第十四話 思いがけぬ訪問と眠れる祠の目覚め
柔らかな光の粒子がすっと空気の中に溶けて消えると、アリアたちの目の前には、ほんの少し前まで連絡板の向こうにいたはずの静が、ごく当たり前のように立っていた。
静は岩に囲まれた小さな空洞をきょろきょろと見回し、天井の隙間から差し込む細い光の筋を見上げて「へぇ、こんなところなんだね」と感心したように呟く。それから何でもないことのように首を傾げ、アリアへと問いかけた。
「アリア、祠を見つけたって言っていたけれど、どこにあるの?」
「……静の、後ろよ」
連絡板を握りしめたまま、アリアはかろうじてそれだけを答えた。
静が振り返ると、苔むした小さな屋根を戴く石造りの祠が、すぐ背中のあたりで静かに佇んでいる。
「あ、本当だ。ちょうど目の前に出ちゃったみたいだね」
のんびりと笑う静の顔と、手の中の連絡板に浮かんだままの【静:見たい!すぐに行くよ】という文字を、アリアは目を丸くして何度も見比べた。
「え……? ちょっと待って。静、なんでここに居るのよ!? 今、返事が来たばっかりよね!?」
「ちょっと、静! 今のがもしかして、今朝言っていた『新しい転移』なの!? どうやってここまで来たのよ!?」
手帳を抱えたリーナも、普段の落ち着きはどこへやら、素で声を裏返らせて静へと詰め寄る。
ミレイアもサファイア色の瞳を驚きに揺らし、腕の中のルゥを抱き直しながら、呆れたように苦笑いを浮かべた。
「……静って、本当に私たちが想像もしないようなことを、突然やってのけるわねぇ」
そんな中、フィアだけはマイペースに猫耳をぴこぴこと揺らし、パッと表情を輝かせた。
「あっ、ねぇねぇ静〜! 試作品の美味しいやつ、持ってきてくれたの!?」
突然現れた静を見たフィアの頭の中は、驚きではなく『新しい料理』への期待でいっぱいだった。
「フィア……あなたって、いつも食べることばかりね」
アリアが思わず額を押さえて笑うと、足元では幼体たちもそれぞれの反応を示した。
あかねはアリアの腕からすとんと飛び降り、「きゅきゅ♪」と嬉しそうに静の足元へ擦り寄る。ミレイアの腕の中のルゥは「くぅ!」と小さく鳴いて首を傾げ、フィアの肩の上のハルは「ひゅん♪」と背中の小さな翼をパタパタさせた。
リーナの足元にいたマルだけは「ぷぅ?」と不思議そうに静を見上げ、それから静の靴の先を短い前足でぽむぽむと叩いた。まるで、本物かどうかを確かめているかのように。
「あはは、マル。ちゃんと本物だよ」
静がしゃがみ込んで頭を撫でてやると、マルは「ぷぷぅー」と満足そうに鼻を鳴らし、ふくふくの頬を静の手のひらに押しつけた。
「それとフィア、試作品はちゃんと作ってあるよ。新しい醤を使った甘いのを、何種類かね。でも、それはお屋敷に帰ってからのお楽しみかな」
「え〜っ! ここで一個だけ、味見とか……ダメ?」
「みんなで一緒に食べた方が、きっと美味しいよ」
静がにっこりと笑うと、フィアは「うぅ……楽しみが遠のいた……」と猫耳をぺたんと伏せた。肩の上のハルまで、つられたように「ひゅん……」としょんぼり鳴いている。
その様子にミレイアがくすりと笑みをこぼし、あかねは静の足元で「きゅ?」と、『甘いの?』とでも言いたげに尻尾を揺らした。
リーナは大きく一つ息を吐いてから、改めて静に向き直った。
「……それで、静。今度こそちゃんと説明してちょうだい」
静は頭を掻きながら、今朝確認した新しい機能について説明を始めた。
「えっとね、今朝ステータス画面を見たら、《転移機構・拡張II》っていうのが増えていたんだよね」
「《転移機構・拡張II》……それは一体どういう機能なの?」
リーナが少し苦笑交じりに問いかけると、静はわかりやすく言葉を続けた。
「俺一人限定なんだけどね。まだ行ったことがない場所でも、アリアたちが持っている『星の守り』の位置をイメージすれば、その場所まで直接転移できるみたいなんだ。さっきもアリアのブローチの気配を辿ったら、ちゃんと分かったよ」
名前を出されたアリアは、思わず自分の胸元へと視線を落とした。
焔色のブローチは、いつもと変わらず静かにそこにある。
(……これを、目印にして来たってこと?)
なんだか少しだけくすぐったいような気持ちになって、アリアはそっと指先でブローチに触れた。足元に戻ってきたあかねが、その仕草を見上げて「きゅ」と小さく鳴く。
「それはまた凄いわね……静しか転移できないとはいえ、お迎えや合流には信じられないくらい使い勝手が良さそうだわ」
リーナが感心したように感嘆の息を漏らすと、フィアが伏せていた耳をぴんと立て、手をぽんと叩いた。
「へぇ〜! すごく便利だね! 静に来てもらったら、探索の時にお弁当を届けてもらったり、一度お屋敷に戻ってお昼ご飯を食べたりできるね♪」
さっきまでしょんぼりしていたのが嘘のような、いかにもフィアらしい発想に、アリアは思わず吹き出した。
「もう、どこまでも食いしん坊なんだから」
「でも凄いわねぇ。これなら、もし姉さんがお仕事で王都に行っている時でも、静が転移できれば、後から私たちも合流して王都観光とかできそうじゃない?」
ミレイアが嬉しそうに提案すると、リーナは心の中で
(いやいや、王都観光とかそういうレベルの移動距離じゃないでしょ!)
と激しく突っ込みを入れた。
けれど、すぐに頭の中で手順を組み立ててしまう。
(……待って。静が一度でも足を運んだ場所なら、その後はいつもの転移で私たちも一緒に行けるのよね。つまり静が先に一人で行って、そこから迎えに戻れば……行き先は、実質どこでも……)
導き出した答えに一瞬だけ気が遠くなりかけたものの、
(でも、色んな場所へ一瞬で行けるようになるのは……いいわね。静のことだから、きっと旅先でも美味しいものをたくさん作りそうだし……)
と、結局自分も静の規格外さにすっかり毒されていることに気づき、苦笑いするのだった。
リーナは手帳を開くと、朝のうちに書き込んでおいた『転移・再拡張? 帰宅後確認』の一行に、すっと線を引いた。そしてその横に、几帳面な字で『確認済み(現地にて)』と書き添える。
「……帰ってから問いただすつもりだったのに、まさか本人が説明しに飛んでくるなんてね」
ぱたん、と手帳を閉じるリーナに、ミレイアが「ふふっ、手間が省けて良かったじゃない」と楽しそうに肩を揺らした。
◆◆◆
皆の驚きが落ち着いたところで、静は改めて、空洞の中央に佇む石造りの祠へと向き直った。
天井の隙間から差し込む光の筋が、苔むした小さな屋根を淡く照らしている。外のひんやりとした岩場とは違い、この空洞の中だけは陽だまりのような穏やかな温もりに満ちていた。
「……大樹の根元にあった祠と、雰囲気がすごく似ているね」
静が呟くと、あかねが祠の前にちょこんと座り直し、ふさふさの尻尾を振って「きゅきゅ♪」と鳴いた。『私が見つけたんだよ!』と言わんばかりに、胸を張っている。
「この祠を見つけたのは、あかねなのよ。岩の隙間の奥にあって、あかねが入っていかなかったら、私も絶対に見落としていたわ」
アリアが少し誇らしげに教えると、静は目を細めた。
「そうなんだ。あかね、えらかったね」
静が頭を撫でてやると、あかねは「きゅ〜♪」と嬉しそうに目を細め、背中の小さなもふもふの翼をぱたぱたとさせた。
岩の上から探していたのに見つけられなかったフィアとハルが、その横で顔を見合わせ、「次は負けないもんね」「ひゅん!」と小さく張り合っている。
ミレイアが静の隣に立ち、祠から漂う気配を感じ取った。
「かすかな魔力の残滓はあるけれど……大樹の祠ほど強くはないわね。眠っている、という感じかしら」
「ええ。大樹にあった祠とほぼ同じ形式みたいだし、きっと静なら開けられると思うの」
アリアの言葉に、リーナも頷いた。
「私たちが触れるのは危ないかもしれないけれど、大樹の祠はどれも、静が触れたら何事もなく開いたでしょう? 大枝の端にあった祠の時と、同じように反応するんじゃないかしら」
そう言いながら、リーナはふと空洞の岩壁へと視線を巡らせた。
水路の上流、岩に抱かれた奥まった空間。
レナードと共に見つけた、あの壊れた石も、確かこんな場所にあった。けれど目の前の祠は苔に覆われながらも形を保ち、静かな気配をちゃんと宿している。
(……眠っているだけの祠と、壊れてしまった石。同じ水辺の岩陰にあって、何が違ったのかしら)
浮かびかけた問いを、リーナはそっと胸の奥へ仕舞い込んだ。
「静〜! 開けたら何か出てくるかな? お宝とか入ってる!?」
フィアが期待に満ちた声を上げると、静は笑いながら首を振った。
「あはは、さすがにお宝は入っていないと思うけれど……それじゃあ、開けてみるね」
静がそっと祠の石扉に手を触れると――『キィン……』と澄んだ金属音のような音が空洞に響き渡り、古い石扉がスッと滑るように自然と開いた。
祠の中の小さな空間には、淡く神秘的な光を放つ球体――『支配エリアコア』が、静かに浮遊していた。光は弱々しく、ゆっくりと明滅を繰り返している。まるで、長い眠りの中で浅い寝息を立てているかのようだった。
「あ、やっぱり『支配エリアコア』が入っていたね」
静が何気なく手を伸ばし、その輝くコアへと優しく触れる。
静の目の前にだけ、いつもの問いかけが淡い光の文字となってふわりと浮かんだ。静は迷うこともなく、心の中で小さく頷く。
次の瞬間、コアの光がとくん、と脈打つように強まる。
ふわりと温かな風が空洞内を駆け抜け、周囲に漂っていた魔力や精霊たちの気配が、一瞬にして鮮やかに塗り替わっていく。天井から差し込む光の筋の中で、舞っていた細かな塵までもが、きらきらと澄んだ輝きを帯びたように見えた。
魔力や精霊の動きに敏感なリーナとミレイアは、空気が目に見えて変化したことに即座に気づいて息をのんだ。
「……今の、感じた? ミレイア」
「ええ……淀んでいたものが、すうっとほどけていったわ。精霊たちが一斉に深呼吸をしたみたいに……」
二人は自然と声を落としていた。
アリアとフィアも、詳しい仕組みは分からないものの、周囲の重苦しさが消え、まるで高山の朝の空気のように清浄で心地よい気配へと変わったことを肌で感じ取っていた。
「なんだか……すごく息がしやすくなった気がするわ」
「うん! 空気が美味しくなったね!」
フィアが胸いっぱいに息を吸い込むと、あかねやルゥ、ハル、マルたち幼体組も、空間に満ちた気配がより温かなものへと変化したことを察知したのか、「きゅ?」「くぅ?」「ひゅん?」「ぷぅ?」と首を傾げながら、きょろきょろと周りを見回している。
ルゥは鼻先をひくひくさせて額の潤晶をきらりと瞬かせ、ハルは空洞の中をくるりと一周飛んでからフィアの肩へ戻ってきた。マルは祠の足元の土をぽむぽむと叩き、何かを確かめるように「ぷぷぅー」と満足げに鳴いた。
「あ、このコアもお屋敷コアと繋がったみたいだね。……何か変わったのかな?」
当の静だけは、自分の周りで何が起きたのかまるで気づいていない様子で、不思議そうに首をひねっていた。
その無自覚ぶりに、リーナは呆れ顔で吐息をついた。
「静……あなたって人は、本当に……まあ、今さら言っても変わりはないかしら」
「そうねぇ、どこまでも静らしくて良いじゃない」
ミレイアが口元を押さえてクスクスと笑うと、アリアもフィアも「まあ、いつものことか」と納得したように微笑んだ。
静は照れくさそうに頭を掻きながら、アリアたちへと振り返った。
「この周辺には、他に何か珍しいものはなかったの?」
「そうね。この祠がある岩場から少し離れた場所に、不思議な『黒色の麦穂』が群生していたわよ。……そうそう、静に見せようと思って、少しだけ刈り取ってきたの」
アリアはマジックポーチから、布にくるんだ数本の穂を取り出した。
布をほどくと、磨いた黒檀のようにつややかな黒い穂先が姿を現す。ずしりと実の詰まった穂が、アリアの手のひらの上で重たげに頭を垂れた。
「え? 『黒色の麦穂』……? うわぁ、本当に真っ黒だね」
静は一本を受け取ると、光の筋にかざしてしげしげと眺めた。指先で穂をほぐすと、ころりとした黒い粒がいくつか手のひらに転がり出てくる。鼻を近づけると、炒った豆にも似た、ほんのりと香ばしい匂いがした。
「向こうにあった、黒い大麦みたいなものかな? ちょっと畑を見てみたいね。……これ、食べられそう?」
静の第一声に、ミレイアは「ふふっ、静もフィアと同じようなことを言うのね」と楽しそうに笑い出した。周りのみんなも、楽しげに肩を揺らす。
「え〜っ! それって一番大事なことだよね、静!?」
フィアが同意を求めると、静はにっこりと頷いた。
「もちろん! でも、俺の知っている黒い大麦と違ったら、調理方法や使い方を試してみないと分からないけれどね」
その言葉に、リーナがぴくりと反応した。
「……ちょっと待って、静。黒い大麦って、静の居た世界にもあったの? 私は古い農業の書物で『黒色大麦』という名前を見たことがあるだけで、とっくに失われた品種だと思っていたのよ」
「うん、普通の大麦ほど見かけるものじゃなかったけどね。ご飯に混ぜて炊いたりしてたかな」
元の世界で知っていた黒大麦と、この異世界の『黒色の麦穂』が同じものかどうかは、実際に手に取って味わってみなければ分からない。
静は手のひらの黒い粒を転がしながら、うーんと少しだけ考え込み、それからぽつりと呟いた。
「……とりあえず、炊いてみようかな」
その瞬間、アリアたち四人は顔を見合わせ――そして一斉に吹き出した。
「え? え? 俺、何か変なこと言った?」
「ううん、何でもないわ。……ふふっ、ちょうど今朝、みんなで『静ならきっとそう言う』って話していたところだったのよ」
アリアが笑いを堪えながら答えると、フィアもお腹を抱えて「ほんとに言った〜!」と足をばたつかせた。
静はきょとんとしながらも、つられて小さく笑った。
「それなら、ここには他に調べるものもなさそうだし、皆で畑を見に行きましょうか」
リーナの提案に、全員が頷いた。
来た時と同じ細い岩の裂け目を、今度はあかねが先頭に立って「きゅきゅ!」と得意げに案内していく。静は思っていた以上の狭さに少しだけ身を屈め、「よくこんなところ見つけたね」と感心しながら、あかねの小さな背中を追いかけた。
岩場を抜けると、ひらけた空から木漏れ日が降り注ぎ、ハルの起こした小さな風が、どこからか香ばしい麦の香りを運んできた。
アリアたちと静、そして賑やかな幼体たちは、黒い麦穂が揺れる恵みの群生地へと、楽しげに足を進めて行った。




