閑話 ルナとサンのいる午後と待ち遠しい休日
春の訪れはフォルツの街に活気をもたらすと同時に、領主であるフォルティナの執務机にうずたかく積まれる書類の山をもたらしていた。
「……ふぅ。春の交易に関する申請書が例年より三割ほど多いですね」
フォルティナは美しい薄紫色の髪をふわりとかき上げ、ため息をこぼし羽ペンを置いた。
二十一歳という若さでフォルツ領を背負う彼女は、領民から『高嶺の花』と称されるほどの美貌と、逃げ出さずに責任を全うする誠実さを持っている。しかしその内面には常に領主としての重圧や不安が渦巻いていた。
そんな彼女の張り詰めた心を溶かすように、膝の上から愛らしい鳴き声が響く。
「くぅん……」
月光のように優しく透き通る白銀の美しい毛並みを持つ幼体のルナが、甘えるようにすり寄ってきた。ルナの額にある乳白色の半透明な『月晶』が、窓からの光を受けて白銀にキラリと輝き、フォルティナの疲れた目と心をじんわりと癒やしてくれる。
「ありがとう、ルナ。……もう少し頑張れば静さんとの約束の日ね」
フォルティナはルナの柔らかな背中を撫でながら、窓の外の青空を見上げた。
以前の自分なら、仕事の合間に『休日』を心待ちにして頑張るなど、考えもしなかった。静や屋敷の皆と過ごす温かい時間が、確実に自分の心を豊かにしてくれている。その事実がくすぐったくて、フォルティナはふっと柔らかく微笑んだ。
◆◆◆
一方その頃。
フォルツの冒険者ギルド支部の一室では、本部のギルドマスター・フレイアが、額を押さえて深々とため息をついていた。
「……レオンの奴、いくら私がフォルツに滞在しているからって、王都の本部から決済書類を転送しすぎよ。また胃が痛くなってきたわ……」
大陸全土の武具やアーティファクトの情報を一手に握り、常に『何を壊さないか』という冷徹な判断を求められる彼女。外向けには『凛々しく有能で冷静沈着な上司』として振る舞っているが、その内心は責任の重さと部下たちの奔放さに、しょっちゅう胃を痛めている人情家であった。
パチッ、と静電気のような小さな音がしたと思うと、次の瞬間にシマエナガに似た薄黄色のもふもふとした小鳥の幼体・サンが、フレイアの肩の上へと一瞬で移動していた。
額にある黄色の『雷晶』を微かに輝かせたサンは、疲れた様子のフレイアに寄り添い、「ぴぃ」と甘えた声を上げながら、その小さな頭をフレイアの頬へともふもふ擦り寄せてくる。
「ふふ……ありがとう、サン。心配してくれたの?」
サンの愛らしく温かな心地よさに、疲れた心がじんわりと解きほぐされていく。フレイアはすっかり目尻を下げ、愛おしそうに指先でサンの喉元を撫でてやった。
「……やっぱり、サンは最高に可愛いわね」
親バカ全開で笑みをこぼしたフレイアは、ふと思いついて連絡板を取り出した。
親友であるフォルティナへ、短いメッセージを紡ぐ。
【フレイア:そっちの進み具合はどう? こっちはレオンが押し付けてきた書類のせいで胃が痛いわ。でも、ティナが待ちに待った静さんとのデートのためなら、這ってでも終わらせてみせるけどね】
少しからかうような文面を送ると、すぐに連絡板が明滅し、フォルティナからの返信が届いた。
【フォルティナ:デ、デートって……そんなんじゃないわよ、フレイ。ただ大樹を案内してもらうだけみたいだし……。でも、私も順調よ。今日の分はもうすぐ終わりそうだけど……胃薬、後で持って行こうか?】
領主としての硬い丁寧語は鳴りを潜め、親友相手にだけ見せる年相応の少し砕けた口調。
その可愛らしい文面を見て、フレイアは愛おしそうにふっと目を細めた。
「ほんと、素直じゃないんだから。……でも、あの子がこんな風に誰かとの予定を楽しみにできる日が来て、本当に良かったわ」
フォルティナが胸に抱く、静への淡く温かい想い。
フレイアはそれを一番の理解者として温かく見守っていた。静の隣には常に寄り添うセリナという大切な存在がいることも重々分かっている。だからこそ、焦らずフォルティナ自身のペースで前へ進めるよう、親友としてそっと背中を押してあげたいと心から思っていた。
【フレイア:胃薬は助かるわ。夕方にはこっちも片付くから、そっちの執務室にお邪魔していいかしら?】
【フォルティナ:ええ、待ってる。美味しい紅茶を淹れておくわね】
◆◆◆
そして夕方。
仕事を終えたフレイアが領主館の執務室を訪れると、部屋の中央ではすでに合流を果たしたルナとサンが、楽しそうにじゃれ合っていた。
「くぉん!」
「ぴぴっ!」
透き通るような白銀のルナと、陽だまりのように黄色くもふもふとしたサン。二匹が楽しげにおいかけっこをする様子は、執務室をとても賑やかで心地よい空間へと変えている。
「ふふ、ルナもサンも、本当に仲良しね」
ソファーで最高級の紅茶を傾けながら、フォルティナが目を細める。
「本当に。ルナったら、いつもは澄ました顔をしているのに、サンの前だとすっかり甘えん坊になるのよね」
フォルティナがくすくすと笑うと、向かいに座ったフレイアも胃薬代わりの温かいハーブティーを一口飲みながら頷いた。
「あら、それを言うならサンも一緒よ。ティナの前でも私の前でも態度が全然違うんだから。……本当の姉妹みたいに、お互いにしか見せない顔があるのね」
フレイアは深く息を吐き出し、じゃれ合う二匹をしばらく眺めていた。
「ええ、見てるだけで癒やされるわ。……静さんたちは今頃、アリアたちの調査依頼の裏で、診療所のお手伝いでもしているかしらね」
「きっと、街の皆さんを笑顔にしているのでしょうね。……静さんにお会いするのが、待ち遠しいです」
すっかり『領主の顔』から『一人の等身大の女性の顔』に戻ったフォルティナが頬を染めてぽつりと呟く。
「ええ、そうね。あと少し仕事を片付けたら、静さんたちとゆっくり過ごしましょう。ね、ティナ」
「……ええ、フレイ」
立場も種族も違う二人の親友。
しかし、重責を担う者同士だからこそ分かち合える深い絆と、次なる休日への温かな期待が夕暮れの執務室に優しく満ちていくのだった。




