第十五話 午後の来訪者と小さな約束
フォルツの仮設診療所。
昼の休憩を終えたあと、エナは入り口の木札を手に取り、朝に自分で書いた『本日の対応者:エナ(午前のみ)』の横へ、少し考えてから『/セリナ(午後)』と書き足した。師匠の名前を自分の字で書くのは、なんだか少しだけ照れくさい。
午後の診療が始まってしばらく経った頃。広場の端に立つ大きな楡の木が、傾き始めた日差しを受けて、診療所の窓辺へ柔らかな木漏れ日を落としていた。
その木陰の下を、ひとりの女性がゆったりとした足取りで歩いてくる。
陽に透ける金の髪を軽やかに揺らし、すらりと伸びた背筋に、エルフらしい長い耳。歩くだけで周囲の空気がすっと澄んでいくような、優美な佇まい——冒険者ギルド・ルミエール本部のギルドマスター、フレイア・ノートだった。
フレイアは診療所の前で足を止め、扉の脇に掛けられた木札に目をとめた。
『本日の対応者:エナ(午前のみ)/セリナ(午後)』
書き足された一行だけ、ほんの少し文字が大きい。それを見て、フレイアの口元がふっと緩んだ。
「あら……今日はセリナさんが来ているのね。少し顔でも見ていこうかしら」
「ぴぴっ!」
肩の上から、可愛らしい声が弾んだ。薄黄色の羽毛をふくらませた小鳥——サンが、賛成とばかりに小さく羽を震わせる。
フレイアが木製の扉を静かに押し開けて中を覗き込むと、受付の奥から少女が素早く立ち上がった。
ちょうど患者の途切れた時間帯だったのか、室内には乾かした薬草のすっとした香りと、穏やかな静けさが広がっている。少女は丁寧にお辞儀をすると、相手を気遣うような澄んだ声で話しかけてきた。
「こんにちは! 今日はどのようなご症状でしょうか?」
足元から順に、顔色、立ち姿へ。相手の様子をそっと確かめるような視線の運びに、フレイアは内心で小さく感心した。
(ちゃんと、まず相手を見ているのね)
「こんにちは。ふふ、ごめんなさいね。今日は治療をお願いしに来たわけじゃないの。表の札にセリナさんの名前があったから、少しお顔を見ようかと思って立ち寄っただけなのよ」
フレイアが柔らかく微笑むと、少女——エナは、ぱっと親しみやすい笑顔を浮かべた。
「師匠にご用ですね! ちょうど患者さんもいらっしゃいませんので、奥から呼んできますね。少々お待ちください!」
「あら、無理に呼び出さなくても大丈夫だったんだけど……」
言い終える前に、エナはもうぱたぱたと奥へ駆け出していた。
その元気な背中を見送りながら、フレイアは肩の上へ視線を向ける。
「……行っちゃったわね、サン」
「ぴぴっ!」
サンも羽をぱたぱたと揺らし、同意するように鳴いた。
◆◆◆
診療所の奥の調剤室では、セリナが薬草の選別をしていた。乾いた葉を一枚ずつ光にかざし、色の悪いものを丁寧に取り除いていく。足元ではツキが、籠からこぼれた葉の切れ端を前脚でちょいちょいとつついていた。
そこへエナが嬉しそうに飛び込んできた。
「師匠! お客様がいらっしゃっていますよ!」
「お客様ですか? どなたでしょうか?」
セリナが顔を上げると、エナは「あ……!」と可愛らしく口元を押さえた。
「すみません、お名前をお聞きするのを忘れてしまいました……! え、えっと、すごく綺麗で、品のある女性の方でした! 耳がこう、すっと長くて……あと、肩に可愛い小鳥さんが乗っていて……!」
身振り手振りで一生懸命に伝えようとするエナに、セリナはくすりと笑った。耳の長い女性で、肩には小鳥。心当たりはひとりしかいない。
「ふふっ。いつもしっかりしているエナさんでも、うっかり忘れてしまうことがあるのですね」
「うぅ……患者さんだったら、ちゃんと最初にお名前を伺うんですけど……」
「大丈夫ですよ。きっと、私のよく知っている方ですから」
セリナは愛弟子の素直な反応に愛おしそうに目を細めると、手を綺麗に拭って立ち上がった。ツキも遊んでいた葉の切れ端を放り出し、すっと耳を立てる。
「それではお待たせするのも申し訳ありませんから、一緒に行きましょうか」
「はい、師匠!」
◆◆◆
二人が受付へと向かうと、待合の長椅子に腰掛けていたフレイアが、ぱっと表情を和ませた。
「やっぱり、フレイアさんでしたね。こんにちは。今日はどうされたのですか?」
「こんにちは、セリナさん。ギルドからの帰りに近くを通ったら、表の札にセリナさんの名前があったから。……お仕事中に、お邪魔じゃなかったかしら?」
「まあ、お邪魔だなんてとんでもありません。お会いできて嬉しいです」
肩の上のサンも「ぴぴっ!」と元気に挨拶した。そしてセリナの足元からすっと進み出たツキを見つけると、サンはぱっと肩から飛び立ち、ツキの前へふわりと舞い降りた。
ツキも「にゃにゃ♪」と、妹を迎えるように愛らしく鳴く。
サンが「ぴぃ……♪」と甘えた声を漏らしながら、ツキのふかふかの胸元に小さな頭をすりすりと擦りつけると、ツキもお姉ちゃんらしく「にゃん」と目を細め、サンの頭の羽毛を丁寧に舐めて整えてやった。額の小さな雷晶のまわりまで、念入りに。
その睦まじい光景を横で見ていたエナは、両手を胸の前でぎゅっと握り締めた。
「わぁ……すごく可愛い……! ツキちゃん、お姉ちゃんみたいです……!」
「ええ。実際、この子にとってはお姉ちゃんみたいなものなのよ。……サン、少しは遠慮しなさいね」
フレイアが苦笑まじりに言っても、サンは聞こえないふりをしてツキの胸元に潜り込んでいる。ツキの方も、まんざらではなさそうに尻尾をゆったりと揺らしていた。
「せっかく来ていただいたのですもの。良かったら奥でお茶でもいかがですか? ちょうど患者さんも途切れておりますし」
「ええ、ありがとう。それじゃあ、少しだけお言葉に甘えようかしら」
セリナはフレイアを、診療所の奥にある静かな休憩室へと案内した。ツキが当然のような顔でその後に続き、サンもぴょこぴょこと跳ねるようにツキのあとを追いかけていく。
◆◆◆
休憩室は小さな窓がひとつあるだけの簡素な部屋だった。けれどその窓の外にはちょうど楡の枝が伸びていて、揺れる葉の影が木漏れ日となって、床や卓の上にまだらな模様を描いている。
セリナが皆の分のお茶を淹れようと茶葉の缶に手を伸ばすと、エナがすすっと前へ出た。
「師匠、お茶は私が淹れてきますね! 師匠はお客様とお話ししていてください!」
「まあ……では、エナさん。お言葉に甘えてお願いしてもよろしいですか?」
「はい! お任せください!」
弟子の健気な気配りに、セリナは嬉しそうに目を細めた。エナが茶葉の缶を大事そうに抱えて給湯場へ向かうのを見送ってから、セリナはフレイアの向かいの長椅子へと腰を下ろす。
ツキは窓辺の木漏れ日がいちばん暖かそうな場所を選んで丸くなり、サンもその脇腹にぴたりと寄り添って羽をふくらませた。
「ギルドのお帰りということは、何かお仕事をされていたのですか?」
「ええ、まあね。……実は、近いうちに一度王都へ戻ることになりそうなのよ」
フレイアは苦笑いを浮かべると、懐から小さな通信用の魔道具を取り出し、卓の上にそっと置いた。表面に浮かんだ短い文字列が、淡く光っている。
――《決裁待ち多数》
――《御帰還を乞う》
――《至急》
「本部のサブマスターのレオンからよ。普段は何があっても落ち着き払っている子なんだけど……ここまで続けて送ってくるなんて、よっぽど溜まっているみたいね」
「まあ……」
セリナは並んだ短い文字を見つめ、思わず口元に手を添えた。最後の『至急』の二文字に、文面からはうかがえない切実さがにじんでいる気がする。
「本部の実務は、ほとんどレオンに任せてあるの。ただ、どうしても私の署名がないと通せない書類っていうのがあってね。フォルツに腰を据えてから、そういうものだけが少しずつ、本部の机に積み上がっていったみたい」
「それは……大変ですね。近いうちに向かわれてしまうのですか?」
「ええ。でも数日集中して片付けたら、またすぐにフォルツへ戻ってくるわ。私には、こちらでの仕事もあるもの」
フレイアは魔道具を懐へ仕舞いながら、さらりと言った。その『こちらでの仕事』という言葉の中に、ギルドの業務だけではない、いくつもの大切なものが含まれていることを、セリナはなんとなく感じ取っていた。
「そうなのですね。お忙しくなりそうですが、どうぞお体を大切にしてくださいね。……また王都から戻られて落ち着きましたら、静様や皆さんと一緒に、大樹へ気分転換に遊びに行きましょう」
「ええ、ぜひそうさせていただくわ! ティナも次に大樹に行くのを、本当に楽しみにしているもの」
フレイアが声を弾ませると、セリナもふわりと微笑んだ。
「そういえば、静様が今日、バルドランさんの新しい醤を使って、何か試作をしてみるとおっしゃっていました。きっと、また美味しいものが出来上がっていると思いますよ」
「……あの醤で静さんの試作」
フレイアの瞳が、一瞬だけきらりと光った。
「それは聞き捨てならないわね。王都へ発つ前に、なんとしても味見させてもらわなくちゃ」
「ふふっ。では、静様にお伝えしておきますね」
「お願いね。書類の山に向かう前の、何よりの励みになるわ」
二人が和やかに言葉を交わしていると、湯気の立つカップをお盆に乗せたエナが、少し緊張した面持ちで入ってきた。お盆の上の水面が揺れないよう、一歩一歩、慎重に足を運んでいる。
「お待たせいたしました。温かいお茶が入りましたので、どうぞ召し上がってください」
カップを卓へ丁寧に並べ終えると、フレイアは香りを確かめるように一口含み、優しく目を細めた。
「ありがとう。……美味しいわ。ちゃんと茶葉が開くまで待ってから、注いでくれたのね」
「えっ、分かるんですか!?」
「ふふ、これでも長く生きているもの。……ねぇ、良かったらあなたも一緒に座って、お話ししてくれないかしら?」
「えっ……私ですか!?」
エナが一瞬驚いてセリナの方をちらりと見やると、セリナも温かな眼差しで頷いた。
「エナさん、どうぞこちらへ座ってくださいね」
「は、はい! 失礼します……!」
エナが緊張した様子でセリナのとなりにちょこんと腰掛けると、フレイアは楽しそうに尋ねた。
「セリナさん、この子が、前に話してくれていた可愛らしいお弟子さんかしら?」
「はい。こちらがエナさんです。治癒魔法の腕も確かで、毎日ここで患者さんたちを助けてくれているんですよ。……エナさん、こちらの方はフレイアさんです。王都の冒険者ギルドのマスターをされていて、今はこちらのフォルツで活動されていることが多いんですよ」
「ぎ、ギルドマスター……!?」
紹介を受けたエナは目をまんまるにすると、背筋をぴんと伸ばして勢いよく立ち上がった。
「セリナ師匠の弟子をさせていただいています、エナと申します! よろしくお願いいたします!」
少し上ずった声で懸命にお辞儀をするエナに、フレイアはふっと表情を和らげた。
「初めまして、エナちゃん。丁寧に挨拶してくれてありがとう。セリナさんから、あなたの頑張りはよく聞いていたのよ」
窓辺のサンも、ツキの脇腹から顔だけをひょこりと出して「ぴぴっ♪」と鳴いた。『よろしくね!』と言っているかのような、元気な声だった。
「えっ!? 師匠からですか……!?」
驚いてセリナの顔を見るエナに、セリナは何も言わず、ただ誇らしそうに優しく微笑み返した。エナは照れくさそうに頬を赤らめながらも、とても嬉しそうに胸を撫で下ろす。
その拍子に、エナの胸元で何かがきらりと光った。
小さな銀の台座に収められた、淡い金色とアメジスト色の結晶。それを抱くように添えられた、黒猫を象った灰色の水晶。
フレイアの視線が、ほんの一瞬だけ、そこで止まった。
繊細でいて、どこか温かみのある銀の細工。自分の髪に留めている瑠璃色の髪留めと、まるで同じ手が作ったかのような——いや、間違いなく同じ手によるものだ。そして結晶の奥に宿る、澄みきった魔力の気配。
(……静さん。これはまた、随分なものを)
胸の奥で、そっと息をつく。けれどフレイアの微笑みは、小揺るぎもしなかった。
「素敵なペンダントね、エナちゃん」
「あっ……はい! 師匠から、弟子の証にいただいたんです! 私の宝物です!」
エナはペンダントを両手でそっと包み込み、心から誇らしそうに笑った。
その笑顔を見て、フレイアは胸の中の言葉を静かに仕舞い込んだ。この子にとって大切なのは、これがどれほどの品かではなく、師匠から贈られた『証』であること。それで十分だった。
「ええ、とてもよく似合っているわ。大切にしてね」
「はい!」
◆◆◆
その後、お茶を挟みながら、三人(と二匹)は時間を忘れて歓談した。
エナが初めて治癒魔法を使えた日のこと。最初は患者さんの前に立つだけで手が震えたこと。師匠に教わって、まずはどこがどう痛むのかを聞くようにしたら、少しずつ落ち着いて診られるようになったこと。
一生懸命に話すエナの言葉に、フレイアは一つひとつ丁寧に相槌を打った。
「痛む場所をちゃんと聞いてくれる治療師はね、冒険者にとっては何よりもありがたいものなのよ。怪我をした本人は焦っていて、自分でもどこが悪いのかよく分かっていないことが多いから」
「そうなんですか……?」
「ええ。昔、私が前線に出ていた頃もそうだったわ。腕のいい治療師ほど、まずは話を聞いてくれたものよ」
元最上級冒険者の言葉に、エナは目を輝かせて何度も頷いた。セリナはそんな二人を、隣で嬉しそうに見守っている。
やがて話題が、フレイアの王都行きのことに戻った。
「王都までは、馬車で何日もかかるんですよね……」
「そうね。行って、書類を片付けて、帰ってくるだけでも、それなりの日数になってしまうわ」
フレイアがそう答えると、エナはふと、窓の外へと視線を向けた。楡の枝の向こう、街の外へと続く街道のある方角を、ほんの少しだけ。
すぐに視線を戻したエナは、何事もなかったように「お気をつけて行ってきてくださいね」と笑った。けれどフレイアは、その一瞬を見逃さなかった。
ちらりとセリナの方を見ると、セリナも小さく困ったように微笑んでいる。
(……なるほど。王都の方角に、帰りを待っている誰かがいるのね)
フレイアは何も言わず、ただ目元を和らげて、温かなお茶をもう一口含んだ。
窓辺では、すっかり陽だまりに溶けたサンが、ツキの脇腹にくるまって「ぴゅ……」と小さな寝息を立て始めていた。ツキは片目だけを開けてそれを確かめると、尻尾をそっとサンの上へ掛けてやる。
「あらあら……すっかり寝ちゃったわね」
「ふふ。ツキも、起こさないようにじっとしてくれていますね」
木漏れ日がゆらゆらと揺れる窓辺で、黒い毛並みと薄黄色の羽毛が、ひとつの小さな塊になって寄り添っていた。
◆◆◆
窓から差し込む光が少しずつ角度を変え始めた頃、フレイアはカップを置いて立ち上がった。
「それじゃあ、私はそろそろ戻るわね。……サン、帰るわよ」
声をかけると、サンは「ぴゅ……?」と寝ぼけた声を漏らし、名残惜しそうにツキの毛並みへ顔をうずめた。ツキが鼻先でその小さな背中をそっと押してやると、ようやくサンはぱたぱたと羽ばたき、フレイアの肩へと舞い戻る。
「エナちゃん、美味しいお茶をありがとう。王都から戻ったら、また寄らせてもらうわね」
「はい! その時は、もっと美味しいお茶を淹れてお待ちしています!」
エナが胸の前でぎゅっと両手を握って答えると、フレイアは楽しそうに目を細めた。
「ふふ、約束よ。楽しみにしているわ」
「はい、約束です!」
「セリナさんも、ありがとう。大樹のことと、静さんの試作のこと、よろしくね」
「はい。どちらも、しっかりお伝えしておきますね」
フレイアはサンとともに温かな笑顔で手を振り、楡の木漏れ日の中を、ゆったりとした足取りで広場の向こうへと去っていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、エナは診療所の入り口で、大きく手を振り続けていた。
◆◆◆
フレイアを見送ったあとは、夕方に向けて再び訪れた数人の患者たちを診る時間となった。
午後の診察は約束どおりセリナが中心となって行い、エナはそのすぐ隣で手元を見学する。患者への声のかけ方、手をかざす位置、魔力を流す早さ。エナは一つも見逃すまいと、真剣な眼差しで師匠の手元を見つめていた。
最後にやってきたのは、片足を引きずった荷運びのおじさんだった。
セリナは足首の具合をそっと確かめると、隣のエナを振り返った。
「軽い捻挫ですね。……エナさん、魔力もそれほど使いませんから、これだけお願いしてもよろしいですか? 今日の治療は、これで最後ですよ」
「はい、師匠!」
エナはぱっと顔を輝かせ、おじさんの前にしゃがみ込んだ。
「おじさん、いつ頃ひねっちゃいましたか? 歩く時に痛みますか?」
「ああ、昼過ぎに荷車から飛び降りた時にな。踏ん張ると、ずきっとくるんだ」
「分かりました。少し温かい感じがしますけれど、じっとしていてくださいね」
エナが真剣な表情で手をかざし、丁寧な魔力制御で治癒魔法をかけていく。胸元のペンダントが淡く光を帯び、中央の結晶がすうっと細い縦長の瞳の形へと変わった。
セリナはそのすぐ後ろに立ち、静かに見守りながら「ええ、その力加減で丁度良いですね」と優しく助言を添えた。
「おお……踏ん張っても痛くねぇ。ありがとうよ、嬢ちゃん先生」
「ふふ、良かったです! でも今日は、重い荷物は運ばないでくださいね」
「はっはっ、こりゃあ敵わねぇな」
おじさんが頭を掻きながら帰っていく頃には、傾いた陽の柔らかな茜色の光が、診療所の窓から差し込んでいた。
「ふぅ……! 今日もたくさんの方を診ることができました!」
エナは達成感に満ちた笑顔で、うーんと大きく伸びをした。
「はい、今日もお見事でしたよ、エナさん」
セリナが優しく労うと、エナはぱたぱたと走っていき、入り口の木札をくるりと返して『本日の診療は終了しました』の表示へと変える。
受付の台の上には、今日一日で街の人々から届いた差し入れが、まだ溢れんばかりに並んでいる。朝採れの葉物に艶々とした根菜、焼き立てだったパンの包み、甘い香りを放つ熟した果物。お昼ご飯に使わせてもらった分を差し引いても、ちっとも減った気がしない。
「師匠、このたくさんの差し入れ……今日も私と師匠だけでは食べきれませんね」
エナが困ったように苦笑いすると、セリナは優しく微笑んで頷いた。
「そうですね。街の皆さんの温かなお気持ちですから、無駄にはできませんものね。……エナさん、片付けが終わったら、孤児院へ持って行きましょうか」
「はい、師匠! みんなきっと大喜びします! ……あ、それに、帰ったら庭の霊桃の芽にもお水をあげないと」
小さく付け足したその一言に、ほんのりと優しい響きが混じっていたのを、セリナは聞き逃さなかった。けれど何も言わずに、ただ「ええ、そうですね」と微笑んで頷く。
足元のツキも「にゃん!」と弾んだ声で鳴き、夕暮れの光に包まれる診療所には、今日も変わらない温かな笑顔が広がっていく。




