第十話 壁画の記憶と少年の心
翌朝
澄み渡る朝空のもと、セリナが礼拝堂で感謝の祈りを捧げ、静は屋敷の畑からみずみずしい採れたての野菜を収穫していた。祈りを終えたセリナがキッチンへ向かい、静と並んで手際よく朝食の準備を進めていく。
「静様、今日もとても美味しいお野菜が採れましたね」
「うん、朝採れだからシャキシャキしていて美味しいと思うよ」
やがて身支度を整えた仲間たちが次々とリビングへ集まり、朝の挨拶を交わしながら、皆で賑やかに朝食のテーブルを囲むのだった。
◆◆◆
食後の片付けが一段落すると、静が満足そうに息を吐き、みんなへと視線を向けた。
「さてと、準備もできたし、そろそろ大樹に行ってみようか。あの螺旋階段を上ったら、どんな場所に繋がっているのか楽しみだね」
静の言葉に全員が笑顔で頷いた。静が右手を軽くかざすと、ふわりと柔らかな光の粒子が全員を包み込む。心地よい浮遊感ののち、光が静かに収まった瞬間には、一行の姿は大樹二層目——三層目へと続く螺旋階段の手前へと一瞬で移動していた。
螺旋階段の入り口を前にすると、アリアが長剣の鞘を確かめ、引き締まった表情で振り返った。
「ここからは未踏破の場所だから、まずは私たちが安全を確認するわ。静たちは少し待っていて」
アリアの合図で、《ルミナ・ヴェール》のメンバーたちが手際よく陣形を組み、内部へと潜入していく。
調査が終わるのを待つ間、静は珍しくそわそわと足を動かし、階段の奥を興味津々に覗き込んでいた。
「なんだか、こういうのってすごくドキドキするね。早く入ってみたいなあ」
少年のように目を輝かせて待ち遠しそうにする静の姿に、セリナやフォルティナ、フレイアが思わずクスクスと笑い声を漏らす。
「静様、もうすぐ入れますから、落ち着いてくださいね」
「ふふ、静さんでも、こんな風に待ち遠しそうにされることがあるのですね。少し意外で可愛らしいです」
フォルティナが楽しそうに目を細めると、フレイアも優しく頷いた。
「静さんって、ふとした時に少年みたいな素朴な顔を見せるわね」
足元では幼体たちも静のワクワクが伝わったのか、尻尾を振ったり耳をピクピクと動かしたりして、興奮気味に周りをウロウロとしていた。
しばらくすると、奥からミレイアがひょっこりと顔を出した。
「静、中に危険はないみたいだから、入っても大丈夫よ」
「よし、行こう!」
静の元気な声とともに、一行は螺旋階段の部屋へと足を踏み入れた。
◆◆◆
部屋の中は、これまでの階段と同じように壁一面に群生する発光苔が淡い光を放ち、周囲を柔らかく照らしていた。見上げると、かなり上の方に広めの踊り場が見えてくる。
「また結構な高さを登るけれど、みんな大丈夫かな?」
静が心配そうに尋ねると、アリアが片手剣の柄を叩いて頼もしく笑った。
「私たちは鍛えているから平気よ。あかねは私が連れて行くわね」
「きゅきゅ!」
あかねが嬉しそうにアリアの胸元へ跳びつくと、フィアも肩を叩いて見せる。
「うんうん、これくらいなら全然平気! ねー、ハル?」
「ひゅん!」とハルが軽やかにフィアの肩へ飛び乗る。
「ルゥは私と一緒に行きましょうか」とミレイアが優しく抱き上げると、ルゥは「くぅ」と満足そうに腕の中で丸くなった。
短い手足で一生懸命に階段を登ろうとしていたマルを見つけ、リーナが手帳を置いてそっと抱き上げる。
「マル、無理をしちゃダメよ」
「ぷぷぅー!」と手足をジタバタさせながらも、マルはそのままリーナの腕の中にすっぽりと収まった。
「サン、飛んで登ってもいいけれど、疲れたら戻っていらっしゃいね」
「ぴぴっ!」
フレイアの言葉に返事をして、サンは楽しそうに螺旋階段の上空をくるくると旋回し始める。
「ルナはどうしますか? 自分で登ってもいいですが、疲れたら言ってくださいね」
フォルティナが声をかけると、ルナは自分でも登れると言わんばかりに「くぅん!」と甘えて見せ、サンの後を追うように階段へと駆け出していった。
そんな賑やかな仲間たちの様子を見ていたツキだったが、今日は珍しく「にゃ」と甘えた声を上げ、セリナの足元へすり寄っていった。
「ふふっ、みんなを見てツキも抱っこして欲しくなったのでしょうか?」
セリナが嬉しそうに目元を緩め、ツキをそっと抱き上げて優しく撫でてやる。
そんな様子を一人見守っていた静は、ぽつりと呟いた。
「あれ?……俺のところには誰も来ないの?」
静が大げさに寂しそうな顔をしてみせると、張り詰めていた空気がふっと緩み、全員から楽しそうな笑い声が巻き起こった。ツキがセリナの腕の中でどこか得意げに「にゃ」と喉を鳴らしたのは、場の空気を察した彼女なりの優しさだったのかもしれない。
◆◆◆
やがて螺旋階段をしばらく登っていくと、広々とした踊り場へと到着した。
その踊り場の壁一面に描かれていたのは、風化しかけた古い絵とは思えないほど、圧倒的で緻密な神話の一光景。
描かれた世界樹の中心には、複雑な光の線が幾重にも重なり合う神秘的な紋章が輝くように描かれている。
その紋章へ向かって、原初竜と思われる巨大な竜が大きな翼を広げていた。竜の翼からは赤金色の帯のような魔力が滔々と流れ出し、世界樹からは淡い神気の帯が静かに伸びて交わっている。二つの光が合わさる場所は、まるで世界そのものが息づいているかのように強い輝きを放っていた。
さらにその周囲には、大小さまざまな光の玉がふわりと浮かんでいる。形はまだ曖昧で、まるで生まれ出たばかりの生命か、精霊の原型のようにも見えた。壁の縁には見たこともない古代文字が刻まれている。
「……これ、ただの壁画じゃないわね。何か……『始まりの儀式』のようなものを描いている気がするわ……」
リーナが壁画に近づき、指先をかざしてかすかな魔力の残滓を感じ取りながら、重みのある声で呟いた。
アリアも光の帯が交わる部分を見つめ、なぜか目が離せずに少し眉を寄せた。
「……上手く言えないけれど、なんだか妙にざわつく絵ね。理由は分からないけれど」
「この浮かんでいる光……どこか懐かしい感じがするわ。精霊の源のような雰囲気もあるけれど……」
ミレイアがそっと息を呑むと、王都のギルドマスターとして数々の文献を見てきたフレイアも、古代文字を見つめて目を丸くした。
「この文字……王都の最高級の魔導書や古い文献でも見たことがないわね。文字そのものに、かすかに意志のような魔力を感じるわ……」
「なんか可愛いね、この光の粒! 綺麗な色でふわふわしてそう!」
フィアが純粋に目を輝かせてはしゃぐと、場に漂っていた緊張感がふっと和らいだ。
「教会の古い伝承や聖書にも、このような絵や話は残っていませんが……何か途方もなく古い伝承なのでしょうか」
セリナが首を傾げると、フォルティナも感嘆の溜息を漏らす。
「凄いですね……。大樹の内部にこれほどの壁画が残されているなんて。どのような意味があるのか分からないのが惜しいほどです」
そんな仲間たちの真剣な様子の中、静だけはどこか楽しそうに壁画を見上げていた。
「今回も不思議で綺麗な壁画が描かれているね。なんだか古代遺跡を探検しているみたいで、すごくドキドキするよ」
緊張感とは無縁の、純粋に冒険心をくすぐられている静のズレた感想に、仲間たちは「静らしいなぁ」と顔を見合わせて微笑んだ。
「せっかくだし、ここでおやつ休憩にしようか」
静が手元で空間を軽く撫でると、空間の彼方から香ばしい焼き上がりのお手製のお菓子と、温かいお茶のセットがすっと取り出された。
「わぁ、良い香り! こんな不思議な場所でお茶ができるなんて、静のおかげで冒険がますます楽しくなるね」
フィアが嬉しそうにお菓子を頬張ると、幼体たちも足元に集まってそれぞれの分け前を心待ちにする。あかねが「きゅ!」とお菓子の匂いにつられて鼻を鳴らし、ルゥも「くぅ」と控えめに静の袖を引いた。
「はいはい、ちゃんとみんなの分もあるからね」
静が幼体たち用に小さく割ったお菓子を配ると、マルは「ぷぷぅー!」と真っ先に頬張り、ハルも「ひゅん」と満足げに羽を休める。
壁画を眺めながら温かいお茶を口にしたフォルティナが、ふと感慨深そうに呟いた。
「こうしてお茶を頂きながら見ていると、恐ろしい壁画というより、どこか神聖で美しい絵に見えてきますね」
「本当ね。何が描かれているのかは分からないけれど、悪いものではない気がするわ」
フレイアも穏やかに相槌を打つと、リーナが手帳にさらさらとメモを書き加えながら微笑んだ。
「そうね。少なくとも、私たちに危害を加えるようなものではなさそうだわ。じっくり調べる価値はありそうだけれど」
「みんな真剣に壁画を見ているところ悪いけど、このお菓子、本当に美味しいわ!」
ミレイアが場の空気を和ませるように微笑むと、静も嬉しそうに頷いた。
「気に入ってもらえて良かった。さて、休憩も済んだし、もう少し上まで行ってみようか」
全員が立ち上がり、再び螺旋階段の上を目指して歩き出す一行の後ろ姿を、壁画の中の光の紋章が静かに見送っていた。




