第四話 小さな祠の不思議と温かなおやつタイム
「えっ!? あの小さな祠から大樹へ!?」
アリアたちが驚きの声を上げ、一斉に庭の花壇の木陰へと視線を向けた。
そこには静の膝ほどの高さしかない、ごく小さな石造りの祠が静かに佇んでいる。苔むした屋根の下、覗き込めば向こう側の草むらがそのまま見える、何の変哲もない造りだ。
特に魔道具や古代遺跡に深い造詣を持つリーナが、目を輝かせて真っ先に祠へ歩み寄った。アリアやミレイア、フィアもそのあとに続いていく。
祠へと近づくにつれ、精霊の気配に敏感なエルフであるミレイアとリーナが、ふと足を止めて顔を見合わせた。
「ねぇ、ミレイア……あの祠から、何かうっすらと感じないかしら?」
「そうね……何だかエルフの森の奥のような……いえ、もっと深いところから湧いてくるような気配、かしら?」
二人は自然と声を落としていた。
神気とも魔力とも違う不思議な気配が漂っている――そう言っていたセリナの言葉通り、二人はその小さな祠から滲み出る清らかな空気を、肌で確かに感じ取っていた。
「奥の水晶の森にいたあの子たちも、精霊に近い存在みたいだったものね……こういう不思議が起きても、おかしくはないのかしら?」
「どうかしらね。それにしても本当に興味深いわ……やっぱり、あの大樹そのものが関係しているのかもしれない」
リーナは手帳を開きかけ、ペン先を紙の上で少しだけ迷わせてから、そっと閉じた。
(……今はまだ、書き留めるほどの言葉がないわね)
解明しきれない歯痒さを少しだけ覗かせつつも、リーナは人の手の届かない大樹の不思議に、納得したように小さく微笑んだ。
すると隣で見ていたフィアが、興味津々に目を輝かせて口を挟んだ。
「ねぇねぇ! そんな難しいことよりさ……ひょっとしてこの祠を通れば、コロン以外も大樹に行けたりしないの?」
フィアの言葉に静は苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「それがね、コロン以外は通れないみたいなんだよ」
「ええ、そうなんです。先ほどツキも試してみたのですが、何も起きずにそのまま素通りしてしまうだけで……」
セリナが優しく補足すると、静の足元にいたツキも「にゃ!」と、『そうだよ』と言っているように尾を揺らした。
「え〜、そうなの? でもでも、もしかしたら今だったら行けたりして♪」
フィアが楽しそうに笑うと、側にいた幼体たちがその言葉を聞いて「自分たちも行けるかも!」と思ったらしい。
あかねを筆頭に、ルゥ、マル、ハルが目を輝かせて、トコトコと祠へ向かって走り出した。
そして我先にと、祠の中をくぐり抜けていく。
……が、どの幼体が潜っても、ただ祠の反対側の草むらへ、ぽてぽてと出てくるだけだった。
最後に潜ったマルなどは、出口で丸い身体がほんの少しつかえて、後ろからハルに鼻先でぐいっと押し出されている。
「きゅきゅ?」「くぅ?」「ぷぅ?」「ひゅん?」
『あれ? 行けないの?』と言いたげに、目を丸くして首をかしげる幼体たちの愛らしい姿に、アリアたちは思わず吹き出してしまった。
その様子を横で見ていたツキが、「にゃにゃ」と呆れたように鳴いた。まるで『だからさっき、私が入るのを見てたでしょ?』と小言を言っているかのようだ。
「あはは! みんな可愛いなぁ」
「ふふ、ツキはお姉さんぶって呆れているけれど、セリナの話だと、さっきは自分も試していたのよね?」
ミレイアに笑いながら覗き込まれ、ツキはぷいっとそっぽを向くと、何事もなかったように毛づくろいを始めた。
アリアやフィアが屈み込み、首をかしげるあかねやマルの頭を優しく撫でてあげる。
そこへ、一連のやり取りを側で眺めていたコロンが、てくてくと可愛らしく歩み寄ってきた。
琥珀と水晶の欠片を寄せ集めたような丸い身体。その奥に灯る小さな光が、どこか得意げに、ゆっくりと明るさを増していく。
コロンは祠の前に立つと、小さな足をすっと中へ踏み入れた。
ぽわっ、と
祠の奥で淡い光がふわりと柔らかく揺らめいたかと思うと、コロンの身体はすっと消えてしまった。
「うわっ、本当に消えちゃった!」
「気配が完全に途切れているわ……本当に大樹へ移動したのかしら?」
「すごいわね。こんなにあっさりと行き来できるものなの?」
「魔力が動いた感じはしなかったわね……不思議だわ」
アリアたちが感嘆の声を上げながら覗き込んでいると、ほんの数秒もしないうちに、再び祠の奥で、ぽわっと淡い光が揺らめいた。
そしてコロンが何事もなかったかのように、てくてくと姿を現し、みんなを見上げて、頭をこてんと斜めに傾けてみせたのだった。
「うわぁ! 今度は戻ってきたよ! すごいね、ちゃんと行ったり来たりできるんだ♪」
フィアが大はしゃぎで手を叩くと、アリアも楽しそうに口元を緩めた。
「そうね。詳しい仕組みは分からないけれど、コロンがこうしてここへ来られるなら、すごく素敵なことじゃない」
「ええ。可愛いお友達が一人増えたと思えば、とっても賑やかで良いことだわ」
ミレイアが温かな笑顔で見守り、リーナも「そういうことにしておきましょうか。原理が分からないのは、少し悔しいけれどね」と苦笑しつつも、嬉しそうにコロンを歓迎した。
静はその光景を眺めながら、のんびりと思う。
(庭に、小さな通り道がひとつ増えたってことかな)
静がそんなことを思っていると、コロンの身体の奥で光がふわりと揺れていた。
◆◆◆
小さな祠とコロンの不思議な行き来のお披露目が一段落したあと、一行はお屋敷の広々としたリビングへと戻った。
「そういえば静、フォルツの街で美味しそうなパンをたくさん買ってきたのよ」
アリアが紙袋を開けると、ふわりと香ばしい匂いが広がった。もちもちの生地にお肉とハーブがたっぷり詰まった具入りパンや、季節の果実と蜜のデニッシュパンが、テーブルの上にずらりと並べられる。
「あ、すごく美味しそうなパンだね! ありがとう、アリア」
「朝一番の窯から出たところを買ったんだけど、帰ってくるまでにすっかり冷めちゃったのよね」
「それなら、少し温め直そうか。具入りの方は蒸すと、生地がふっくら戻ると思うよ」
静はさっそく台所へ向かい、湯気の立つ蒸し器に具入りパンを並べていく。デニッシュの方は軽く火で炙り、表面の蜜がとろりと艶を取り戻したところで皿へ移した。
その間に、アリアは丁寧に小分けされた一袋を手に取り、セリナへと差し出した。
「それとね、セリナ。女神様へのお供えの分も多めに買ってきたから、お供えに使ってちょうだいね」
「まあ……! アリアさん、そこまでお気遣いくださって、ありがとうございます」
セリナは感激したように目を輝かせ、静が温め直してくれたばかりのパンを、お供えのトレイへと綺麗に盛り付けた。
足元へトコトコと寄ってきたツキと一緒に、礼拝堂へと向かう。
清廉な空気が満ちる礼拝堂で、セリナは祭壇の前に膝をつき、感謝を込めて手を組んだ。
「女神ルーナフィリス様。本日も無事に、賑やかで楽しい一日を過ごすことができました。アリアさんたちがフォルツの街で見つけてきてくださった、温かで美味しいパンです。静様が温め直してくださいましたので、どうぞ湯気の立つうちに召し上がってくださいね」
親しい人に語りかけるような温かな祈りを捧げると、トレイの上のパンが、ふわりと柔らかな光の粒子に包まれた。
そして湯気ごと、すっと綺麗に消えていく。
胸の奥にじんわりと伝わる、微笑むような温かな気配。セリナが優しく目元を緩めると、隣にちょこんと座ったツキが、満足そうに「にゃん」と一声鳴いたのだった。
◆◆◆
礼拝堂からセリナとツキがリビングに戻ると、楽しいおやつの時間が始まった。
「みんな、温かいハーブティーを淹れたよ」
静が淹れたてのハーブティーを全員に配ると、フィアが待ちきれない様子で、湯気の立つ具入りパンにかぶりついた。
「んん〜っ! 温め直したら焼きたてみたい! もっちもちだよー!」
「本当ね。このお肉の味付け、後を引く美味しさだわ。ハーブティーにもよく合うわね」
ミレイアやリーナも笑顔でパンを味わい、アリアも嬉しそうに提案した。
「静、もし良かったら今度、この具材の組み合わせで、もっと美味しいものを作ってみてよ」
「いいね。このハーブとお肉のバランスは、すごく勉強になるよ。今度作ってみるね」
静がパンの断面を眺めながら、のんびりと笑う。刻んだ香草の緑と、肉汁の染みた生地の具合を確かめるその目は、すっかり料理をする時のものになっていた。
「そういえばね」
デニッシュを半分に割りながら、アリアがふと思い出したように言った。
「パン屋さんの帰りに、仮設の診療所の前を通ったのよ。エナ、今日も元気に頑張ってたわ。私たちに気づいたら、真っ先に『師匠はお元気ですか?』って」
「まあ……」
セリナの頬が、ほんのりと緩む。『師匠』という響きには、まだ少しだけ、くすぐったさが残っていた。
「元気にしてるって伝えておいたわ。それから――レナードさんは、まだ王都から戻ってないみたい」
「エナ、平気な顔してたけどさ。話しながら、ちょっとだけ街道の方を見てたよね」
フィアがくすりと笑い、リーナも「分かりやすい子よね」と目を細める。
「……きっと、もうすぐお戻りになりますね」
セリナは温かな湯気の向こうで、静かに微笑んだ。
そんなやり取りの足元では、あかね、ルゥ、マル、ハルの幼体組とツキが、静から小さく分けてもらった果実パンを、美味しそうに頬張っていた。
「きゅきゅ!」「くぅ」「ぷぷぅー!」「ひゅん!」「にゃ〜」
マルは頬をぱんぱんに膨らませて、得意げに胸を張っている。
その輪の隣で、コロンは静から手渡された小さな魔力結晶を、胸元へそっと抱え込んだ。結晶はすうっと身体の中へ溶け込み、体内の光が、ぽわっと温かく明滅する。
そしてコロンもまた、みんなの輪の中で、幸せそうに小さく身体を揺らしていた。
小さなお客さんを迎えたお屋敷に、温かで香ばしい笑い声が、どこまでも優しく響き渡るのだった。




