第八話 縁の広がりと、セレニアの顔見知り
冬の柔らかな日差しが、セレニアの大通りを白く照らしていた。前日の職人通りでの賑やかなお裾分けの余韻が残る中、静たちは再び市場へと買い出しに訪れていた。静は生成りの上着をまとい、いつものように穏やかな足取りで石畳を歩いていく。
彼らは特別なことは何もしていなかった。ただ「美味しかったから」「また見にきた」という、日々の生活の延長にある歩み。それなのに、街の側が驚くほど自然に彼らを『知っている顔』として受け入れ始めていた。
「おう、昨日の『黒猫のあんちゃん』だな! これ、美味い根菜が入ったから持ってけ!」
通りがかりのドワーフの食材店主が、荷台の木箱から瑞々しい大根をいくつか静の籠へと放り込んできた。静は少し恐縮しながらも、「ありがとうございます。嬉しいです」と微笑んだ。
「お嬢さん、この前の青い生地、気に入ってもらえましたか?」
エルフの織物商の店先では、店主がミレイアを見かけて朗らかに声をかけていた。ミレイアは腕の中のルゥをそっと抱き直しながら、ふっと口元を緩めて「ええ、とても良い仕立てになったわ」と短く返す。ルゥも「くぅ」と満足げに目を細めていた。
「あ、また来た!」
少し先では、以前フィアが大量に串焼きを購入した獣人の屋台主が、嬉しそうに大きく手を振っていた。フィアの肩の上で、ハルが「ひゅるぅ」と機嫌よく羽を揺らすと、心地よい風が屋台の煙を優しく散らしていく。
セリナは静の少し隣で、乾燥香草の並ぶ薬種商の店先に立ち止まっていた。ツキが「にゃ」と短く鳴いてセリナの足元を一周する。
「静様、この冬の香草、お鍋に合いそうですよ」
「ほんとだ。じゃあ少し買っていこうか」
静がのんびりと頷いて店主に声をかけると、薬種商のエルフの女性がセリナを見て目を細めた。「昨日のお裾分け、うちの父に届いたんです。とても美味しかったって」と、少し照れくさそうに言う。セリナが「それは良かったです」と微笑むと、女性は香草を一束多めに包んでくれた。
◆◆◆
静たちが広場の片隅で買い出しの荷物を整理していると、人混みを割って、昨日の老職人の若い弟子が息を切らせて走ってきた。その腕には、ずっしりとした細長い木箱が抱えられている。
「これ、親方からだ! 『あのねえちゃんの剣の研ぎはもうちっと時間がかかる。俺の技術を安売りする気はねえからな。これは、その間でも使え』ってな!」
手渡された木箱の蓋を、静が不思議そうに開ける。中には、二つの包みが整然と収められていた。
一つは、静のために仕込まれた一丁の包丁だった。大仰な装飾はないが、手入れの行き届いた鉄の鈍い光沢、そして静の手元に吸い付くように馴染む、絶妙な曲線を描いた木製の柄。静がそっとその柄を握ってみると、まるで自分の体の一部になったかのような、不思議な一体感があった。
その様子を見ていたリーナは、思わず小さく息を呑む。
(……持ち主の手の癖まで読んで仕立てているの?量産品どころか、一流の料理人でも簡単には手に入らない水準じゃない)
だが当の静は、ただ新しい調理道具を手に入れた子供のように嬉しそうな顔をしているだけだった。
そしてもう一つ、包みの下に収められていたのは、一本の美しい細身の直剣だった。それを見たアリアの目が、かすかに見開かれる。拵えこそ素朴だが、鞘から覗く身の刃文は恐ろしいほどに均質で、一目でそれが一級品だと分かる代物だった。最高の仕事をするために時間は妥協しない。だが、その間の剣士の帯剣に隙を作ることも許さないという、最高鍛冶匠としての粋な計らいだった。
その鉄の密度をじっと見つめたリーナは、手帳を閉じたまま内心で息を呑んでいた。
(魔導回路も刻まれていないのに、ここまで素材を仕上げているなんて……。実戦用としては間違いなく一級品ね。貸し出し用でこの水準だなんて、本当に恐ろしい職人だわ)
「すごいな……明日、これでみんなに何か美味しいものを作ろう」
静はただ純粋に、素晴らしい道具を貰えたことへ少年のように瞳を輝かせ、包丁を丁寧に布で包んで籠の底へと大切にしまい込んだ。アリアも貸し出された直剣を腰へと帯び、その確かな重心の安定感に、そっと口元を緩めていた。
「静様、その包丁……本当に良い形をしていますね」
セリナが籠を覗き込んで目を細める。
「うん。持った瞬間に、なんかしっくりきた。早く使ってみたいな」
「ふふ、静様が料理で使われるのが楽しみです」
「きゅ!」
アリアの腕の中のあかねが、タイミングよく鳴いた。アリアが「あんたも楽しみなの」と苦笑しながらあかねの頭をそっと撫でると、あかねは「きゅ」とひとつ頷くように鳴いた。
◆◆◆
その様子を、市場を見下ろす二階のテラス席から、静かに見つめている人影があった。フォルツでの用件を終え、再びセレニアへと仕入れに戻ってきたばかりの商人――リシェルだった。
彼女は手元のハーブティーを口に運ぶことも忘れ、市場の人々に自然に溶け込んでいる黒髪の青年たちを、遠目からじっと観察していた。
(……あの一団、やはり何かがおかしい)
名前も、その正体も分からない。いくら商業が盛んで異邦を拒まぬ街とは言え、人間、ドワーフ、エルフ、獣人たちがこれほどバラバラに集まる市場で、誰もが彼らをまるで昔からの身内であるかのように笑顔で迎え、自然に巻き込んでいる。その奇妙な調和に、リシェルは商人の直感で強烈な引っかかりを覚えていた。
(……やはり、何かを引き寄せる。しかし、それは権力でも、金でも、策略でもないわね。ただ彼らが『そこにいて、笑っているだけ』。意図して作れる調和ではないわ)
深入りはしない。真実を暴くことなど、一歩引いた媒介である旅商人のスタンスではない。リシェルは愛用の手帳を開くと、使い込まれたつけペンを走らせ、冷徹な商人の視線でただ事実だけを短く書き留めた。
『セレニアにおける注視対象。観測を継続。ただし、踏み込むべからず』
パタン、と静かに手帳を閉じる。それが、彼女が選んだあの一団との心地よい距離感だった。
◆◆◆
「にゃあ」
広場では、集まってきた子供たちにのんびりと撫でられていたツキが、満足そうに短く鳴いて静の足元へと戻ってきた。
「ツキ、お待たせ。それじゃあ、そろそろ屋敷に帰ろうか」
静がのんびりとした笑顔で呼びかけると、足元のマルが「ぷぅ」と一鳴きして嬉しそうに歩き出す。フィアが「次来た時も、あの屋台に寄りたい!」と言い、ハルが「ひゅるぅ!」と同調するように羽を揺らした。
冬の冷たい、けれどどこか優しい風が吹く市場を後にする一行。籠の底には、贈られた最高の包丁が丁寧に布に包まれて、次の日常の美味しい料理を静かに待っていた。
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物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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