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第34話:黄金の金貨と、快適(もふもふ)への飽くなき執念

 昨夜の嵐のような侵入劇から一夜明け、離れのサロンには、凍りつくような冷気と、どろりとした執着が入り混じった奇妙な空気が漂っていた。

 

 テーブルの上には、昨夜の男――ハシムが残していった、ずっしりと重い黄金の金貨。

 それを、魔法帝国が誇る「氷の公爵」ゼノスが、忌々しげに『解析眼』で見つめている。


「……間違いない。これは『砂漠の獅子』、ハシム・アル・アサドの極印だ。……リリアーヌ、君は自覚しているのか? 世界中の富を掌中に収めると豪語するあの男が、直々に『連絡先』を渡す相手が、歴史上どれほど稀かということを」


 ゼノスの声は、いつになく険しい。

 彼は軍服の襟を正し、私の目の前に座り直すと、まるで壊れ物を扱うように私の手を取り、その指先に残る「見知らぬ男の魔力」を検知しようとした。


(……やっぱりハシムだったのね。ゲーム『純七』では、アリアちゃんを『黄金の鳥籠』に閉じ込めるために軍艦まで差し向けてくる極悪……いえ、情熱的な富豪だったけど。……今のターゲットは、どうやら私の技術と、それを持つ私自身みたいね)


「あら、閣下。……あの方はただの『不躾な商談希望者』ですわ。……それよりも、閣下。……私の離れのセキュリティ、穴だらけではありませんこと? シオンがパンケーキを焼いている間に、あんな派手な男に入り込まれるなんて」


「……ぐっ。……返す言葉もない。……今すぐ、本邸から特級の魔導結界師を十名、この離れの周囲に常駐させる」


「……お嬢様。……その必要はございません。……既に、庭園の影には、動くものすべてを切り裂く『影の檻』を二十重に張り巡らせました。……次にあのアラビアンなドブネズミが現れたら、その金貨を喉の奥に押し込んで、沈めて差し上げます」


 私の背後で、シオンが完璧な礼をしながら、背筋が凍るような微笑みを浮かべていた。

 彼の影は、昨夜からずっと私の足元に絡みつき、一寸の隙間も与えまいと執拗に蠢いている。


「……二人とも、落ち着きなさいな。……そんなにピリピリしていては、せっかくのティータイムが台無しですわ。……それに、見てください。……シルが、暑さでバテてしまっているではありませんか」


 私の視線の先では、伝説の聖獣シルが、初夏の帝都の陽気に当てられたのか、舌を少し出して「あつい……」と言わんばかりに大理石の床に腹ばいになっていた。

 自慢の純白の毛並みも、心なしかボリュームを失っているように見える。


「キュゥ……」


(……死活問題だわ。シルのもふもふが、湿気と暑さで損なわれるなんて、全人類にとっての損失よ! それに、アリアちゃんだって、さっきから汗を拭いながら勉強しているじゃない!)


 私は立ち上がり、拳を握りしめた。


「閣下。……緊急の『開発案件』が発生しましたわ。……帝国の軍事用予算と、冷却魔石の在庫をすべて私に開放してください」


「……リリアーヌ? 急にどうした。……旧王国への反撃作戦か?」


「いいえ。……シルのための『快適環境もふもふ維持システム』……。前世の言葉で言うところの、『魔導エアコン』を開発いたしますわ!」


 そこからの私は早かった。

 

 アルベルト(雑用眼鏡)を工房に叩き込み、氷属性の魔石を「気化冷却」の術式で回し、風の魔導具で効率的に冷気を循環させる。

 帝国の技術では、冷気を出す魔法はあるが、「一定の温度と湿度を保つ」という概念が希薄だった。

 

「……師匠! この『サーモスタット』という機構、複雑すぎます! 魔力の供給量を自動で微調整するなんて、精密すぎて回路が焼き切れますよ!」


「黙って手を動かしなさい、アルベルト! ……シルのもふもふの健康がかかっているのよ! ……ここでミスをしたら、貴方の眼鏡を影の中に沈めるようシオンに頼みますわよ!」


「ひぇっ、やります! やらせてください!」


 不眠不休の三日間。

 私は離れの各部屋に、美しく装飾された「冷気吹出し口」を設置し、中央管理システムを完成させた。


 スイッチを入れた瞬間。

 

 ――ふぅぅぅぅぅぅぅ……。

 

 湿気を帯びた熱気が一掃され、森の奥深くのような、清涼で爽やかな空気がリビングを満たした。


「……キュ、キュアァッ!!」


 シルが歓喜の声を上げ、ふかふかの尻尾を振り回しながら、冷気が一番よく当たるソファの上でゴロゴロと転がり始めた。

 その毛並みは、乾燥と冷気によって再び最高級のカシミアのような質感を取り戻している。


「……リリアーヌ様。……これ、すごいです。……頭がすっきりして、お勉強が捗りそうですわ」


 アリア様も、私の開発した「冷感シート」を敷いた椅子に座り、幸せそうに微笑んでいる。

 

「……ほう。……これは、驚いた。……魔導による大規模な環境制御か。……リリアーヌ、これがあれば、砂漠の遠征や極地での軍事行動が劇的に楽になるな」


 ゼノス公爵までもが、離れから帰ろうとせず、私の隣で涼しげな顔をしてお茶を飲んでいる。

 

「お嬢様。……快適すぎて、外に出たくなくなりますね。……このまま、この離れを完全に密封して、お嬢様と私だけで永遠に過ごすのも……」


「シオン、それは却下よ。……それより、シオンの淹れてくれたアイスティー、最高に美味しいわ」


「……っ。……お嬢様にそう仰っていただけるなら、私は氷河まで行って最高級の氷を切り出して参りましょう」


 こうして、離れは帝都で最も快適な「聖域」となった。

 

 だが、そんな平和な時間は、ゼノスの元に届いた一通の早馬によって破られた。


「……閣下。旧王国軍が、国境付近で『演習』と称して軍を集結させています。……その規模、三万。……第一王子エドワードが自ら指揮を執っているとの情報も」


 ゼノスの表情から、温度が消えた。

 

「……ふん。……捨てたはずのリリアーヌが、他国でさらに輝きを増したのが、よほど悔しいと見える。……リリアーヌ、どうする?」


 私は、冷房の効いた快適な部屋で、シルのもふもふな腹部に手を置きながら、不敵に微笑んだ。


「……あら、閣下。……そんな暑苦しい男、この涼しい部屋でじっくりと『詰ませる』作戦を練ってあげますわ。……エドワード王子。……貴方の薄っぺらなプライドも、その軍勢も、一瞬で凍りつかせて差し上げますわよ。ほほほほほ!」


 旧王国の再接近。

 ハシムの警告。

 

 ふふ……。エドワード様、貴方の熱すぎる執着も、その軍勢も、私の冷徹な計算プログラムで一瞬にして凍りつかせて差し上げますわ。……地獄の底まで、涼しくしてあげましょう。ほほほほほ!


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