第十三話 呼び声と繋がる光
お腹いっぱいに美味しいお昼ご飯を堪能したアリアたちは敷布を畳み、空になった竹皮の包みを丁寧にまとめてマジックポーチへ仕舞う。その後はミレイアとルゥが見つけた場所へと移動を始めた。
「この先から水路が伸びているわ。『水利の目印石』は、水が湧いている岩場のすぐ近くよ」
ミレイアが先頭に立って案内すると、その腕に抱えられたルゥも自分の見つけた成果が誇らしいのか、垂れた長い耳を揺らしながら「くぅ!」と可愛らしい声を上げた。
黒い麦穂の群生を横目に下草を踏み分けていくと、やがてさらさらという水音が耳に届き始める。木々の間を抜けた先には苔むした古い石組みの水路が姿を現した。澄んだ水が石の縁を撫でるように流れ、上流の岩場からは、こんこんと清水が湧き出る。その傍らには幾何学模様が刻まれた目印石がひっそりと佇んでいた。
アリアは石の前にしゃがみ込み、角の丸くなった刻線を指先でそっとなぞり深く顎を引いた。
「確かに……この刻み方、レナードと調査していた時に見つけたものと同じ雰囲気ね」
「ん〜……でも、レナードと回った外縁のあたりから、この大樹の北側までって、ものすごく離れてるよ?」
フィアが首をかしげると、ミレイアもサファイア色の瞳を細めた。
「そうね。私たちは静の転移で一瞬で移動しているけれど……まっすぐ歩いて来たとしても、半月やそこらでは着かない距離だわ。それなのに、まったく同じ意匠の石組みがあるなんて……」
「かつて同じ文明圏だったのかしら……それとも時代が違うのかしら? いずれにしても極めて興味深いわね!とにかく周辺を詳しく調べてみましょう!」
珍しい古代の痕跡を前にリーナは手帳を胸に抱えたまま、瞳をきらきらと輝かせて皆を急かした。足元のマルまで、つられたように「ぷぅ!」と鼻を鳴らしている。
アリアは苦笑しながらも腰の剣帯を確かめる。
「それじゃあ、まずはあの岩場の周りを分かれて調べてみましょうか。ミレイアはルゥとこのあたりをお願いね。私はあかねと一緒に岩場の右側を見てくるわ」
「ええ、分かったわ。何か見つけたら、一度ここへ戻りましょう」
「了解〜!じゃあ、岩場の上はフィアとハルで見てくるね!」
フィアが身軽な動きで岩肌に手足をかけ、すいすいと登り始める。背中の小さな翼を羽ばたかせたハルも、「ひゅん♪」とその後を追って飛び立っていった。
「それなら私は、反対側を回り込んで調べてみるわね」
リーナも足元のマルと一緒に岩場の左手へと歩き出した。マルは「ぷぷぅー!」と得意げに鼻を鳴らしながら、湿った土をぽむぽむと叩きつつ、短い足でついていく。
◆◆◆
岩場の右側へと進んだアリアはあかねをそっと腕に抱え、入り組んだ岩肌を丁寧に見て回っていた。
木漏れ日の届きにくい岩陰はひんやりとしていて、苔の青い匂いが鼻をくすぐる。どこからか小さな水滴の落ちる音が静かに響いている。
「このあたりは特に何もなさそうね……」
アリアがひとりごちた、その時だった。
腕の中のあかねが、ぴくりと耳を立てた。小さな鼻先をひくつかせ、岩場の奥のほうをじっと見つめている。まるで、誰かに名前を呼ばれでもしたかのように。
「……あかね?何か感じたの?」
アリアが問いかけると、あかねは「きゅきゅ!」と短く鳴き、腕の中からすとんと跳び下りた。岩の隙間を縫うように、迷いのない足取りで小走りに進み始める。
「あっ、あかね!待ちなさい……!」
アリアが慌てて後を追うと、岩場の奥まった場所、張り出した岩の影に隠れるようにして、人ひとりがようやく通れるほどの細い裂け目があった。正面からでは岩の重なりにしか見えず、あかねが入っていかなければ、きっと気づかずに通り過ぎていただろう。
あかねがためらいなくその先へ進んでいくのを見て、アリアも身をかがめ、剣の鞘が岩に当たらないよう手で押さえながら、狭い裂け目をくぐり抜けた。
その先に広がっていたのは、岩に囲まれた小さな空洞。
天井の隙間から細い光の筋がいくつか差し込み、舞う塵をきらきらと照らしている。外のひんやりとした空気とは違い、穏やかな温もりに満ちていた。
そして空洞の中央には苔むした小さな屋根を戴く石造りの祠が、静かに佇んでいた。大樹の根元で見つけたものとよく似ている。そこにあるだけなのに澄んだ魔力の気配が感じられ、水面に広がる波紋のようにゆっくりと空洞を満たしていた。
「……これ」
アリアは思わず息をのみ、それから足元を見下ろした。祠の前でちょこんと座ったあかねが、尻尾をふりふりと揺らしながら得意げにアリアを見上げている。
「あかね……お手柄よ!よく見つけたわね!」
しゃがみ込んで頭をくしゃくしゃと撫でると、あかねは嬉しそうに「きゅきゅ♪」と鳴いて、背中の小さなもふもふの翼をぱたぱたさせた。
「大樹にあった祠と同じような雰囲気だし……むやみに触らないで、みんなを呼んで来ましょうか」
アリアはあかねを抱き上げ来た道を急いで引き返し、集合場所へと戻っていった。
◆◆◆
間もなくして、それぞれの探索から戻った全員が、アリアに案内されて空洞の中の祠の前へと集まった。
「え〜っ、こんなところに隠れてたの!?岩の上からじゃ全然分からなかったよ!」
「ひゅん……」
一番高いところから見ていたはずのフィアとハルは、少しだけ悔しそうだ。あかねはアリアの腕の中で、胸を張るように「きゅ!」と鳴いた。
ミレイアがそっと祠に近づき、目を閉じて、そこから漂う空気を感じ取る。
「この祠……あの大樹の根元にあったものと、造りも、漂う魔力も、とてもよく似ているわね」
「ええ。少なくとも、お屋敷の庭に現れた小さな祠とは、気配がまるで違うわ。あちらはもっと……不思議な感じだったもの」
リーナはそう応じながら、空洞の岩壁をぐるりと見回す。水路の上流、岩に抱かれた奥まった空間。そこで、ふとペンを持つ手が止まる。
(水路のそばの、岩の奥……。レナードと見つけたあの壊れた石も、確かこんな場所に――)
けれど、リーナは小さく首を振り、その考えを胸の奥へそっと仕舞った。
(……推測で線を引くには、まだ早いわね)
「ねぇねぇ、じゃあさ、開けてみようよ!」
フィアが好奇心のままに手を伸ばしかけた瞬間、リーナが慌ててその手首を掴んで止めた。
「ちょっとフィア、待ちなさい!かすかに魔力も反応しているし、むやみに触るのは危険よ。何が起きるか分からないわ」
「え〜?そうなの?ん〜……じゃあさ、静に見てもらおうよ!大樹の祠だって、いつも静が触ってたんだから、静なら大丈夫じゃない?」
「その可能性は高いわね……大樹の祠と同じ仕組みなら、静なら安全に扱えるかもしれないわ」
アリアの言葉にミレイアも頷いた。
「それなら、連絡板で静に伝えてみる?」
「アリア、すぐに静へ連絡してちょうだい!早く確かめたいわ!」
好奇心を抑えきれない様子で身を乗り出すリーナに、アリアは苦笑いを浮かべた。
「はいはい、リーナ。自分が一番早く見たいんでしょ?」
「そ、それは否定しないけれど……ついでに朝の『転移が新しくなった』っていう話も、帰ったらきちんと聞かないとね」
「ふふ、覚えてたのね。まぁいいわ、今送ってみるわね」
アリアはマジックポーチから連絡板を取り出し、指先で表面をなぞる。なぞった線が淡く光りながら定着し、ひとつずつ文字になっていく。
【アリア:静、大樹から北側に離れた場所で祠のようなものを見つけたんだけど、見に来ない?】
最後に板の表面を軽く押さえて、送信を確定する。
文字がすっと落ち着いたかと思うと――ほとんど間を置かずに、板がふわりと淡く光った。
【静:見たい!すぐに行くよ】
「返信、早いわね……って、えっ!?」
アリアが返信を読み上げた、その瞬間。
祠の前の何もない空間に、ふわりと柔らかな光の粒子が舞い始めた。
◆◆◆
時間を少しだけ遡り――お屋敷のキッチン。
アリアたちの明日のお弁当用にと、焼きおにぎりや照り焼き肉、出汁巻き卵を作り終えたあとも、静の手は止まらなかった。新しい『醤』の香りに背中を押されるように、気づけばさらに何品も作り足していたのだ。
醤に漬け込んでからからりと揚げた、香ばしい唐揚げ。野菜とお肉を炒めて、醤を効かせたとろみのあんをたっぷりと絡めたあんかけ炒め。そして、刻んだ葱と卵を合わせ、仕上げに鍋肌から醤をひと回しして香りを立たせた、特製のチャーハン。
じゅわっと醤の焦げる音とともに立ち上った香ばしい湯気が、まだ台所の天井あたりにふんわりと漂っている。
出来上がった料理を綺麗な器やお弁当箱に詰め、湯気ごと閉じ込めるようにして、次々と空間の彼方へ収納していく。
「うん、結構たくさん作れたな。これなら急なお出かけでも、みんなでのピクニックでも、サッと出してあたたかいご飯が食べられるぞ」
アリアたちやセリナが「美味しい!」と頬をほころばせる顔を思い浮かべ、静はひとり、嬉しそうに口元を緩めた。
洗い終えた鍋を伏せ、調理台を拭き上げてしまうと、しんとした台所に、窓の外の葉擦れの音だけが戻ってくる。
「デザートもたくさん作ったし、あとは何をしようかなぁ……」
静は腕を組み、誰もいない台所でぽつりと呟いた。
「あ!そうだ、コロンにも何か用意してあげようかな。ご飯は食べないみたいだけど、魔力結晶はいつも嬉しそうにしてくれるし……せっかくなら、とびきり綺麗な結晶を採ってきてあげようか」
思い立った静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれる。次の瞬間には、静の姿は『結晶の谷』に立っていた。
洞窟のさらに奥に広がる谷は、昼でも夜でもない、不思議な明るさに満ちていた。岩肌のあちこちから大小の結晶が突き出し、わずかな光を受けては、青や赤のきらめきを壁へ散らしている。ひんやりとした空気の中に、どこか澄んだ鈴の音のような静けさがあった。
「いつ来ても綺麗なところだなぁ……」
静は岩肌を見て回り、やがて目当てのものを見つけて顔を輝かせた。
「あ、あった!」
空間から取り出した道具を使い、壁面から透明感のある青い『潤晶』と、あたたかな赤を宿した『炎晶』を、ひとつずつ丁寧に掘り出していく。いつだったか、フォルティナとフレイアの執務を少しでも快適にしようと『小型冷却箱』と『簡易湯沸かし器』を作った時にも使った、質の良い結晶だ。
手のひらに載せて光にかざすと、青と赤が重なって、淡い紫の影が指の上に落ちた。
「よし!これで次にコロンが遊びに来た時、お土産に渡してあげられるぞ」
静が満足そうに結晶を空間へ収めた、その時。ポケットの中で、連絡板がふわりと淡く光った。
「ん?アリアからだね。もう探索が終わったのかな?」
取り出して確認すると、アリアからのメッセージが浮かんでいた。
【アリア:静、大樹から北側に離れた場所で祠のようなものを見つけたんだけど、見に来ない?】
「祠!?うわぁ、すごく見たい!」
一瞬で好奇心をくすぐられた静は、すぐに指先で返事をなぞり、軽く押さえて送信した。
【静:見たい!すぐに行くよ】
送ってから、静ははたと気がついた。
「……あ。でも大樹の北側って、俺、まだ行ったことないんだよな」
普段の転移なら、一度足を運んだ場所にしか行けない。けれど――今朝、ステータス画面で見つけたばかりの新しい項目が頭に浮かんだ。
《転移機構・拡張II》
「お迎えに使えそうだなぁ、とは思ってたけど……まさか、こんなにすぐ使うことになるとはね」
小さく笑って、静はそっと目を閉じた。
思い浮かべるのはアリアの胸元で揺れる、自分が銀細工で仕上げた焔色のブローチ。その温かな気配がずっと遠く、どこか岩に囲まれた静かな場所で、ぽつりと灯っているのを感じる。
(……うん。ちゃんと、分かる)
静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれる。
光が溶けるように薄れたあと、結晶の谷にはきらめく結晶の静けさだけが残されていた。
静の姿はまだ一度も足を踏み入れたことのない、大樹の北側の小さな空洞へ――アリアたちの待つ祠の前へと
一瞬にして転移していた。




