閑話 フォルツの街の風と待つ人の温もり
静たちが大樹の二層目へ向かい、穏やかな休日を過ごしていたのと同じ日の早朝。
フォルツの街にある教会併設の孤児院では、エナが朝早くから仮設診療所へ向かうための準備を整えていた。薬草の入った鞄の紐を確かめていると、通りかかったシスター・ローゼが優しく声をかけてくる。
「おはようございます、エナさん。今日も朝早くから診療所の方へ行かれるのですか?」
「おはようございます、ローゼさん。師匠にも仮設診療所を任されていますし、少しでも街の皆さんのお役に立てたらなって思っているんです」
「そうですか。でも、あまり無理はなさらないでくださいね」
「はい。師匠にも同じように言われているので、そのあたりはちゃんと気を付けています!」
笑顔で答えたエナが孤児院の玄関を出て診療所へ向かおうとしたその時、隣の教会から旅装を整えたレナードが歩み出てきた。
「レナードさん、おはようございます。今日は早いですね、どうかしたんですか?」
エナが不思議そうに首を傾げると、レナードは柔らかく目を細めて頷いた。
「おはよう、エナ。この前の調査結果が綺麗にまとまったんでね。王都の教会——中央監察局へ報告に行ってくるところだよ」
「えっ……? レナードさん、王都に行っちゃうんですか?……あの、ちゃんと戻ってきますよね……?」
不意の旅立ちに、エナの瞳にパッと不安の色が浮かぶ。そんな彼女の様子にレナードは安心させるように優しく微笑んだ。
「心配しなくても、ちゃんと戻ってくるよ。俺はここの駐在武官だからね。向こうで何か美味しそうなお土産でも買ってくるよ」
「……そっか。良かった……! 戻ってきたら、私の治癒魔法で旅の疲れを綺麗に癒やしてあげるね!」
安堵したエナが嬉しそうに胸を張ると、レナードも心地よさそうに声を立てて笑った。
「ははっ、それは心強いな。楽しみに待っているよ」
言葉を交わすうちに、互いの出発の刻限が迫ってくる。
「それじゃ、レナードさん、気をつけて行ってきてくださいね! 私も診療所に行ってきます!」
「ああ、エナも無理はしないようにな」
互いに手を振りレナードは街の門へ、エナは診療所へと足を向けた。
◆◆◆
セリナが屋敷を空けている間の仮設診療所には、領主であるフォルティナの手配により、福祉事業の一環として別の教会や診療所から三日に一度ほど医療人員が派遣される仕組みが整えられていた。
診療所の入口には『本日の対応者:エナ(午前のみ)』と書かれた分かりやすい木札が掲げられている。今日は派遣人員がいない日だったため、エナが午前中だけ対応することになっていた。
表の木札を見た街の人々は、今日がエナの担当日だと知ると、患者として治療を受けに来る人だけでなく、近所の年配者たちがまるで自分の子供や孫を可愛がるように次々と差し入れを抱えてやってきた。
「エナちゃん、いつもご苦労様。これ、お昼ご飯にでも食べなさい」
近所のおばあちゃんが、焼き立ての香ばしいパンが入った籠を差し出してくれる。
「わぁ、ありがとうございます! ちょうどお腹が空いていたので嬉しいです」
エナが満面の笑みでお礼を言うと、おばあちゃんも皺だらけの顔をくしゃりと綻ばせた。
「エナ、今日の朝に採れたばかりの新鮮な野菜だよ。帰りに持っていきな」
別の女性も、瑞々しい野菜が詰まった重たい籠を置いていってくれる。
「こんなにたくさん……! 大切に頂きますね」
エナが籠を覗き込んで目を輝かせると、女性も嬉しそうに手を振って去っていった。
さらに近所の肉屋の親父さんまでもが、気恥ずかしそうに顔を覗かせる。
「エナちゃん、うちのガキの怪我を見てくれてありがとな。余り物で悪いんだが、持っていってくれ」
渡された袋には、美味しそうなハムやソーセージの端切れがたっぷり詰まっていた。
「いつも本当に良くしていただいて……。あの子の怪我、もうすっかり良くなりましたか?」
「ああ、おかげさまで元気に走り回ってるよ。エナちゃんのおかげだ」
その親父さんの後ろから、以前転んで擦りむいた膝をエナに治してもらった小さな女の子がひょっこりと顔を出す。
「エナおねーちゃん、この間はありがとう! あれから全然痛くなかったよ!」
「ふふ、それは良かった! もしまた痛くなったり転んだりしたら、いつでも診てあげるからね」
嬉しそうに報告してくれる女の子の頭を優しく撫でてやると、エナの心までぽかぽかと温かくなっていく。
その日の診療でも、腰を痛めたという年配の男性が杖をつきながらやってきた。
「エナ嬢ちゃん、急にすまないね。畑仕事のし過ぎで、どうも腰が言うことを聞かなくてなぁ」
「大丈夫ですよ、おじいちゃん。少し楽になるように治療しますね」
エナが丁寧に治癒魔法をかけると、男性は驚いたように腰を伸ばした。
「おお……! これは楽になった。エナ嬢ちゃんも、すっかり立派な治療師さんだなぁ」
「まだまだ師匠には敵いませんが、少しでもお役に立てて嬉しいです」
照れくさそうに笑うエナに、男性も感心したように何度も頷いていた。
時折り擦り傷や体調不良を訴える患者さんも訪れたが、深刻な重傷者は一人もおらず、エナは教えられた通り丁寧に手際よく治療をこなしていった。
◆◆◆
昼過ぎとなり、片付けと帰り支度を整えていた時、エナはふと今朝見送ったレナードの背中を思い出していた。
(レナードさん、いつ頃戻ってくるのかなぁ……道中で怪我とか病気とかしなければいいけれど……)
まだ別れてから半日しか経っていないというのに、胸の奥が少しだけそわそわと寂しい。
(もっと治癒魔法や薬の勉強をして、一人前になったら……今度はレナードさんの遠出にもついていけたらいいな……)
そんなささやかな願いを胸に抱きながら、エナは街の人々から貰った温かい食材がずっしりと詰まった袋を背負い、孤児院へと向かって歩き出した。
孤児院へ戻ると、貰ってきたたくさんのパンや野菜、お肉をシスター・ローゼに手渡し、大喜びする子供たちの面倒を見たり、夕飯の下ごしらえを手伝ったりしながら、エナは充実した温かな一日を過ごすのだった。




