第五話 陽だまりを紡ぐ糸、新しき家族の愛称
待ちに待った遠足の朝、お屋敷の台所には早朝から香ばしい匂いが立ち込めていた。
静とセリナは並んで台所に立ち、今日のお弁当の主役である山菜天むすを仕上げていた。先日南東の森で摘んだコシアブラやタラの芽の天ぷらを、炊きたてのご飯と特製の甘辛い醤にくぐらせ、手際よく海苔で包んでいく。
「静様、お塩の加減はこちらでよろしいですか?」
「うん、バッチリだよ。セリナの握るおむすびは、いつも形が綺麗だね」
「ふふ、ありがとうございます」
セリナが嬉しそうに黒晶の髪飾りを揺らす。円卓の周りでは、アリアたちが敷物や水筒の準備を進める傍らで、小さな家族たちが熱烈な試食係を務めていた。静が小さく分けた天むすを差し出すと、あかねが「きゅ!」と短い尻尾をパタパタ振り、ルゥも「くぅ」と満足げに喉を鳴らして頬張る。マルも「ぷぅ、ぷぷぅー」と声を弾ませておねだりし、フィアの肩から飛び降りたハルが「ひゅん!」と嬉しそうに風を巻く。普段はおねえちゃんらしく澄ましているツキも、今日ばかりは「にゃにゃっ」と足元で小さく声を弾ませて静を見上げていた。
「よし、準備万端だね。みんな、先に向こうへ行って現地の準備をお願いできるかい?」
「任せなさい、静。特等席に敷物を広げて待っているわ」
アリアが頼もしく頷く。静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれた。光が収まった瞬間、お弁当と屋敷のメンバー全員が、あの満開の桜が舞い散る世界樹の下へと一瞬で転移していった。
「それじゃあ、二人を迎えに行ってくるよ」
静は一人、再び右手をかざして光の粒子を巡らせ、今度はフォルツの街にある「上弦の宿」の、アリアたちの部屋へと転移した。そこでは、仕立ての良い私服に着替えたフォルティナとフレイアが、今か今かとそわそわしながら待っていた。
「おはよう、二人とも。お待たせしてしまったね」
「静さん、おはようございます。いえ、私たちも先ほど準備を終えたところです」
「おはよう、静さん。もう楽しみで、昨日の夜から二人して全然寝付けなかったんだから」
フレイアが少し悪戯っぽく笑う。静はのんびりと微笑みながら、二人にそっと右手を差し出した。
「喜んでもらえて良かった。それじゃあ、最高の場所にみんなが待っているから、行こうか」
二人がその手をしっかりと握った瞬間、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれる。光が優しく引いたときには、三人は一瞬にして、あの南東の丘の裏側、天を衝くほどの大樹の下へと降り立っていた。
◆◆◆
「――まぁ……!」
フォルティナはあまりの美しさに両手を胸の前で合わせ、言葉を失った。世界を覆い尽くさんばかりに広がる枝葉、そこに咲き乱れる無数の淡い桜色の花びらが、春の光を浴びてきらきらと舞い散っている。
「なんて大きくて、綺麗な花を咲かせる木かしら。まるで夢の世界に迷い込んでしまったようです」
「本当に見事だよね。二人にこれを見せたかったんだ」
のんびりと笑う静の横で、フレイアは別の意味で言葉を失い、冷や汗を流していたが、お屋敷のみんなが「フォルティナさん、フレイアさん、こっちこっち!」と手を振るのを見て、驚愕を心の奥へ仕舞い込んでシートへと歩いた。
満開の花の下、静たちは山菜天むす弁当を広げた。サクサク感を残した山菜と醤の甘辛い旨味がご飯に染み込んだ天むすは大好評で、フォルティナも「静さん、このおむすび、本当に美味しいです」と、一歩だけ踏み込んだ近い距離でそっと寄り添い、嬉しそうに微笑んでいた。
お昼が過ぎ、心地よい風が花びらを散らす中、静がふと思い出したように腰を上げた。
「そういえば、このすぐ近くに古い祠があるんだ。場所を使わせてもらうから、少しお裾分けをしていこうか」
静は小皿に綺麗に盛り付けた天むすを一つ手に取り、フォルティナたちを連れて、みんなで清掃したあの祠へと歩み寄った。祠の前にそっと小皿をお供えした、その時だった。
何かふわっとした温かい風を感じた気がした後、祠の閉ざされていた扉が、すっと自然に左右へと開放された。
「あれ……静様、祠の奥に、石段がありますね」
セリナが指し示した祠の奥には、綺麗に整えられた石階段が地下へと続いていた。静を先頭に、地下へと続くその階段を降りると、そこにはひんやりとした厳かな空気と、淡く神秘的な光が満ちていた。まるで世界の始まりから隔離されていたかのような、静謐な空間。
そして、中央にある古い石造りの祭壇に――乳白色の球体が二つ、寄り添うように並んで眠っていた。淡く美しい光を放つその球体を見つめた瞬間、フォルティナとフレイアの胸の奥に、トクンと何かに優しく呼ばれたような、不思議な温かい波動が走った。
吸い寄せられるように祭壇へ近づき、二人が何故か自然と、それぞれの球体へとそっと指先を触れる。
その瞬間、乳白色の球体がさらさらと綺麗な光の粒子となって崩れ、消え去った。光の跡から姿を現したのは、二匹の小さな、愛らしい幼体だった。
フォルティナの前には、月光のように透き通る白銀の毛並みを持つ、もふもふとした小さな銀狐の幼体。その額には乳白色の半透明な小さな水晶が静かに輝いていた。
フレイアの前には、太陽の光を浴びたような温かみのある薄黄色の羽毛を持つ小さな小鳥の幼体。その額には細い稲妻のような模様を宿した黄色い小さな水晶が輝いている。
「くぅん……」
「ぴぴっ」
白銀の子狐はフォルティナの手に小さな鼻先をそっと擦り寄せ、薄黄色の小鳥はフレイアの指先にちょこんと飛び乗って甘えるように羽を震わせる。
フレイアは一瞬だけ完全に表情を崩し、「……っ可愛い」と小声で呟いた。普段の凛としたギルドマスターの仮面がすっかり外れた、本当に素直な一言だった。フォルティナもそのあまりの愛らしさと、魂が直接結びついたような愛おしさに、完全に胸を射抜かれてノックアウトされてしまっていた。
「可愛い子が来たね。あかねたちと一緒で、この祠でずっと眠っていたのかな」
静がのんびりと目を細めると、フォルティナは腕の中の子狐をそっと抱きかかえ、フレイアと顔を見合わせながら少し不安そうに静を見上げた。
「静さん……この子たちを、私たちが連れて帰ってもいいでしょうか……?」
「もちろん。この子たちも二人のことが気に入ったみたいだし、きっと大丈夫だよ」
静は少しも躊躇うことなく、全肯定の優しい笑顔を返した。その言葉に、二人は感激に目を潤ませながら、新しい家族を愛おしそうに抱きかかえた。
◆◆◆
地上へと戻り、敷物の上で静が小さくちぎったおむすびの白米を差し出すと、二匹は嬉しそうにもぐもぐと食べ始めた。ツキやあかね、ルゥたちも興味津々で近づき、新しい仲間を歓迎するように優しく匂いを嗅ぎ合っている。フィアの肩のハルが「ひゅるぅ?」と首を傾けて、サンの小さな翼をじっと見つめていた。サンがハルに向かって「ぴぴっ」と短く鳴くと、ハルも「ひゅん」と応えて、二匹はしばらく顔を見合わせていた。マルの「ぷぅ、ぷぷぅー」という長閑な鳴き声が、世界樹の木陰に響き渡っていた。
「連れて帰るなら、名前を付けてあげないとね。みんなで考えようか」
みんなであれこれと愛称案を出し合った末に、二匹の毛並みや特徴から、やがてとても素敵な名前に決まった。
「月光の優しく透き通るような白銀の毛並みだから、この子は『ルナ』ね」
フォルティナが愛おしそうに名前を呼ぶと、子狐は「くぉん」と嬉しそうに鳴いた。
「じゃあ、こっちの太陽の光を浴びたような温かい薄黄色の子は『サン』ね! よろしく、サン!」
フレイアが指の上の小鳥に微笑みかけると、サンも「ぴぴっ!」と元気に小さな羽をパタパタと震わせて応えた。
その後、新しい家族を抱えた二人を、静は転移で「上弦の宿」へと送り届け、自身たちもお屋敷へと帰還した。
◆◆◆
帰宅してしばらくして、セリナがツキを連れて礼拝堂へと向かった。
「ルーナフィリス様。今日は世界樹の木陰で、素晴らしいひとときを過ごすことができました。フォルティナさんとフレイアさんに、新しい大切な家族が増えました。今日の感謝を込めて、お届けします。どうぞ、お召し上がりください」
セリナが祭壇の前でそっと目を閉じると、盆の上の天むすをふわりと柔らかな光の粒子が包み込んだ。光が静かに引いていくと同時に、すっと綺麗に消え去っていた。
「今日もしっかりと受け取っていただけましたね、ツキちゃん」
「にゃん」
ツキが短く喉を鳴らし、二人は満足げにリビングへと戻るのだった。
◆◆◆
その日の夜、静がリビングの温かいお茶を飲んでいると、壁の連絡板がふわりと瞬いた。指先でなぞられた、どこか弾むようなフォルティナの綺麗な文字が浮かび上がってくる。
【フォルティナ:本日はありがとうございました。ルナとサンを屋敷の皆に紹介し、家族として迎える説明をしました。みんな、とても歓迎してくれています】
静は微笑み、魔力を指先に込めて返信を綴った。
【静:よかった。新しい家族と、ゆっくり休んでね】
板の端を指先で軽く押さえると、文字がすっと光に変わって消えていった。
◆◆◆
領主館の広い寝室では、ナイトドレスに着替えたフォルティナが、ベッドの中で白銀の小さな身体を優しく抱きしめていた。腕の中で、すやすやと無邪気に丸くなって眠るルナの柔らかな温もり。
「ふふ……本当に、夢のような一日でしたね、ルナ」
フォルティナは幸せそうに目を細め、そっと愛おしい家族の頭を撫でた。
そして同じ領主館の別室では、フレイアもまた、ベッドのすぐ隣に用意した柔らかなクッションの上で、小さな翼に顔をうずめて眠るサンを愛おしそうに見つめていた。フレイがそっと指先を寄せると、サンは眠ったまま「ぴゅ……」と小さく愛らしく喉を鳴らした。
あの絶対的な陽だまりが紡いでくれた、新しき大切な縁。来る春の麗らかな風を感じながら、彼女たちはこれまでにない確かな安らぎと温もりに包まれて、穏やかな眠りの中へとゆっくりと落ちていくのだった。




