第九話 優しい世界と願いの先へ
朝の空気は前日までと変わらず穏やかだった。
屋敷の庭先ではツキとあかねが落ち着きなく動き回っている。
別れを察しているのか
それとも単に気配が変わったことを感じ取っているのかは分からない。
二匹ともいつもより静のそばを離れようとしなかった。
フォルティナはその様子を眺めながら、小さく息を整える。
(……戻る時、なんだ)
楽しかった時間が確かにあった。
遺跡を歩き、湖畔で笑い、何も背負わずに過ごした時間
「楽しかった」で終わらせてはいけないことも
彼女は分かっていた。
ここで見たもの、感じたもの――
知ってしまった以上、持ち帰る責任のある事実
領主として
訪問者として
一人の人間として
◆◆◆
屋敷の応接用の部屋は、必要以上に格式ばった空間ではないが
フォルティナは自然と背筋を伸ばしていた。
静、セリナが向かいに、フレイアはフォルティナの隣に座る。
一瞬だけ迷ってから、フォルティナは口を開いた。
「……改めて、話しておきたいことがあります」
その声音はこれまでより少し硬い、それでも冷たさはなく
むしろ誠実さが滲んでいる
「今回の訪問は、国家と教会を代表する立場での確認でした」
静は表情を変えず、ただ耳を傾けている。
「空白地帯の主である静さんと」
「観測者女神ルーナフィリスの聖女であるセリナさん」
「そして、その周囲にある在り方を……直接見て判断する必要があったんです」
一度、言葉を切る。
「結論から言います」
フォルティナはまっすぐに顔を上げた。
「脅威はありませんでした」
静かな断言だった。
「害意も侵食の意思も感じられませんでした」
「……それどころか」
ほんの少しだけ言葉に感情が滲む。
「これ以上に慎重で誠実な在り方を……私は知りません」
フレイアがわずかに目を細めた。
その表情には同意の色がある。
「この事実を私は自分の責任で報告します」
「排除すべき存在ではないこと」
「距離を保ちながらも、友誼を結ぶ選択肢があることを」
それは宣言ではなく、意思表示
静は少しだけ驚いたように目を瞬かせ
それから困ったように視線を逸らし、穏やかに笑う
「……うまく言えるか分からないんですけど」
そう前置きし肩の力を抜いたまま続ける。
「僕はここで、ただ普通に暮らしているだけなんです」
「体を壊さずに、毎日ちゃんと食べて、畑を世話して、皆と話して……それだけで」
特別な宣言でも、意思表示でもない。
思いつくままを言葉にしているような口調だった。
「誰かに何かをしたいとか、外に向けて何かを示したいとか……
そういうつもりは、最初からなくて」
「ただ……ここで、無理をせずに暮らせている。それだけなんです」
静はそう言って、ほんの少し照れたように視線を戻す。
「だから……大事に受け取られすぎているなら
それは、ちょっと申し訳ないなって思うくらいで」
拒絶でも、主張でもない。
ただ"今の自分"をそのまま置いたような言葉だった。
フォルティナはその言葉を静かに受け止めた。
(……この人は、本当に)
力を持ちながら、それを誇示しない。
敬われることを求めず
ただ日常を大切にする。
それがどれほど尊いことか。
フレイアが補足するように言葉を添える。
「静さんの支配エリアは、侵入や干渉には反応するけど」
「こちらから何かを奪いに行くことはないわ」
「……見てきた通りね」
それは冒険者としての率直な所感
フォルティナは深く頷く
(……十分だわ)
(これなら、伝えられる)
世界に誤解なく伝えられる。
◆◆◆
出立の準備が整い、フォルティナとフレイアが屋敷の門前に立った頃
静はふと思い出したように口を開いた。
「……あ」
二人が振り向く
「フォルツまで、徒歩だと五、六日はかかりますよね」
フレイアが肩をすくめる。
「ええ。でも問題はありませんよ」
「私が護衛も兼ねていますし
空白地帯の外縁には騎士団も待機しています」
その言葉には自信があった。
実力に裏打ちされた静かな余裕
静は一度うなずき、それから少しだけ考えて続ける。
「フォルツ近くの支配エリアコア経由で
支配エリアコアの外縁までなら転移できます」
「そこからなら、街までは半日もかからないはずです」
押し付けでも、誇示でもない
出来ることを淡々と提示する声音
フォルティナは一瞬、目を見開いた。
「……よろしいのですか?」
「え?」
静はきょとんとする。
「はい、危険はありませんし
送れるなら……その方が楽ですよね」
ミレイアも静かに頷いた。
「安全に帰れるなら、それに越したことはないわ」
フォルティナは、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございます」
それは代表としてではなく、一人の人間としての礼だった。
静が軽く目を閉じ
屋敷コアとフォルツ近郊の支配エリアコアを繋ぐ
空気がわずかに震え、魔力の奔流というよりは
空間が静かに折り畳まれる感覚。
足元に淡い光の紋様が浮かび上がる。
ツキが小さく「にゃ」と鳴き、あかねが静の足元に寄る。
セリナは静かに祈るように目を伏せた。
次の瞬間
景色が柔らかく入れ替わる。
森の匂いが変わり、空気の湿り気が違う。
フォルツ近郊――支配エリアコアの外縁
遠くに街道が伸び、その手前には野営の形跡
整然と並ぶ天幕と旗印
領主騎士団の一行が待機しているのが見える
こちらにまだ気づいてはいない距離、確実に安全圏
フォルティナは息を呑む
(……これが)
明らかに“格”の違う干渉、それでもそこに威圧はない。
安全に運ばれただけ
静は軽く周囲を見渡し頷く
「ここからなら、問題ないと思います」
フレイアが地形を確認し、即座に判断する。
「ええ、安全圏ね」
フォルティナは静へと向き直る。
ここからが本当の別れだ。
ツキが小さく鳴いた。
「にゃ……」
あかねも、その後ろで「みゅ」と短く声を出す。
別れを惜しむような仕草にフォルティナは思わず微笑んだ。
「ありがとう
……あなたたちにも、また会いたいわ」
しゃがみ込んでツキとあかねの頭を優しく撫でる。
二匹とも少し寂しそうに鳴いた。
セリナは穏やかに微笑み、深くは語らず
静の隣に立ちただ見送る。
その姿は聖女としてではなく、一人の優しい女性としてのものだった。
フォルティナは最後に静へ向き直った。
「これは、約束ではありません……私の願いです」
少しだけ間を置いて
「これからも良い関係でいられたらと……」
静は一瞬だけ驚いたように瞬きをしてから、少しだけ照れたように笑った。
「……はい、そういう関係でいられるなら、僕としてはとてもありがたいです」
それで十分
フォルティナは深く頭を下げる
「それでは……失礼します」
「気をつけて」
静の言葉にフォルティナは小さく頷いた。
◆◆◆
フォルティナとフレイアが去っていく。
その背中を見送りながら、静は静かに思う。
また一つ、世界と――静かにつながった気がした。
セリナが隣で小さく呟く
「……良かったですね」
「うん」
静は頷く
「本当に良かった」
ツキとあかねが、もう見えなくなった二人の方を見つめている。
「にゃ……」
「みゅ……」
その姿が少し寂しそうだった。
「きっとまた来るよ」
静がそう言うとツキは小さく鳴いて、静の足元にすり寄ってきた。
屋敷の庭に穏やかな風が吹いている。
木々の葉が揺れ、鳥のさえずりが聞こえ
いつもと変わらない、日常の音
それでも今日は少しだけ違う
世界との距離がほんの少しだけ近づいた。
それを静は確かに感じていた
(……これで、いいんだろうか)
自問する
だが答えはすぐには出ない
今はこの穏やかな日常を守っていくだけ
それで十分だと静は思った。
空は晴れ渡り、柔らかな光が屋敷を照らしている。
ツキとあかねが再び元気に走り回り始めた。
セリナが静かに微笑んでいる。
この場所は変わらない。
でも確かに何かが動き始めている。
静は空を見上げると
風が優しく頬を撫でていく。
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