第七話 職人通りの昼ご飯
カン、カン、と心地よい金属音が響くセレニアの職人通りを、静たちはのんびりとした足取りで歩いていた。薄く雪の残る石畳を進み、あの一角にある古い工房の前を通りかかると、作業台の前に立つがっしりとした体格のドワーフの老職人と、ピタリと目が合った。
老職人は木べらを動かす手を止め、深く刻まれた眉間の皺を寄せながら、ぶっきらぼうに声をかけてきた。
「……ふん。お前か。あの醤、どうだった」
静は嬉しそうに微笑み、籠の中から丁寧に包まれた小さな器を取り出した。
「とても美味しかったです。屋敷でいくつか料理を作ってみたので、良かったら召し上がってください」
差し出されたのは、老職人の醤を使ってじっくりと形が崩れるまで煮込んだ、冬野菜と肉の小分けだった。老職人は眉をひそめてそれを受け取り、無骨な手で一口、口へと運ぶ。……しん、と工房の前に静かな沈黙が降りた。
「……ふん。及第点だな」
短い評価。だが、その目は明らかに満足そうに細められていた。老職人は器を置くと、自身の工房の前にある広い作業台と、赤々と熱を帯びた大きな鉄板を親指で指し示す。
「せっかくだ。ここの作業台を使え。ここで客に食わせてみろ。俺の醤の本当の使い方を、周囲のやつらに教えてやるのも悪くない」
「え? いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて……」
静はまったく威張る様子もなく、のんびりと生成りのエプロンを締めた。そして、屋敷から持ってきていた瑞々しい冬野菜や、調味液に漬け込んでいた肉を、ごく自然な手つきで調理台の上へと並べていく。鉄板の上に醤が落とされ、じゅう、と香ばしい音が弾けた。焦げた大豆の芳醇な匂いが、冬の冷たい空気の中に一気に広がっていく。
「ひゅるぅ!」
フィアの肩の上で、ハルが機嫌よく羽を揺らした。ハルが小さく身を翻すたびに心地よい風が生まれ、その美味しそうな湯気と匂いを、職人通りの奥へと優しく運んでいく。
「お、なんだこのいい匂いは!」
「頑固親父の工房の前で、美味そうなものを焼いてるぞ」
匂いに釣られて、一人、また一人と職人たちが足を止め始める。集まってきた大人たちの足元では、小さな子供たちが興味深そうにこちらを覗き込んでいた。
「にゃあ」
静の足元からツキがするっと子供たちの前へと歩み出た。ツキは集まった子供たちへさりげなく近寄ると、ちいさく小首を傾げて愛嬌を振りまいた。その愛らしい姿に、ピリピリとした職人通りの緊張感がすうっと中和され、子供たちから「わぁ、可愛い黒猫ちゃん!」と歓声が上がる。ツキはお姉ちゃんらしく、満足げに喉を鳴らしていた。
その間、セリナは静の隣に立ち、静が焼き上げた料理を手際よく器へと盛り付けていく。「熱いので気をつけてくださいね」と声をかけながら、集まってきた職人たちへ丁寧に手渡していく。
少し離れた場所では、ミレイアがルゥを腕に抱いたまま、職人通りに並ぶ織物や革細工の工房をゆっくりと眺めていた。「ここにある革の仕立て方、フォルツのものとはまた違うわね」とミレイアが呟くと、ルゥが「くぅ」と短く鳴いて、工房の奥から漂ってくる香草の染料の匂いに鼻先を向けていた。
その少し後ろでは老職人が調理を待つ間、アリアの腰に下げられた得物に目を留めていた。細身の、だが極めて均質で美しい輝きを放つ一本の直剣。
「……おい、ねえちゃん。良い剣を持っているな。ちょっと見せてみろ」
アリアは少し驚きながらも、礼儀正しく剣を鞘ごと差し出した。老職人は無骨な指先で柄や鞘の鯉口に触れ、ふむ、と深く頷く。
「いい手入れをしてる。型は古いが、持ち主が芯からこの剣を大事にしているのがよく分かる。よし、俺が研ぎ直してやる。こう見えても鍛冶職人としては、まぁまぁ名が通っているからな。任せておけ」
老職人が不器用な優しさでそう言った、その時だった。醤の匂いに釣られて隣の店から顔を出していた別の職人が、ゲラゲラと声を上げて笑い出した。
「おいおい、親方! 『まぁまぁ』だなんて、よく言うよ! 剣士のお姉ちゃん、騙されちゃいけないぜ。この親父はなぁ、セレニア連邦から最高鍛冶匠の称号を授かってる、連邦一の伝説の鍛冶師なんだからな!」
「なっ……っ、余計なことを言うな!」
老職人が耳の裏を真っ赤にして怒鳴り散らす。アリアとリーナは一瞬目を丸くしたが、アリアはすぐに居住まいを正し、その伝説の老職人へ向かって深く一礼した。
「……師匠から頂いた、とても大切な剣なのです。どうか、よろしくお願いいたします」
「……っ、ふん。分かったらそこらで大人しく美味いもんでも食ってろ」
老職人はバツが悪そうにそっぽを向き、アリアの直剣を抱えて工房の火床へと向かった。アリアの腕の中で、夕日の色をしたあかねが「きゅ」と短く鳴き、飛び散る炉の火の粉を度胸よくじっと見つめている。老職人はそれを見て、「見どころのある小さなやつだな」と、あかねのことも少しだけ気に入ったように口元を緩めていた。
「ぷぅ」
リーナの足元では、マルが前足で石畳を小さく叩いていた。自然と工房の火床の炎がふっと安定したように見えた。リーナは手帳を閉じながら、「……ふふ、よくできたわね」とマルの丸い頭をそっと撫でた。
「はい、お待たせしました。温かい煮込みと、醤焼きです。おかわりもありますから、もし良かったら食べてみてくださいね」
作業台の前では、静が焼き上がった温かな料理を、集まった職人たちへ笑顔で手渡していた。それは偽善的な施しなどでは決してない。ただ「美味しいから」「皆にも知ってほしい」という、小さくて優しいお裾分け。
「美味い……! 親方の醤が、こんなに優しくて深い味になるなんて!」
「なんだか、体の芯から温まるなぁ」
職人たちの間に、自然な笑顔と美味の沈黙が広がっていく。
老職人はアリアの剣を丁寧に扱いながら、作業台の前で本当に楽しそうに料理を配る静の手元を、じっと見つめていた。その無欲な手つきと、料理にかける純粋な気遣い。
(あいつは、良い『手』をしてるな。……この剣の研ぎが終わったら、あいつの手元にぴったり馴染む、とびきりの包丁を一本、仕込んでやるか)
それが後に静へと贈られる特別な道具の、静かな約束の瞬間だった。
食事が一段落した頃、フィアが「醤キャラメルの焼き菓子もあるよ!」と籠の中から包みを取り出した。屋敷から持ってきていたデザートの分だ。
「お菓子まであるのかい!」
職人たちがまた笑顔になり、子供たちが目を輝かせて集まってくる。ツキが「にゃ」と短く鳴いて、子供たちの輪の中心でのんびりと撫でられていた。
冬の冷たい風が吹き抜ける職人通りの一角。けれどそこだけは、まるでお日様が居座り続けているかのような、温かな調和の光で満たされていた。
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物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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