第32話:聖女アプリ、帝都に拡散。旧王国のスパイ、動く
私が開発した魔導通信機『シル・フォン』の試作機が、帝都の選ばれし「アリア様ファンクラブ」の幹部たち――すなわち、帝国の有力貴族や魔導省の重鎮たち――に配布されてから数日。
帝都の社交界では、今や「板」を覗き込みながら、悦に浸る怪しげな集団が急増していた。
「……おお、見ろ。今日のアリア様の『お目覚めボイス』だ。浄化される……。昨日の徹夜の疲れが、一瞬で吹き飛ぶようだ……」
「私の方は、聖獣シル様が日向ぼっこをしている動画だぞ。この尻尾の動き、計算され尽くした黄金比だ。たまらん……!」
カフェの片隅や役所の休憩室で、いい大人が水晶板を指でなぞりながら悶絶している。
その光景は、前世の電車内を思い出させて、私は少しだけ遠い目になった。
(……ふふふ。計画通り! 情報を制する者は世界を制する。……でも、私が制したいのは、アリアちゃんの『尊さ』の共有ネットワークなのよね!)
私は離れの工房で、メインサーバーとなる巨大な魔導水晶の調整を行っていた。
この『シル・フォン』には、表向きの通信機能の裏に、私の開発した「不純物検知術式」が組み込まれている。すなわち、アリア様への愛がない者、あるいは悪意を持って情報を抜き取ろうとする者を、自動的に特定するシステムだ。
「お嬢様。……また、画面の中に閉じこもって。……私の顔よりも、その無機質な水晶板の方が魅力的なのですか?」
シオンが、私の背後から音もなく忍び寄り、私の首筋に冷たい指先を滑らせた。
彼の瞳には、私の関心が「通信機」という新しいライバルに向いていることへの、隠しきれない苛立ちが渦巻いている。
「シオン、違うわよ。……これは、私たちの『安全』を守るための盾でもあるの。……ほら、見て。今、帝都の北東地区で、不自然なパケット……魔力の断続的な送信が行われているわ」
「……ほう。お嬢様の開発した『玩具』を、勝手に外部へ持ち出そうとするネズミがいるようですね」
シオンの口角が、残酷なまでに美しく吊り上がった。
彼の影が床の上で蠢き、獲物を求めるように波打つ。
「……ゼノス閣下にも連絡が行っているはずよ。……行きましょうか、シオン。……アリアちゃんの最新画像を盗もうだなんて、万死に値する罪だということを教えてあげなきゃ」
私たちはゼノス公爵と合流し、帝都の外れにある古びた宿場へと向かった。
そこには、魔法帝国の技術を盗み出し、旧王国へと持ち帰ろうとするスパイの潜伏先があった。
「……包囲完了だ。……リリアーヌ、君の言った通り、この建物から旧王国の暗号通信が発信されている。……やれ」
ゼノスが冷淡に命じると、騎士たちが一斉に突入した。
中から飛び出してきたのは、旧王国の『隠密部隊』を名乗る男たち。だが、彼らが手にした剣や魔導具は、ゼノスの一振りの手によって一瞬で凍りつき、砕け散った。
「な、何だ!? なぜここがバレた! 帝国の通信傍受能力は、まだ未発達のはずだぞ!」
「……残念だったわね。……貴方たちが手に持っているその『シル・フォン』。……それは、愛のない者が触れると、自動的にGPS……現在位置を私に送信するようになっているのよ」
私は、シオンにエスコートされながら、凍りついたスパイたちの前に立った。
「……それに。アリア様の画像を無断でコピーしようとした形跡があるわね。……シオン、この者たちの『記憶』と『指先』、どういたしましょうか?」
「……お嬢様。……アリア殿の画像を汚そうとしたその卑しい指は、二度とペンも剣も握れないように、影の底で粉砕して差し上げましょう。……記憶の方は、お嬢様への恐怖だけを植え付けて、旧王国のバカ王子の元へ送り返してあげるのが、一番の『ざまぁ』ではありませんか?」
シオンが、スパイの一人の頭を優しく、けれど骨を砕くほどの力で掴んだ。
男の悲鳴が夜の闇に響き渡る。
「……ああああ! 影が……影が脳内に……! 助けてくれ、リリアーヌ様! 俺たちはただ、エドワード殿下の命令で……!」
「……その名前、私の前で二度と出さないでくださる? ……気分が悪くなりますわ」
私は冷ややかに言い放ち、ゼノス公爵に向き直った。
「閣下。……この者たちが持っていた機材はすべて没収してください。……それから、旧王国側に『帝国の通信網に触れる者は、魂まで凍りつく』という公式声明を出すことをお勧めしますわ」
「……リリアーヌ。君の執念は、時として我が国の軍部よりも恐ろしいな。……だが、その冷徹さも、嫌いではない」
ゼノスが私の腰を引き寄せ、氷のような瞳で私を見つめた。
その瞬間、シオンの影がゼノスの足元を激しく削り取り、バチバチと火花が散った。
「……閣下。お嬢様の『防衛活動』に便乗して、距離を詰めすぎではありませんか? ……次はその腕、物理的に切り離しますよ」
「……ふん。……嫉妬深い執事だな。……だが、リリアーヌを守る力があることだけは認めてやろう」
(……はいはい、また始まった。……でも、これで旧王国のスパイ網は一掃できたわね。……アリアちゃんの安全と、私の『スマホライフ』の安寧は守られたわ!)
私は、手元の『シル・フォン』に届いた、アリア様からの「リリアーヌ様、おかえりなさい!」というメッセージと、シルの「もふもふ動画」を見て、幸せな溜息をついた。
旧王国のバカ王子、エドワード。
貴方が送り込んだスパイは、今や私の技術を宣伝するための「生け贄」に過ぎない。
魔法帝国の通信網は、今や悪役令嬢の掌の上で、より強固に、より美しく、そしてより「もふもふ」に進化していくのだった。




