表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第五話 回復と名付け

屋敷の扉をくぐった瞬間、静は胸の奥でほっと息を吐いた。


結界の内側。

それだけで、外の張りつめた気配が嘘のように遠のいていく。

空気が柔らかくなり、肌に触れる温度も優しい。

ここは自分の場所だ。守られた、安全な場所。


腕の中の小さな重みは、まだ微かに震えていた。

体温は低く、呼吸も浅い。

一刻も早く、温かい場所で休ませてやらなければ。


「……大丈夫。ここは安全だ」


誰に言うでもなく静はそう呟き、寝室とは別の日当たりの良い部屋へと向かった。窓からは柔らかな光が差し込んでおり、床も壁も温かみのある色をしている。

簡易的な寝台に毛布を敷き、その上にそっと黒い子猫を寝かせる。

呼吸は浅いが、途切れてはいない。


――生きている。


それだけで、胸の奥が少し緩んだ。

まだ安心はできないが

少なくとも今は、この小さな命が消えてしまうことはない。



静はステータスを開き、屋敷コアと接続する。


【再購入】の項目を選択すると、懐かしさすら覚える一覧が空中に浮かんだ。

医薬品、包帯、消毒液。どれも見覚えのあるものばかりだ。


そして――

ペット用品


指が一瞬、止まる


「……もしかしてこれ、この子にも使える?」


答えは表示されない。しかし使えない理由も見当たらなかった。

この世界の生き物がどんな体質なのか、まだ詳しくはわからない。

だが、少なくとも見た目は地球の猫と変わらない。

ならば、試してみる価値はある。


静は必要なものを選択し、簡単な手当てを始める。

傷口を丁寧に拭い、消毒し、包帯を巻く。

動作は慣れたもので、手が震えることもない。

昔、誰かの世話をしたときの記憶が、自然と蘇ってくる。


屋敷内に満ちる穏やかな空気のせいか、血はすぐに止まり

傷口も思ったより早く塞がっていく。


普通ならもっと時間がかかるはずなのに

まるで時間が早送りされているかのようだ。


――屋敷コアの影響だろう


女神から与えられた"健康な体"の特性が、屋敷を通してほんの少しだけ他者にも分け与えられている。


完全な治癒ではない。

だが、確かに――効いている。


静は静かに、丁寧に手当てを続けた。

焦る必要はない。ただ、目の前の小さな命を、できる限り助けてやればいい。



どれほど時間が経っただろうか。

小さな気配が、微かに揺れた。


黒い子猫が、ゆっくりと目を開く

金色とも紫ともつかない瞳が、部屋を警戒するように動き

やがて――静を捉えた。


不思議な色の瞳だ。

地球の猫では見たことがない。

だが、その瞳には確かに、意志の光が宿っている。


「……」


一瞬、毛が逆立つ

小さな唸り声

威嚇


それは当然のことだった。

見知らぬ場所で、見知らぬ人間に囲まれている。

警戒するのは、生き物として当たり前の反応だ。


静は動かない。ただ、静かにその場に座ったまま、子猫を見つめる。

威嚇は長く続かなかった。

子猫はふっと鼻を鳴らす。


匂い

朦朧とした意識の中で感じていた

――あの、あたたかさ


自分を拾い上げてくれた、あの温もり。

警戒がすっと解ける。


まだ完全に信頼したわけではないが

少なくとも敵ではないと判断したようだった。


「……大丈夫だよ」


静は動かない。ただ、静かな声でそう告げる。

子猫は一度だけ瞬きをし、再び体を丸めた。

まだ疲れているのだろう。休ませてやらなければ。



しばらくして

小さく腹の鳴る音


静は思わず口元を緩めた。

警戒心よりも、空腹が勝ったらしい。


「……お腹、空いてるよな」


再購入したペットフードを用意し、そっと差し出す。

小皿に盛られたそれは、見た目も匂いも、地球で見たものと変わらない。


最初は警戒するように匂いを嗅いでいた子猫だったが

やがて小さな口で恐る恐る食べ始めた。

一口、また一口、徐々にペースが速くなり、やがて夢中で食べるようになる。


その様子を静は少し離れた場所から見守る。

急かさず、触れすぎず、ただ、そこにいる。


子猫は食べ終えるとふらりと立ち上がり

よろけながら静の方へと近づいてきた。

まだ足取りは覚束ないが、確かに力が戻ってきている。


そして――ちょこんと、足元に座る。


「……選んだ、のかな」

誰にともなくそう呟いた。


この小さな生き物が、自分の傍にいることを選んだ。

逃げようと思えば逃げられたはずなのに、ここに留まることを選んだ。


それは、信頼なのだろうか。

それとも、ただの依存なのだろうか。


わからない

だが、それでもいい。



窓から差し込む月明かりが部屋を淡く照らす。

その光を浴びて、黒い子猫の毛並みがほんのりと紫を帯びて見えた。

昼間は気づかなかったが、光の角度によって

微妙に色が変わる。


まるで、夜空の色を映しているかのようだ。


静は息を呑む。


「……月、か」


静は子猫を見下ろし静かに名を呼んだ。

「ツキ」


反応を見るように、もう一度

「ツキ」


子猫は小さく首を傾げる。

まるで、その名前の意味を考えているかのように。


そして――額に埋め込まれた黒水晶がほんの一瞬、淡く煌めいた。


「……?」

静は目を瞬かせる。


今、確かに光った。

だが、次の瞬間にはもう何事もなかったかのように

静まり返っている。


それでも、胸の奥に微かな引力のようなものが残った。


強い束縛ではない

誓約でもない

ただ――「離れたくない」という感覚


それは自分の感情なのか

それともツキから伝わってきたものなのか、判別がつかない。


静は理由もなくツキを抱き寄せた。

小さな体が、自分の腕の中に収まる。

温かい。生きている。


「気のせい……かな?」


腕の中でツキが小さく喉を鳴らす。

満足そうな、安心したような音。


言葉も、儀式も、契約の宣言すらない。


それでも――

互いを拒まなかったという事実だけが、そこにあった。


知らぬ間に、誰にも告げられず

ただ、自然に

小さな光は、自分の居場所を選んだのだった。


そして静もまた、この小さな存在を受け入れた。


世界は――また少しだけ、変わっていく


一人ではなく、二人の生活へ

静かにだが確実に

カクコムでも先行掲載しています。


もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。


https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ