第三話 泉草の香りと小さなすれ違い
『大樹の源泉』のほとりでお昼ご飯を堪能した一行は、腹ごなしを兼ねて澄み切った水際をのんびりと散歩していた。
水滴を弾く青々とした草が生い茂る湿地に差し掛かると、静がふと足を止め足元の野草を興味深そうに覗き込んだ。
「この野草……日本で見たことのあるクレソンやハーブに少し似ているけれど、食べられるのかな?」
静が首を傾げると、隣を歩いていたセリナが優しく目を細めて微笑んだ。
「はい、静様。そちらは『泉草』と呼ばれる野草ですね。とても綺麗な水辺にしか生えないのですが、新鮮なものはサラダやスープに入れると素晴らしい風味が広がるんです。それに乾燥させると、とても香りの良いハーブティーにもなるんですよ。教会にいた頃、お祝いの日によく淹れていただいたのを覚えています」
セリナの思い出深い言葉を聞いて、静は嬉しそうに頷いた。
「へぇ、それは素敵だね。せっかくだから、お屋敷で使う分を少し摘んでいこうか」
「はい!」
その会話の中で一番敏感に反応したのがスープが大好物なルゥだった。
「スープ」という言葉を聞いた瞬間、ミレイアの腕の中から乗り出すようにして水辺の泉草を見つめ、「くぅ! くぅ!」と「これ摘んで!」と言わんばかりに可愛らしく鳴いてミレイアの袖を引っ張った。
「ふふ、ルゥったら……美味しいスープができるって聞いたから、そんなに張り切っちゃって。可愛いわね」
ミレイアが愛おしそうに目を細め、ルゥが見つけた丸々と育った泉草を優しく摘み取っていく。
その微笑ましい様子を見た他の幼体たちも、大張り切りで水辺へ駆け出した。
アリアの足元ではあかねが「きゅきゅ!」と誇らしげに自慢の株を差し、アリアに「あかね、良さそうなのを見つけたわね」と頭を撫でられている。
フィアの肩の上にいたハルは、風に乗るように軽やかに舞い降り、「ひゅるぅ」と甘えた声を上げながら泉草の群生地をフィアに教えていた。
リーナの足元にいたマルは一番大きくて瑞々しい泉草を見つけると、嬉しそうに大枝の苔を小さな手で「ぽむぽむ」と叩きながら「ぷぷぅー!」と得意げに声を弾ませた。
「ふふ、マルったら、自慢気ね」
リーナが苦笑しながらマルの頭を撫でてやると、マルは満足そうに鼻を鳴らした。
静の肩の上に乗っていたツキは、はしゃぎ回るあかねたちを大人びた眼差しでのんびりと見守っていた。
「ツキも一緒に摘む?」
静が声をかけると、ツキは我関せずといった様子で「にゃ」とだけ短く返事をし、そのまま目を細めてみんなの様子を見守り続けている。
「ふふ、やっぱりツキはみんなの頼もしいお姉ちゃんですね」
セリナが手際よく泉草を籠に摘み取りながら、微笑ましくその光景を見つめていた。
◆◆◆
籠いっぱいに新鮮な泉草を収穫し終えた一行が、大枝の端へと向かって歩いていくと、少し離れた場所に次の大枝が広がる新しいエリアが見えてきた。
「あっちにも行けるのかな? 一層目みたいに向こうへ渡れる石板が近くにあるかもしれないね」
静が周囲を見回しながら言うと、アリアたちも一緒に大樹の表皮を探し始めた。すると真っ先にあかねが「きゅきゅ!」と弾んだ声を上げた。大樹の太い幹の陰に、ひっそりと埋め込まれた古い石板を見つけたのだ。
あかねはアリアの足元で「きゅ!」と誇らしげに胸を張り、アリアに「あかね、すごいじゃない!」とたくさん撫でられて、とても満足そうに尻尾を振っている。
静がその石板へそっと手を触れると「キィン」という澄んだ音が心地よく響く。淡い光と共に大樹の表皮がさらりと消失し、木漏れ日の差し込む美しい通路が現れる。その先には新しい二層目の景色が広がっていた。
「へえ、繋がったね。……今日はたくさん良いものも採れたし、探索はこのくらいにしておこうか。続きはまた今度の楽しみにしよう」
静が気負いなくのんびりと提案すると、アリアも「ええ、それがいいわね。無理して一気に行かなくても、大樹は逃げないもの」と笑って頷いた。全員が笑顔で納得し、一同は転移で温かな屋敷へと戻っていった。
◆◆◆
屋敷のキッチンに戻った静とセリナは、さっそく採れてきた泉草の仕分けを始めた。今夜の夕食に使う分を水洗いし、残りは保存用に加工することにする。
「本来なら何日か陰干しにするんだけど……」
静が思案していると、一緒にキッチンへ入ってきたリーナが「それなら、私に任せてちょうだい」と優しく微笑む。
リーナが細い指先をかざすと微かな魔力が揺らめき、泉草を包み込むように心地よい温風と微風がふわっと発生した。ものの数秒で泉草は鮮やかな緑色を保ったまま、カラリと香りの良い『極上の乾燥ハーブ』へと仕上がっていく。
「わあ……すごいな。魔術って、こういう風にも使えるんだね」
静が心から感心すると、リーナは少し誇らしげに「ふふ、これくらいお手の物よ」と胸を張った。
夕食の準備が整うと、セリナは仕込みの中で出来上がった澄んだ泉草のスープと新鮮なサラダをお皿に取り分けた。淹れたての泉草ハーブティーと皿をお盆に乗せて礼拝堂へ向かうと、足元には当然のように漆黒の毛並みをしたツキが寄り添ってついてくる。
神聖な祭壇の前で膝をついたセリナは、そっと目を閉じて胸の前で手を合わせた。
(ルーナフィリス様。今日、大樹の二層目でとても綺麗な『泉草』を見つけました。さっそく美味しいスープとお茶にいたしましたので、どうぞお召し上がりください)
祈りを捧げると、お盆の上の料理とお茶が淡い光の粒子に包まれ、スッと神域へ届いていく。それを見届けたツキが、「にゃん」と満足げに喉を鳴らした。
◆◆◆
食後、リビングで穏やかなお茶の時間を楽しんでいた静は、ふと思い立って連絡板を取り出す。指先で滑らかな表面をなぞり、フォルティナへ向けた文字の線を優しく定着させていく。
【静:フォルティナさん、今日みんなで大樹の二層目に行ってみたんですが、とても可愛らしい子たちがたくさんいましたよ】
文章を整えて送信すると、連絡板は一度静かに輝きを収めた。
その頃、フォルツ領主館の執務室では、山積みの書類に向き合っていたフォルティナの机の上で連絡板が静かに淡く明滅した。
指先で表面をなぞってメッセージを読み上げたフォルティナは、一瞬ピクッと肩を跳ねさせた。
(えっ……? か、可愛らしい子たち……? まさか静さん、大樹の上の層で……好みの女の子たちに出会ったということでしょうか……!?)
凛とした領主としての表情が一瞬で崩れ、フォルティナはほんの少しだけ顔を強張らせながら、慌てて返信の線を刻んだ。
【フォルティナ:静さん、可愛らしい子たちと言うのは、どのような方たちなのですか……?】
すぐに届いた返信を開いた静は、悪気なくうっかりとそのままの特徴を書き込んだ。
【静:そうですね、色とりどりの綺麗な子や、小さくて魅力的な子たちでしたよ】
その返信を見たフォルティナは、執務室の椅子の上で「綺麗で小さな子たち……ど、どういうことでしょうか……」と、若干放心気味に呟いて固まってしまった。
その横で自分の連絡板に表示された静とフォルティナのやり取りを眺めていたセリナは、ふっと気が付いた。
(あっ、静様ったら……小鳥やリスみたいな子たちのことだって伝えていないから、フォルティナさん、もしかして……)
同じように静へ特別な想いを抱くセリナは、フォルティナの焦りと困惑を即察し、慌てるフォルティナを安心させるように、自分の連絡板から優しく文字を送り届けた。
【セリナ:そうなんですよ、フォルティナさん。大樹の二層目には綺麗な小鳥や、リスみたいなかわいい子たちが沢山いて、ツキたちに木の実をお裾分けしてくれたんですよ】
そのセリナからのメッセージが届いた瞬間、フォルティナは「は……っ!」と大きく息を吐き出し、胸に手を当てて深く安堵した。
(綺麗な小鳥に、リスみたいな小動物たち……! ああ、よかった……そういうことだったのですね……!)
すっかり落ち着きを取り戻し、ぽっと頬を赤らめたフォルティナは、照れくささを隠しながらすぐに返信を返した。
【フォルティナ:そうだったのですね、教えてくださりありがとうございます。それはとても素敵ですね。ぜひその可愛らしい子たちに会ってみたいです】
それを見た静が嬉しそうに返信を刻む。
【静:また今度案内しますので、フォルティナさんとフレイアさんの都合の良い日を教えてくださいね】
【フォルティナ:はい! フレイと相談してお休みの日を決めたら、すぐに連絡しますね】
連絡板の通信を終えた静は、「フォルティナさんたちも楽しみにしてくれてるみたいだよ」と和やかに笑い、セリナも「ふふ、はい。楽しみですね」と心からの笑顔を返した。
窓の外には穏やかな夜空が広がり、屋敷には泉草の爽やかで優しい香りが満ちている。次の大樹への小さな約束を胸に、温かな日常の夜がゆっくりと更けていった。




