第二十五話 賑やかな鍋と思いがけない迎えの約束(後編)
食休みの間、皆はリビングでのんびりと過ごしていた。
ソファの端に腰を下ろしたエナの周りには、いつの間にかツキとルナとサンが集まっていた。ラグの上では満腹のあかねたちがまた、うとうととし始めている。エナはその小さな背中を順番にそっと撫でていった。
「みんな、お腹いっぱいだね」
「くぅん……」
ルナが甘えるように鼻先をエナの手のひらへ押しつけ、サンはエナの膝の上で羽毛をふくらませて丸くなる。ツキはエナの隣にぴたりと座り、満足そうに目を細めていた。
ソファの反対側ではフォルティナとフレイアが、食後のハーブティーを手にぽつぽつと言葉を交わしていた。
「明日は、朝一番の出発ですよね」
「ええ。ギルドの前に馬車が来ることになってるわ。……レオンの顔を思い浮かべると、今から胃が痛いけど」
「ふふ。無理はしないでね、フレイ」
アリアとフィアは床に座り込み、ハルとあかねのお腹を撫でている。ミレイアはルゥを膝に乗せて長い耳をすいてやり、リーナは手帳を広げて、今日の料理を几帳面に書き留めていた。マルはその足元でまだ少し苦しそうに仰向けになっていた。
台所へ向かう前にセリナがエナのそばへ来て、そっと屈み込んだ。
「エナさん。デザートのあとは、お風呂もありますからね。ゆっくり温まってから休みましょう」
「お風呂……ですか?」
エナがきょとんと首を傾げると、セリナは「ふふ、楽しみにしていてくださいね」とだけ微笑んで、静と一緒に台所へと向かっていった。
その後ろをツキがエナの隣からすっと抜け出して、当然のような顔でついていく。
◆◆◆
台所に入ると、静は冷却箱の扉を開けた。
一番よく冷える段から取り出したボウルの中では、昼間に仕込んでおいたアイスが、なめらかに固まっていた。木べらで何度もかき混ぜておいたおかげで、ざらつきもなく、すくうとふんわりと柔らかい。
「わぁ……とても綺麗に仕上がっていますね、静様」
「うん、上手くいったみたいだ。セリナ、果物を切ってもらってもいいかな」
「はい」
セリナが果樹園で摘んできた旬の果物を、彩りよく切り分けていく。瑞々しい赤や黄色、淡い緑の果実が綺麗に並んだ。
静は背の高いグラスにアイスを盛り、その上へ、新しい『醤』で作ったキャラメルソースをとろりとかけた。琥珀色のソースが、アイスの白い肌をゆっくりと伝い落ちていく。
最後に古代麦を炒って蜂蜜を絡めたカリカリの粒を、ぱらぱらと散らした。
「醤のキャラメルに古代麦の粒……。甘い香りの中に香ばしさがあって、とても美味しそうです」
「でしょ? あとは果物を乗せて……」
静は皆の分に果物を添えていき、それから最後のひとつのグラスを手に取った。
そのグラスにだけは、少しだけ多めに。赤い実を縁に並べ、黄色い果肉を花びらのように重ね、てっぺんには一番形の良い果実をちょこんと乗せる。
その手元を見ていたセリナが、くすりと微笑んだ。
「エナさんの分ですね」
「うん。思いっきり華やかにしようと思って」
セリナは何も言わず、ただ嬉しそうに目を細めた。
続いて昨日作った甘味も小皿へと移していく。醤入りのみたらし団子に、二色大判焼き、それから古代麦と木の実の蜂蜜バー。皆のお腹の具合を考えて、どれもひと口ずつの、味見ほどの大きさに切り分けた。
調理台の足元ではツキが果物の切れ端をもらえるのを期待して、じっと待っていた。
「にゃ」
「はいはい、ツキの分もちゃんとあるよ」
静が小さく切った果物を小皿に乗せてやると、ツキは「にゃん」と満足そうに鳴いた。
最後に静は冷却箱から麦茶のピッチャーを取り出した。ガラスの表面に、細かな水滴がうっすらと浮いている。
「甘い物のあとは、さっぱりした麦茶がいいよね」
「はい。皆さん、きっと喜ばれます」
二人はトレイを手にリビングへと戻っていった。
◆◆◆
「お待たせ、デザートだよ」
静とセリナがトレイを運んでくると、リビングの空気が一瞬で華やいだ。
さっきまでラグの上で転がっていた幼体たちも、ぱっと身を起こして集まってくる。フィアも「待ってました!」と飛び起き、すっかり別腹の準備は整っているようだった。
テーブルに果物で彩られたグラスがひとつずつ並べられていく。
そしてエナの前に置かれたグラスを見た瞬間――エナはぴたりと固まった。
縁に並んだ赤い実。花びらのように重なった黄色い果肉。とろりと伝う琥珀色のソースに、きらきらと散った香ばしい粒。てっぺんには宝石のような果実がひとつ。
「……た、食べるのが……もったいないです……」
グラスを両手で包んだまま動けずにいるエナに、セリナが優しく微笑みかけた。
「ふふ。静様が、エナさんのために盛り付けてくださったんですよ」
「えっ……!?」
エナが驚いて顔を上げると、静は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「せっかく初めて来てくれたからね。溶けないうちに食べてね」
「……はい! ありがとうございます、静さん!」
エナは意を決したように匙を手に取り、アイスとソースを一緒にすくって、そっと口へ運んだ。
ひんやりとした冷たさと、なめらかな甘さ。その奥から、キャラメルのほろ苦さと、香ばしい醤のコクがふわりと広がる。そこへカリッと弾ける古代麦の粒。
エナは目を閉じ頬に手を当てて、うっとりと息をついた。
「……冷たくて、甘くて……口の中で、いろんな味がします……」
「でしょ〜! 静のデザート、すっごいんだから!」
なぜかフィアが得意げに胸を張り、自分のグラスへと匙を突っ込んだ。
「ん〜っ! 冷たい! 甘い! お腹いっぱいだったのに、全然入る〜!」
「別腹って、本当にあるのね……」
アリアが呆れたように言いながらも、その匙を口へ運ぶ手は止まっていない。
フォルティナはひと口ごとに目を細めていた。
「醤がキャラメルになると、こんなに優しい味になるのですね……。この粒は古代麦ですか?」
「うん。炒って、蜂蜜を絡めてあるんだ」
「香ばしくて、とても美味しいです」
小皿に取り分けられた甘味にも、皆の手が伸びていった。
フォルティナとフレイア、そしてエナの三人は、二色大判焼きの小さなひと切れを前に揃って首を傾げていた。
「右と左で、中身が違うのよね?」
「どちらからいただけば……」
フレイアとフォルティナが迷っている横で、エナはちらりと隣の師匠を見た。昨日の夜、師匠がどうやって食べたのかを、エナは知らない。けれど、師匠ならきっとこうする――そんな気がした。
エナは大判焼きのちょうど真ん中から、そっとひと口かじった。
「……あっ。両方の味がします!」
「あっ、セリナと同じ食べ方だ!」
フィアが声を上げると、セリナの頬がふわりと赤く染まった。
「わ、私と同じ、ですか……?」
「昨日のセリナとまったく一緒よ。さすが師弟ね」
アリアがくすくすと笑い、ミレイアも「ふふ、似てくるものなのね」と目を細める。
何のことか分からずにきょとんとしているエナの隣で、セリナは照れくさそうに、けれどとても嬉しそうに微笑んでいた。
フレイアは古代麦と木の実の蜂蜜バーをひと口かじり、その歯ざわりを確かめるように頷いた。
「これ、探索の携行食にちょうど良いわね。日持ちもしそうだし、腹持ちも良さそう」
「今日のお弁当にも入ってたんだよ♪ 探索の合間に食べたら、元気が出たもん!」
フィアが得意げに言うと、フレイアは「さすが静さんね」と感心したように蜂蜜バーを見つめた。元最上級冒険者の目には、それがどれほど実用的な品か、よく分かるらしい。
床の上では小さく取り分けてもらった甘味を、七匹の幼体たちが夢中で味わっていた。ツキはルナとサンの間に座り、果物の切れ端を二匹の方へそっと押しやっていた。
麦茶のグラスの中で、氷がカランと涼しげな音を立てた。
◆◆◆
デザートの器がほとんど空になった頃。
静がふと思い出したようにフレイアの方を向いた。
「フレイアさん。明日の道中用に、麦茶と焼きおにぎりを少し包んでおきましたから。帰る時に渡しますね」
「本当!? 助かるわ、静さん。さっきの焼きおにぎり、道中で食べられたら最高だなって思ってたのよ」
フレイアがぱっと顔を輝かせると、静は嬉しそうに笑い、それから何気ない調子で続けた。
「そういえばフレイアさん、王都って結構遠いんでしたっけ?」
「ええ、普通の馬車で五日ほどね。今回はギルドの用件だから、ギルドの高速魔道馬車を使うので三日ほどね」
フレイアは麦茶をひと口含んでから、肩をすくめた。
「緊急転移は本当に緊急の時しか使えないもの。今回はただの書類仕事だしね」
「高速魔道馬車で三日かぁ……結構かかるんですね」
静は顎に手を当てて、少しだけ考え込んだ。
「ん〜、行きは無理だけど……帰りなら大丈夫だよなぁ」
ぼそりと呟かれたその一言に、フレイアがグラスを持ったまま首を傾げた。
「帰りが大丈夫って?」
「あっ、転移なんだけど、実は少し便利になって。俺一人なら『星の守り』を持っている人のところまで行けるようになったんですよ」
静はまるで新しい調理器具を手に入れた話でもするかのように、何でもない調子で答えた。
しん、とリビングが静まり返った。
フレイアの手の中で、グラスが止まっている。長い耳がぴくりとも動かない。
フォルティナの手元では麦茶のグラスの氷が、カラン、と小さく鳴った。
二人とも、言葉を失ったまま、ただ静の顔を見つめていた。
セリナもまた、驚いたように目を瞬かせていた。
「まあ……。それで、あの時……」
アリアたちが大樹の北側で祠を見つけた日。連絡板の返事が届いたのとほとんど同時に、静が現れたのだと聞いていた。その理由をセリナは今ようやく知ったのだった。
けれどセリナはすぐにふわりと表情を和らげた。驚きはしても、それが静様なのだと、もうよく分かっている。
一方の静は固まってしまった二人を見て、不思議そうに首を傾げていた。
(あれ? 何かまずいことでも言ったっけ?)
その様子を眺めながら、アリアたちは揃って内心で苦笑していた。
(静からしたら大したことなくても、下手したら国の防衛にかかわる重大事項よね)
リーナは手帳の端を指先でとんとんと叩きながら、頭の中であの日と同じ計算をもう一度なぞっていた。
(一度でも王都へ行ってしまえば、王都は静にとって『行ったことのある場所』になる。……つまり、その後は私たちも、いつもの転移で一瞬なのよね)
そんな中でもミレイアだけは楽しそうに、こっそりとフレイアへ顔を寄せた。
「ほらね。私、姉さんが王都にいる時でも合流できそうって言ったでしょう?」
「……ミレイア。あなた、知ってたのね」
フレイアがかろうじて絞り出した声に、ミレイアは「ふふっ」と上品に微笑むだけだった。
そしてエナはパフェの最後のひと口を大事そうに味わい終えたところで、ようやく顔を上げた。話は半分くらいしか聞いていなかったが、なんとなく『静さんがすごいことをできるようになった』らしいことだけは分かった。
「静さん、すごく便利なんですね!」
「でしょ? 俺もそう思うんだ」
無邪気に感心するエナと、嬉しそうに頷く静。その二人の温度と、固まったままのフレイアとフォルティナの温度があまりにも違って、アリアとフィアは思わず顔を見合わせ、肩を震わせた。
やがてフォルティナがようやく我に返ったように、そっとグラスをテーブルへ置いた。
「静さん……あの、星の守りの場所に行けるというのは……静さんが行ったことのない場所でも、ですか?」
「ええ、そうなんですよ。だから、すごく便利になって。アリアたちが探索に行った時のお迎えとかに良いんですよね」
静は嬉しそうに答えると、さらに楽しそうに言葉を続けた。
「一回行っちゃえば、皆でまた行けるし、お昼ご飯の後とか、翌日の探索の再開にもいいんですよ。だから、フレイアさんが良ければ……帰りはお迎えに行きますよ?」
便利になったのが本当に嬉しいのだろう。静の顔は、新しい料理を思いついた時と、まったく同じ笑顔だった。
フレイアはそっと胃のあたりに手を当てた。
足元では、何も知らないツキが「にゃ」と短く鳴いて、満足そうに尻尾を揺らしていた。




