第十三話 琥珀色の余韻と帰路の秘密
おだやかな光の粒子がさらりと収まり転移した先は、見慣れたフォルツの街にある『上弦の宿』の一室。夕暮れの橙色の柔らかな光が窓から差し込む室内、テーブルの上には、先ほどまで並んで笑っていた静から手渡された、大きめのカゴが残されている。
「本当に夢のような二日間でしたね……」
フォルティナが心からのんびりとした笑顔を咲かせ、カゴの中を覗き込む。そこには大樹の果樹園で収穫した瑞々しい果実や、採れたての真っ赤なトマトやキュウリ、香ばしいナッツ、そして琥珀色に輝く不思議な蜂蜜ボールが綺麗に収まっていた。
「ええ、本当にね。……でもティナ、結構な量だし宿の人の目もあるわ。ひとまず私のマジックポーチに入れて、領主館まで持ち帰りましょうか」
「そうですね、フレイ。お願いします」
フレイアが手際よくカゴごとポーチへと収納する。宿の支配人が手配してくれた馬車に乗り込むと、車内にはすぐに心地よい揺れが訪れた。二人の膝の上ではルナが白銀の毛並みをすり寄せ、フレイアの手のひらでは、サンが「ぴぴっ」と小さく鳴いて、楽しかった時間の余韻に浸っている。
「いただいた大樹の恵み、どうやって食べましょうか。できるだけ素材そのものの味を楽しみたいですが……まずは新鮮なサラダが良いでしょうか?」
フォルティナがルナの耳の後ろを優しく撫でながら、楽しそうに首を傾げる。
「そうね……私の冒険者時代の経験から言うと、あのトマトは少し皮を炙ると劇的に甘みが増すと思うわよ。軽く火を入れて、香ばしい香りを引き出すのもいいと思うわ」
「まぁ、炙るのですか?それは素敵ですね。……明日、領主館の料理長にも相談してみましょう。この素晴らしい素材なら、きっと私たちの想像を超える一皿にしてくれますよ」
そんな他愛のない調理の相談を交わしながら、馬車はガタゴトと静かに進んでいく。ふいに、フレイアはポーチの口を開け、中からあの透明な殻に包まれた蜂蜜ボールを一つ、そっと指先で取り出してみた。
あの大樹の上にいた時は、周囲の空気そのものに薄く清らかな気配が漂っていたため、感覚が麻痺していて気づかなかった。けれどもこうしてフォルツの日常の空気に晒されたそれを見つめると――そこにはほんのりと、言葉にできないほど純粋な気配が宿っているのが分かった。
大樹の周辺を満たす特別な空気に触れた花々の蜜が、あの丸いミツバチたちの手で極限まで凝縮されたもの。エルフであるフレイアの脳裏には『ダークエルフの古い伝承』に遺された『伝説の樹』の記述がにわかに現実味を帯びて蘇ってくる。
(――待って。これって……世間一般に流通させたら絶対に駄目なやつじゃない……)
フレイアは手元のはちみつを見つめたまま、内心で一瞬にして青ざめていた。
(高位の魔術師や研究者がこんなものの存在を知ったら、我先にと大金を持ってこの街に押し寄せて来ちゃうわよ。静さん、あなたって人は本当に……どこまで規格外なものを普通に手渡してくるのよ……!)
隣に座る親友に、これ以上無用な政治的プレッシャーや心配をかけさせたくはない。フレイアは瞬時に思考を切り替えると、何事もなかったかのように平静を装って、蜂蜜ボールをそっとポーチの奥へと戻した。
「ねえ、ティナ。この蜂蜜ボール、あまりにも美味しそうだから……一度に食べちゃうのは勿体ないわね。お互いに少しずつ、大切に使いましょうか」
「ふふ、そうですね。とても美味しい蜂蜜ですから、夜に紅茶へほんの少し入れるだけでも、最高の贅沢になりますね」
(ええ、表には絶対に出さないように隠しておきましょう。後でギルドに戻ったら、保管庫の奥にある『鑑定の宝珠』でこっそり調べておかないとね……)
フレイアが内心でそう固く決意している間に、馬車はすっかり夜の帳が下りた領主館へと到着した。
◆◆◆
領主館の広い食堂では、料理長のフレンツが二人の帰館に合わせて、シンプルながら丁寧な夕食を用意して待っていた。
「おかえりなさいませ、フォルティナ様。フレイア様。どうぞ温かいうちにお召し上がりください」
「ありがとうございます。……フレンツ、実は今日、とても珍しい食材をいただいてきたのです。明日の朝食に、こちらのトマトを一品加えていただけますか? 炙って甘みを引き出す調理をお願いしたいのですが」
「おお、これは……失礼ながら、素晴らしい色艶のトマトでございますね。かしこまりました、明朝の一品にお出しいたします」
料理長が目を丸くしながら丁寧に受け取り、厨房へと下がっていく。フォルティナとフレイアは向かい合って席につき、温かいスープを一口含んだ。
「……やっぱり、お屋敷の料理とは違う味がするわね」
「ええ。でも、これはこれでフォルツの家の味ですから」
二人はそっと笑みを交わし合った。静の屋敷で過ごした二日間の余韻を胸に感じながら、柔らかな灯りの下で静かな夕食の時間が流れていく。
◆◆◆
夕食を終え自室に戻ったフォルティナは、お屋敷で静に分けてもらったお気に入りの紅茶を丁寧に一杯だけ淹れた。フレイアの言葉を思い出しながら、持ち帰った蜂蜜ボールの透明な殻をそっと割り、スプーンですくった琥珀色のしずくを温かい紅茶へと溶かしていく。
ひとくち、静かに口に含む。大樹の爽やかな木陰を思い出すような、驚くほど上品で優しい甘みが口いっぱいに広がり、胸の奥がじんわりと温かさに満たされていく。ただそれだけで一泊二日の旅の疲れも、明日からの重い公務への気負いも、すべてが嘘のように優しくほどけていくようだった。
ベッドの端では白銀のルナがすでに丸くなって穏やかな寝息を立てていた。フォルティナはその温もりをそっと確かめてから、自身の髪飾りにそっと触れた。静が作ってくれた、大切な黒晶の花。
「次は、どんな景色に出会えるのでしょうね……」
あの大樹の上で交わした「また今度」というおだやかな約束の余韻に包まれながら、彼女は満ち足りた静かな微笑みを浮かべ、そっと明かりを落とした。フォルツの穏やかな夜の中で、フォルティナはルナの温もりを傍に感じながら、心地よい眠りへとついていくのだった。




