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第19話:暗殺者の影と執事の微笑み

 華やかな夜会の喧騒が、遠く夜の帳に溶けていく。

 皇帝陛下の離宮を後にした私たちの馬車は、静まり返った帝都の目抜き通りを、ゼノス公爵邸へと向かって進んでいた。

 

 車内には、心地よい疲れと、夜会での成功を祝うような穏やかな空気が流れていた。……はずだった。

 隣でアリア様が、慣れない社交の緊張から解放され、私の肩に頭を預けて船を漕ぎ始めている。その寝顔は、まさに天使そのものだ。


(……ああ、アリアちゃん。今日はお疲れ様。帝国の貴婦人たちに囲まれて、大変だったわね。でも、貴女の可愛さは帝国中を虜にしたわ。私のプロデュース、大成功ね!)


 私は彼女の髪をそっと撫で、窓の外に目を向けた。

 月光が石畳を青白く照らし、魔導街灯の光が規則正しく通り過ぎていく。

 だが、不自然なほどに「静か」すぎることに、私は違和感を覚えた。


「……シオン。閣下。……何か、来ますわね?」


「……お気づきになりましたか、お嬢様。流石は私の魂の伴侶。……ええ、下劣な『ドブネズミ』どもが、夜の静寂を汚しに集まってきているようです」


 御者台に座っていたはずのシオンが、いつの間にか客車内の影からスッと姿を現した。

 彼の瞳は、獲物を前にした捕食者のように、暗闇の中で妖しく発光している。

 同時に、並走する馬の上で手綱を引いていたゼノス公爵が、片手を挙げて行進を止めた。


「……全軍、停止。……鼠の掃除だ。一匹も逃がすな」


 ゼノスの氷のような冷徹な声が響き渡る。

 その直後、周囲の建物の屋上や路地裏から、漆黒の装束に身を包んだ集団が、音もなく飛び出してきた。


「――リリアーヌ・アステリア! 並びに偽聖女アリア! 王国の命により、その首、貰い受ける!」


 彼らが放ったのは、魔力を封じる特殊な塗料を塗られた『魔封じの矢』。

 雨あられと降り注ぐ死のつぶてを前に、私は思わずアリア様を抱き寄せた。


(……キターー! 『純七』お約束の、旧王国からの暗殺イベント! これ、ゲームだと選択肢を間違えると護衛キャラが負傷するやつだけど……生で見ると、この殺気、心臓が止まりそうよ!)


 だが、私の心配は杞憂に終わった。

 

「……私の目の前で、お嬢様に飛翔物を向けるとは。……万死に値しますね」


 シオンが指を鳴らす。

 次の瞬間、私たちの周囲の影が物理的な「壁」となって立ち上がり、降り注ぐ矢をすべて飲み込んだ。影は生きて動く泥のように蠢き、矢を粉々に砕いて霧散させる。


「……遅いな、執事。……お前の守りは、受動的すぎる」


 ゼノスが冷笑を浮かべ、馬を降りて一歩前に出た。

 彼が軽く手を翳すと、周囲の大気が一瞬で凍結し、地面から巨大な氷の棘が、まるで意思を持つ剣のように暗殺者たちを目掛けて突き出した。


「ぎゃあああっ!?」「な、何だこの魔法は! 発動速度が異常だ……!」


 暗殺者たちの悲鳴が夜空に響く。

 ゼノスの『解析眼』は、暗闇に潜む敵の魔力配置をすべて把握しているのだ。逃げ場など、最初からどこにもない。


「……お嬢様。あのような粗雑な氷の芸術を眺める必要はございません。……さあ、耳を塞いでいてください。……少しだけ、影の宴を始めますので」


 シオンが私の耳を、温かく、けれど有無を言わせない力で覆った。

 彼の背後から、無数の「影の触手」が伸び、逃げ惑う暗殺者たちの足を、腰を、首を、音もなく絡め取っていく。

 

「……ひっ、影が……影が俺を喰らおうとして……! 助け……っ!」


 暗殺者の声が、影の中に吸い込まれるように消えていく。

 シオンは慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、まるでお嬢様に捧げる歌でも口ずさむかのように、静かに殺戮を遂行していた。


(……ひぇ。シオン、本気すぎるわ。これ、全年齢対象の限界どころか、R15指定くらいの惨状になってない!? でも……でも、私を守るためにここまで狂ってくれるなんて、オタク冥利に尽きるわ……。顔がいいから許される、究極の愛ね……!)


 一方、ゼノスはゼノスで、逃げようとした暗殺者のリーダー格の足を氷漬けにし、冷徹に尋問を始めていた。


「……言え。エドワード王子が、どれほどの報酬で貴様らを雇った? ……まあ、答える必要はない。貴様の脳を直接凍らせて、記憶の断片を読み取れば済む話だ」


「……あ、あ、あああああ!」


 ゼノスの「氷の解析」は、慈悲のかけらもない。

 彼は合理的に、かつ完璧に、旧王国の卑劣な計画の証拠を掴もうとしていた。


 わずか数分の出来事。

 帝都の通りは再び静寂に包まれた。暗殺者たちの姿はどこにもない。影に飲み込まれたか、氷の彫像となって砕け散ったか。


「……終わりましたよ、お嬢様。……ネズミの死骸を片付ける間、少しだけ車内で待機していてください。……汚れたものは、お嬢様の瞳に映すべきではありませんから」


 シオンが優雅に一礼し、私の耳から手を離した。

 その指先には、一滴の返り血もついていない。


「……ご苦労様、シオン。閣下も、助かりましたわ」


 私はアリア様を起こさないよう、慎重に馬車を降りた。

 ゼノスが、氷の剣を消し、私の方へと歩み寄ってくる。


「……リリアーヌ。これで明白になったな。……旧王国は、君たちを『生かして返却する』つもりなど毛頭ない。……殺してでも、その力を独占したいようだ」


「……わかっていたことですわ。あの王子にとって、プライドを傷つけられたことは、国家の損失よりも重いのでしょうね。……情けないことですわ」


 私は、砕け散った暗殺者の仮面の残骸を、冷ややかに見つめた。

 

「……ですが閣下。これで、私も覚悟が決まりましたわ。……守られるだけではなく、こちらからも仕掛けさせていただきます。……旧王国の経済と魔導流通を、内側から食い荒らす『毒』を、明日から調合いたしますわ」


「……毒、か。君らしい解決策だ」


 ゼノスが不敵に笑い、私の肩を抱いた。

 その独占欲に火がついたシオンが、すかさず私の反対側の手を握りしめる。


「お嬢様を汚す毒は、私がすべて飲み干しましょう。……さあ、屋敷へ戻りましょう。お嬢様には、温かいミルクと、私の抱擁が必要です」


「……抱擁はいらないわよ」


 最強のヤンデレ執事と、冷徹な魔導公爵。

 二人の怪物に守られた私は、もはや「悪役令嬢」という枠組みを超え、帝国の闇を統べる存在へと足を踏み入れようとしていた。


(見てなさい、エドワード王子。……貴方が放った刺客は、私の『推し活』の糧にさせてもらうわ!)


 夜の帝都。

 馬車は再び動き出し、私たちの野望はより一層深く、熱く、加速していくのだった。


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