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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第一章 月に見守られし屋敷

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第六話 ツキと暮らす、音の息吹を感じる日常

朝、屋敷の大きな窓から差し込む光が、ゆっくりと床を撫でていく。


静は胸元にわずかな重みを感じて目を覚ました。

いつもとは違う感覚

温かく、柔らかく、そして確かに生きている重み。


「……?」


視線を落とすと、そこには黒い毛並みの小さな塊があった。

丸くなったツキが、いつの間にか静の胸の上で眠っている。

規則正しい呼吸、微かに上下する小さな体。


昨夜は用意した小さな寝床で大人しくしていたはずだ。

柔らかな毛布を敷いた籠の中で、丸くなって眠っていた。

それなのに朝になったらここにいる。


「……来たんだな」


小さく息を吐くとツキは薄く目を開け、喉をくるると鳴らした。

まるで『おはよう』とでも言うように。


金色とも紫ともつかない瞳が、静の顔をじっと見つめている。

起こす気にはなれず、静はそのまま天井を見上げる。

一人で迎えるはずだった朝が、少しだけ温かい。


こんな朝を迎えるのは、いったいいつぶりだろう。

誰かと一緒に目覚める感覚。

それは懐かしく、そして心地よかった。


日本にいた頃、家族や誰かの気配を感じながら目覚める朝

それは当たり前の普通の日常だった。

今は違う。

異世界に来てからずっと一人、それが悪いわけではない。

静かで、穏やかで、自分のペースで過ごせる。

それでもこの温もりがあるだけで、こんなにも心が満たされるとは思わなかった。


やがてツキがもぞりと動き、静の顎の下に額を擦り寄せた。

すりすりと、甘えるように何度も顔を擦りつけてくる。


「……甘えん坊だな」

そう呟きながらも口元は自然と緩んでいた。

静の手は自然と動き、ツキの背中を優しく撫でる。

こんなに素直に甘えてくる存在がいるというだけで、心が満たされていく。


◆◆◆


身支度を整え廊下に出ると、当然のようにツキもついてくる。

少し歩くたび、すり、と足元に体を寄せる。


まるで離れたくないとでも言うように。

時には足にまとわりついて、歩きづらくなることもある。


「そんなに離れたくないのか?」


問いかけてもツキは答えない。

尻尾を揺らして歩調を合わせる。

静が速く歩けば、ツキは短い脚を一生懸命に動かして小走りでついてくる。

ゆっくり歩けば、のんびりと後ろからついてくる。


支配エリア内の散策も、最近はツキと一緒だ。

静が歩けば、少し遅れて追いかけてくる。

立ち止まれば、隣に座る。

何かに気づくと先へ進み、振り返ってこちらを見る。

まるで「こっちに何かあるよ」と教えてくれるかのように。


(……本当に賢いな)


日本にいた頃に世話をした動物たちより、ずっと。

まるで人間の言葉を理解しているかのような反応を見せることもある。

この世界の生き物は、地球の動物とは違うのかもしれない。


「いや、贔屓目か?」

そう思いながらも、静の視線は自然とツキを追っていた。

小さな体が草の中を進んでいく様子、時折立ち止まって匂いを嗅ぐ様子。

何故かその全てが愛おしく感じられる。


◆◆◆


その日、倉庫区画を確認していた時のこと。

普段は使わない奥の通路へ、ツキがふらりと入っていく。

暗がりの中をまるで何かを知っているかのように進んでいく。


「そっちは――」


呼び止めようとして、静は足を止めた。

倉庫奥の壁際に小さな制御盤が設置されている。

屋敷コアほど大きくはないが、どこか似た気配を感じる。

淡い光を放っており、何かの機能を持っているのは間違いない。


「……補助端末?」


近づくと淡い光が灯り、視界に半透明のステータス表示が浮かぶ。

さっきまでは反応しなかったのに、静が近づいた瞬間に起動する。


【倉庫内専用補助端末】

接続状況:スタンバイ

権限確認:屋敷主・静(登録済)

接続:可否選択


一瞬だけ迷ったが接続を選ぶと、視界に新しい情報が展開される。


倉庫内の簡易マップ

区画表示

温度設定

保管状態の管理項目


操作できそうな項目もあるが、多くはまだ伏せられている。

灰色の文字で『未解放』と表示されているものが大半だ。


(……今は見るだけでいいな)


静は端末から手を離した。

無理に全てを理解しようとする必要はない。

必要になったときに、また向き合えばいい。


足元ではツキが満足そうに尻尾を揺らしている。

これで役目を果たしたとでも言うように

得意げな表情に見えた。


「教えてくれたのかな?」


ツキは小さく鳴いただけだったが、どこか誇らしげに聞こえた。

偶然とは思えなかった。

ツキは何かを知っていて、それを静に伝えようとしている。

そんな気がしてならない。


「ありがとう、ツキ」


静が屈んでその喉元を撫でてやると、ツキは目を細め喉を鳴らした。


◆


午後、静は椅子に腰掛け、ツキを膝に乗せていた。

特別なことはしていない。ただ同じ空間で過ごしているだけだ。

窓の外を眺めたり、本を読んだり、時には何も考えずにぼんやりしていたり。


それなのに以前とは違う。

一人で生きるための屋敷だった場所が、誰かと暮らす場所へ

少しずつ変わっている。


ツキの体温が膝に伝わってくる。

規則正しい呼吸、時折動く尻尾

それらの全てが、この場所に生きている証だ。


「……悪くないな」


静がそう呟くと、ツキは再び喉を鳴らした。

ゴロゴロという音が、静かに響く。それは満足の音であり、安心の音。


外では風が木々を揺らし、枝葉がささやく。

遠くで鳥が鳴き、草が揺れる音がする。


屋敷の中には静かな呼吸が二つ。

人と獣、二つの命が、同じ時間を共有している。


まだ大きな変化はない。

劇的な出来事も、驚くべき発見も、何もない。

けれど――確かに、生活は動き始めていた。


小さな命と共に音の息吹を感じながら。


一人ではなく、二人の日常。

それは静かで、穏やかで、そして温かかった。


静は窓の外を眺めながら、そっとツキの頭を撫でる。

柔らかな毛並みが、指に心地よい。


「これから、よろしくなツキ」


ツキは目を細め、喉を鳴らし続けた。


世界は――

また少しだけ、彩りを増していく。


静の生活はもう一人ではない。

小さな黒い影がいつも隣にいる。

それだけでこの屋敷は温かくなった。

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