いいのよ、シオン。……せっかく向こうから…機会をくださったんですもの。……受けてあげましょう」
私が通話ボタンを押すと、空間にノイズ混じりのホログラムが浮かび上がった。
現れたのは、黄金の甲冑を纏い、眉間に深い皺を寄せたエドワード王子。……相変わらず、暑苦しくて自己中心的な顔だわ。
『……リリアーヌ! ようやく繋がったか! 貴様、帝国で何を企んでいる! 今すぐアリアを連れて国境へ来い。さもなくば、我が三万の精鋭が帝都を火の海にし、貴様を逆賊として処刑してやる!』
画面の向こうのエドワードは、額に汗を浮かべ、いかにも「暑い戦場」にいますという風情だった。
対して私は、涼しい顔でかき氷を一口。
「……あら、エドワード様。……電波が悪くてよく聞こえませんわ。……それに、そんなに大声を出すと、さらに体温が上がって熱中症になってしまいますわよ? ……あ、それとも、旧王国にはまだ『環境制御魔法』の概念もございませんでしたかしら?」
『……貴様、ふざけるな! 我が軍は既に展開を終えている! 帝国のゼノスに伝えろ、今すぐ貴様らを引き渡せば、命だけは助けてやると!』
「お断りしますわ。……閣下、何か仰りたいことは?」
私は、部屋の隅で腕を組み、冷徹な眼差しで画面を睨んでいたゼノス公爵に端末を向けた。
ゼノスは一歩前に出ると、氷点下の声を放った。
「……エドワード。……貴殿の軍勢など、我が帝国の魔導結界の前では、ただの焚き火に等しい。……リリアーヌは既に我が国の至宝だ。……彼女に指一本触れる者は、その魂ごと凍りつかせてやろう」
『……ゼノス! 貴様まであの悪女に毒されたか! ええい、全軍突撃だ!』
通信が一方的に切れた。
私は「やれやれ」と肩をすくめ、再びかき氷を掬った。
「……さて。……脳筋王子が突撃を開始したようですわね。……シオン、計画通りにお願いできる?」
「承知いたしました、お嬢様。……既に、旧王国が依存している帝国産の『魔導触媒』と、例の『美容クリーム』の流通路は完全に封鎖いたしました。……さらに、あのアホ王子の軍に支給されている食糧庫の影に、少々『細工』を施してあります」
(……ふふふ。これぞ経済制裁。旧王国の貴族たちは、私がいなくなったせいで『美肌』を失い、軍隊はシオンの影魔法で食料がすべて消滅したことに気づくでしょうね)
それだけではない。
私はアルベルトに命じ、帝都全域に設置した「広域投影魔導具」を起動させた。
旧王国の空――国境に集結した兵士たちの真上に、巨大な幻影が浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、エアコンの効いた豪華な離れで、幸せそうに微笑みながら歌を口ずさむアリア様の姿。そして、その足元で幸せそうに「もふもふ」されている聖獣シルの姿だ。
『……旧王国の皆様。……私は今、とても幸せです。……戦争なんて、悲しいことはおやめください。……リリアーヌ様が、私に本当の自由を教えてくださったのですから』
アリア様の浄化の歌声が、通信機を通じて戦場全域に響き渡る。
「……な、なんだ、あの美しさは……。アリア様はあんなに輝いていらっしゃるのか?」
「……俺たちは、あの聖女様を連れ戻しに行くのか? ……あんなに幸せそうな方を、無理やり?」
「……腹が減った。……食料が消えたぞ! 王子の無能のせいで、俺たちは干からびて死ぬのか!」
国境付近の旧王国軍から、動揺と怒号が上がるのが、私の『シル・フォン』の監視モニターに映し出されていた。
「……リリアーヌ。……君のやり方は、実に合理的で残酷だ。……戦わずして敵の士気を挫き、民衆の支持を奪う。……まさに、知略の女神だな」
ゼノスが感心したように私の横に座り、私の肩を抱き寄せた。
「あら、閣下。……私はただ、涼しい部屋でアリアちゃんとシルと過ごしたいだけですわ。……邪魔をする者は、社会的にも経済的にも消えていただく……。それが悪役令嬢の処世術ですもの」
「……お嬢様。……そろそろ、私の我慢も限界です。……あのバカ王子に『お嬢様の声』を聴かせただけで、私の影は狂いそうです。……今から、国境まで行って、あの甲冑ごと影の底へ引きずり込んできてもよろしいでしょうか?」
シオンが、影を触手のように蠢かせながら、私の足元に跪いた。
その瞳には、エドワードへの殺意と、私への狂おしいほどの独占欲が入り混じっている。
「……いいわよ、シオン。……ただし、汚い血はお嬢様の庭園に持ち込まないこと。……あと、パンケーキの焼き上がりに間に合うように戻ってきてね」
「……御意。……お嬢様の仰せのままに」
シオンは影の中に溶け込むようにして姿を消した。
数分後。
国境の旧王国本陣からは、言葉にできない絶叫と、真っ黒な影が天を覆い尽くす光景が観測されたという。
(……ふふ。エドワード様。……貴方の熱すぎる執着も、その軍勢も、私の冷徹な計算で一瞬にして凍りつかせて差し上げますわ。……地獄の底まで、涼しくしてあげましょう。ほほほほほ!)
私は高らかに笑い声を上げ、最後の一口のかき氷を飲み込んだ。
旧王国の崩壊は、もはや時間の問題。
私の「最強のスローライフ」を邪魔する者は、誰一人として残さない。




