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第23話:ヤンデレ執事の『お嬢様専用』ティータイム

 離れの地下工房には、窓がない。

 代わりにあるのは、私が開発した『擬似太陽光照射パネル』と、常に最適な思考環境を保つための微弱な魔導芳香だ。

 

 カチカチと、魔導ペンの先が羊皮紙を叩く音だけが響く。

 私は今後発表予定の『美肌魔導クリーム』の成分表を、前世の化学知識とこの世界の錬金術を組み合わせて再構築していた。


(……よし、このヒアルロン酸に近い多糖体構造を、アリアちゃんの聖属性魔力でコーティングすれば、浸透圧が十倍になる。……これ、美容業界どころか、医療用軟膏としても革命が起きるわね……!)


 集中力がピークに達し、脳内物質がドバドバと溢れ出す感覚。

 オタク特有の「ゾーン」に入った私は、自分が最後に食事をしたのがいつだったか、最後に水を飲んだのがいつだったかさえ忘れていた。


 ――ガタッ。


 不意に、背後で重厚な銀食器が触れ合う音がした。

 

「……お嬢様。……もう、三回目ですよ。私が『お食事の時間です』と申し上げたのは」


 その声は、地を這うように低く、氷のように冷たかった。

 私は肩を跳ねかせ、恐る恐る振り返った。

 そこには、完璧な執事服の着こなしとは裏腹に、その瞳にドロリとした暗い情熱を宿したシオンが立っていた。


「あ、あら、シオン。……もうそんな時間? ごめんなさい、今ちょうどいいところなの。あと、一時間……いえ、三十分だけ待ってくださる?」


「……一秒も待ちません」


 シオンが音もなく歩み寄り、私の手から魔導ペンを奪い取った。

 そして、私の椅子を力ずくで回転させ、自分の方へと向かわせる。


「きゃっ!? ちょっと、シオン、乱暴よ!」


「乱暴なのは、ご自分の体を厭わないお嬢様の方です。……見てください、この指先。少し震えていますよ。低血糖……いえ、それ以上に、私への『無関心』が過ぎますね」


 シオンは私の膝元に片膝をつき、私の手を両手で包み込んだ。

 彼の体温はいつもより高く、握る力が微かに震えている。……あ、これ、本気で怒らせちゃった時のパターンだわ。


(……やばい。ヤンデレキャラの『放置プレイに対する反動』を失念してたわ。これ、ゲームなら『強制暗転監禁イベント』に突入する選択肢よ!)


「……シオン、怒らないで。……わかったわ、食べるから。お料理をこちらへ持ってきて?」


「いいえ。……自分を大切にできないお嬢様には、ペナルティが必要です。……今から、私がすべて、お口に運んで差し上げます」


 シオンは背後のワゴンから、繊細な刺繍が施されたテーブルクロスを私の膝に広げた。

 そこには、焼きたてのスコーンと、宝石のように輝く自家製ジャム、そして最高級のダージリンが用意されていた。


「……ちょ、ちょっと。アリア様は? 一緒に食べないの?」


「アリア殿は、ゼノス公爵の用意した教師と別室でマナーの勉強中です。……今は、私とお嬢様、二人きりですよ。……邪魔者は、誰もいません」


 シオンは、スコーンを一口大にちぎり、たっぷりのクロテッドクリームと苺のジャムを乗せた。

 それを、私の唇にそっと押し当てる。


「……さあ、あーんしてください。……お嬢様が飲み込むまで、私はここを動きませんよ」


「……っ。……はむ」


 仕方なく口を開けると、濃厚なバターの香りとジャムの甘みが口いっぱいに広がった。

 ……美味しい。悔しいけれど、シオンの作るお菓子は、帝都の有名店をも凌駕する絶品だ。


「……美味しいですか、お嬢様? ……私の愛を、しっかり味わってください。……お嬢様の血となり肉となるものは、すべて私が選び、私が調理したものでなければならない。……それが、私の望みです」


 シオンの囁きが、耳たぶをかすめる。

 彼は私が飲み込むのをじっと見守り、唇の端に付いたクリームを、自分の親指で優雅に拭い取った。……そして、その指を躊躇いもなく自分の唇へ運んだ。


(……ギャーー!! 間接……じゃなくて直接!? これ、全年齢対象の限界を軽々と超えていってるわよ! でも……でも、やっぱり顔がいい。この退廃的な美貌で迫られると、脳の回路がショートしそう……!)


 私は顔を真っ赤にしながら、カップの紅茶を煽った。

 シオンは満足そうに目を細め、今度は私の長い髪を、一房ずつ丁寧に梳き始めた。


「……お嬢様。……時々、恐ろしくなるのです。貴女がこの国の技術を吸収し、誰にも頼らずに生きていける力を手に入れていくことが。……私の役割が、お嬢様の『推し活』を支えるだけの雑用に成り下がってしまうのではないかと」


 シオンの声が、不意に弱々しく震えた。

 彼は私の背中に顔を埋め、深く、深く、私の香りを吸い込んだ。


「……いっそ、この地下工房ごと封鎖してしまいたい。……そうすれば、貴女は私がいなければ生きていけない、か弱い小鳥のままでいてくださるのに」


「……シオン。私は小鳥じゃないわ。……それに、貴方がいなければ、私は美味しいお菓子も食べられないし、面倒な事務作業も全部自分でやらなきゃいけなくなるのよ? ……貴方は私にとって、替えのきかない『最強の執事』なんだから」


 私がシオンの頭をポンポンと叩くと、彼は弾かれたように顔を上げた。

 その瞳には、子供のような無邪気な悦びと、獲物を決して逃がさないという狂気が混濁していた。


「……替えがきかない。……ああ、なんて甘美な響きでしょう。……わかりました。お嬢様が私を必要としてくださるなら、私はどこまでも、貴女の『忠実な猟犬』であり続けましょう」


 シオンは私の足元に膝をつき、靴の先に恭しく口づけを落とした。

 

「……ですが、お嬢様。……今夜は、このまま私の膝の上で眠っていただきますからね。……作業は禁止です。……お嬢様の意識を、すべて私だけで満たしたいのです」


(……はい、今夜の徹夜計画、終了。……まあ、たまにはヤンデレ執事の『お世話(執着)』に身を任せるのも、悪役令嬢の特権かしらね)


 私は諦めて、シオンが用意した「重すぎる愛情たっぷり」のティータイムを満喫することにした。

 

 工房の片隅。

 主人の首元に鼻を寄せて眠る聖獣と、その主人を独占して微笑む執事。

 

 私の「亡命スローライフ」は、どうやら普通のスローライフよりも、ずっと湿度が高くて、熱烈なものになりそうだった。


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