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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第十七章 春の木陰と、優しさが繋ぐ新たな縁

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第十二話 天空の泉と次の約束

美味しいお弁当と採れたての実りを存分に堪能し、贅沢な昼食を終えた一行は緑豊かなエリアのさらに奥へと散策を進めていた。心地よい風に吹かれながら歩いていくと、大樹の巨大な幹の窪みにひっそりと澄んだ水を湛える大きな泉が姿を現した。


「とても綺麗な泉だね。……なんだか家が一軒建ちそうなくらい広いな」


静がのんきな声を上げる。それは大樹の上部からさらさらと透明な雫が絶え間なく流れ落ち、豊かに満ちている神秘的な泉だった。溢れ出た瑞々しい水は、大枝の端から遥か下の地上へと光を反射しながら静かに降り注いでいる。


「大樹の上から流れてくる水だから冷たくて気持ちいいよ。……うん、まるで『大樹の泉』って感じだね」


静がパシャパシャと無造作に水に触れながら素直な感想を呟くと、後ろからついてきたアリアがくすっと笑った。


「ふふ、シンプルだけど良い名前じゃない! 『大樹の泉』ぴったりね」


「ええ、本当にその通りだと思います」


セリナも穏やかに微笑みながら頷く。静にとってはただの綺麗な湧き水。その水面に触れた瞬間に広がったあまりにも純粋で温かい気配に、セリナは言葉にできない神聖さを本能的に感じていた。けれどもそれを大騒ぎすることなく、静のなせる穏やかな日常としてそっと胸の奥で受け止める。


「ぴぴっ!」


その泉の心地よさに惹かれるように、フレイアの頭の上から、サンが羽をパタパタと鳴らして泉の縁へと降り立った。フォルティナの足元にいたルナも「くぉん」と短く鳴き、二匹で珍しそうに落ちてくる雫を眺めたり、涼んだりして楽しそうに過ごし始める。


「きゅぅ!」


それを見たあかねが、嬉しそうに泉の水を前足でちょんちょんと叩き、小さな水飛沫を上げた。すかさず隣にいたツキが「にゃ、にゃあ」と、お姉ちゃんらしく小さく制止の声をかけるが、ハルやルゥ、マルも心地よさに目を細め、泉の周りでのんびりと寛ぎだす。そんなもふもふたちの愛らしい様子に、一同の表情も自然と和んでいった。


静が水面を指差し、「ん?あそこに魚が泳いでいるね。綺麗な魚だね」と呟くと、手帳を開いていたリーナがふっと顔を上げた。


「この泉を『大樹の泉』って名前にするなら、あの魚は『大樹魚(たいじゅぎょ)』ってところかしら?」


「あはは、それいいね! 大樹魚、響きがすごくしっくりくるね!」


フィアが楽しそうに笑い、みんなで「確かにそんな感じね」と和やかに笑い合う。そんな温かな会話が響いた、その時。


「……ん?また何かあるみたいだね」


泉のすぐ傍ら、古く厚い木肌に守られるようにして佇む、苔むした小さな祠があった。その奥にひっそりと収まっていたのは、屋敷の周りで何度も見かけてきた、あの淡く煤けた休止中のエリアコアだった。


(――ちょっと、またこの不思議な石のパターンじゃない……!)


一歩後ろにいたリーナは手帳を片手に、またしても胸がドキドキと高鳴るのを抑えきれずにいた。


(静が関わると、絶対にただじゃ起きないんだから。今度は何が起こるのかしら。あぁもう、本当に心臓に悪いわ……!)


口元を引き締めつつも手元を凝視するリーナの前で、静はいつものように特に深く考えることもなく、休止中のエリアコアにそっと指先を触れた。


――おん。


大樹の芯から響くような深い共鳴音が鳴り響き、淡いエメラルドグリーンの光が、泉の水と連動するようにして幹を駆け巡る。地響きひとつ立てることなく、祠のすぐ近くの表皮が、まるでカーテンを開くようにして『さらり』と消え去った。


現れた空間の奥にはさらに上の層へと緩やかに伸びていく、神秘的な螺旋状の石階段が静かに姿を現していた。


「な……、今度は上に向かう階段が出たわね」


リーナが呆然と呟き、アリアやフォルティナたちも「この上にも、まだ世界が続いているのね……」と息を呑む。新しく開かれた未知の階段を前に、誰もが「行ってみる?」という空気になったが、静は少しずつ橙色に染まり始めた空を見上げて穏やかに微笑んだ。


「へえ、上に続く階段だね。……でも、そろそろ良い時間かな。お腹も空いてきたし、お泊まりの遠足は大満足だから、今日の探索はここまでにして屋敷に戻ろうか。続きはまた今度、みんなで遊びに来ればいいしね」


焦らず、欲張らず、ただ日常の平穏を優先する静のそののんきな言葉に、その場に張り詰めていた緊張がふわっと優しく解けていく。


「そうね、静の言う通りだわ! 早く戻って、さっきの夏野菜とはちみつで美味しいものでも作りましょう!」


アリアが快活に笑い、みんなも笑顔で頷いた。静は泉の綺麗な水を少しだけ水筒に分けてもらい、右手を軽くかざすと光の粒子が全員を包み込み、一行は一瞬にして、あの陽だまりが広がる屋敷のリビングへと帰還したのだった。


◆◆◆


その日の夕方。リビングでは楽しかった一泊二日の締めくくりとして、最後の穏やかなお茶会が開かれていた。そろそろ帰る時間になり、フォルティナとフレイアが身支度を整える。その近くのリビングの絨毯の上ではすっかり仲良くなったルナとサンが、ツキやあかねたちの周りを離れようとせず、もっと遊びたそうにそわそわと身体を寄せ合っていた。


「ルナ、サン、そろそろ帰りますよ。……ふふ、本当にみんなと仲良くなれて良かったですね」


フォルティナが優しく腰を落とし、白銀の毛並みを撫でながら言い聞かせる。フレイアも頭の上のサンをそっと手のひらに乗せて微笑んだ。


「そうよ、サン。寂しがらなくても、またみんなで遊びに来ましょうね」


二人に優しく諭され、ルナが「くぉん」と健気に鳴き、サンも「ぴぴっ」と小さく羽をすぼめる。ツキたちも名残惜しそうに耳を動かしながら、少し離れた場所から「にゃあ」と穏やかな声で行ってらっしゃいと告げるように見送っていた。


「それじゃあ、送っていくね」


静が右手をかざすと、柔らかな光が三人を包み込んだ。一瞬の後、フォルツにある見慣れた『上弦の宿』の一室だった。


「本当に夢のような二日間でした、静さん」


フォルティナが心からのんびりとした笑顔を咲かせると、静は持ってきた大きめのカゴを二人の前のテーブルへとそっと置いた。中には大樹の上で採れたばかりの真っ赤なトマトやキュウリ、香ばしいナッツ、そして琥珀色に輝く蜂蜜ボールが綺麗に詰められている。


「これ、今日の遠足のお裾分け。良かったら二人で分けて食べてね」


「わあ……!こんなにたくさん、ありがとう!明日からのギルドの書類仕事、これを楽しみに頑張るわ」


フレイアが目を輝かせてカゴを抱え込むと、静は穏やかに微笑んで頷いた。


「うん、また今度、みんなで大樹に遊びに行こう」


「はい。楽しみにしていますね」


確かな次の約束を交わし、静が右手を一度かざすと、柔らかな光の粒子と共に静の姿が消えた。宿の一室には温かな恵みの香りと、二人の楽しそうな笑い声が優しく残されたのだった。


◆◆◆


光が収まり、静が静かな空白地帯のお屋敷のリビングへと戻ると、そこにはいつもの安心感が満ちていた。にぎやかな遠足を終えたツキやあかね、ハル、ルゥ、マルといった幼体たちは、心地よい疲れに身を委ね、リビングの絨毯の上でまあるく重なり合って、すでにすやすやと眠りについていた。


「みんな、お疲れ様。また今度だね」


静は足元で眠る大切な家族たちを起こさないよう、足音を忍ばせて優しく微笑んだ。


その夜、夕食が落ち着いた頃、セリナがツキを連れてそっと礼拝堂へと向かった。小皿には蜂蜜ボールと大樹の果樹園で採れたナッツが丁寧に盛り付けられている。


「ルーナフィリス様。今日、大樹の上でミツバチの皆さんからたくさんの恵みをいただきました。大切なひとときに感謝を込めて、お届けします。どうぞお召し上がりください」


セリナが祭壇の前でそっと目を閉じると、小皿をふわりと柔らかな光の粒子が包み込んだ。光が静かに引いていくと同時に、すっと綺麗に消え去っていた。


「今日もしっかりと受け取っていただけましたね、ツキちゃん」


「にゃん」


ツキが短く喉を鳴らし、二人は満足げにリビングへと戻るのだった。


静はリビングの窓辺に腰かけ、温かいお茶を一口含みながら夜空を見上げた。大樹の遥か上層には、まだ誰も踏み込んでいない未知の螺旋階段が次の探索を待っている。


「次はどんな景色が見えるのかな」


静の呟きは夜の静寂にそっと溶けていき、どこまでも穏やかで愛おしい、お屋敷の夜が更けていくのだった。

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