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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第十六章 冬の灯火と、優しさが紡ぐ縁

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閑話 王都の一室、私的なメモ

窓の外は、すっかり夜の闇に塗り潰されていた。

王都ルミエールにある監察局の一室。机の上で一本の蝋燭が頼りなく揺れ、レナードの手元を淡く静かに照らしている。脇に置いたハーブティーのカップからは、すでに温かな湯気が消え失せて久しかった。


彼はインク壺の傍らに、使い込まれたつけペンをそっと置いた。


昼間、教会中央監察局の厳粛な審議室で、彼はフォルツでの査察結果をありのままに報告した。最初こそ、一部の司祭から「教会に所属せぬ聖女などあってはならない」「拘束して保護すべきだ」といった頑なな意見も出た。だが、議長をはじめとする多くの上層部は、決して盲目ではなかった。老司祭が口にした『観測の女神ルーナフィリスの聖女』という可能性と、かつて各国に降った厳かな神託の重みを、彼らは深く、賢明に受け止めたのだ。神々の意志を損なわず、人々の健やかな営みを見守るための『静観』。それは組織の棚上げなどではなく、信仰に生きる者たちなりの、誠実で畏れを伴った決断であった。


ぱち、と蝋燭の芯が小さく爆ぜる。


レナードは静かに息を吐き、誰にも見せない私的なメモ帳を開いた。昼間、審議の直後にたった一行だけを書き記したその白い紙へと、再びペン先を落とす。黒いインクが、じわっと紙の繊維に染み込んでいく。


『私はあの街で、教会の誰かに会ったわけではない。ただの領民たちと、顔も知らぬ治療師の在り方に出会っただけだ。それなのに、なぜこれほど胸に残るのか』


脳裏に鮮明に蘇るのは、フォルツの街で聞き込みをした際に出会った、一人の小さな女の子の姿だ。泥のついた靴のまま、キラキラとした純粋な瞳で自分を見上げて、あどけない声を弾ませて教えてくれた言葉。


――『えっとね、とっても綺麗で優しいお姉ちゃんだったの! 困ってる人をね、ぱっと一瞬で治してくれて……まるでおとぎ話に出てくる『始まりの聖女』様みたいだったよ!』


あの屈託のない、真っ直ぐな笑顔。かつて自分が神学校で学び、実直で誠実でありたいと願った、本来の聖職者としての原点がそこにあった。どれだけ緻密な制度を整え、厳格な秩序を敷こうとも、人間の作った仕組みがすべての善性を掬い上げられるわけではない。教会に認められずとも、ただ人々の側に立つ少女にこそ、本物の祈りと純粋な聖性が満ちていた。


『制度は人を守るためにあるはずだ。しかし制度を守ることが、人を守ることと一致しなくなる瞬間がある。あの街はその答えの一つを持っているように思えた』


一度、ペン先が止まる。巨大な教会の歴史を前には自分の存在はあまりにも小さく、世界を大きく変えることなどできないかもしれない。


それでもと彼は再び静かにペンを動かし、自らの胸に刻みつけるように最後の言葉を綴った。


『私は何も変えられないかもしれない。だが、少なくとも自分の目の前の仕事が、誰かの善性を踏み躙らないよう、気をつけていこうと思う』


パタン、と静かな音を立ててメモ帳を閉じる。それを引き出しの最奥、誰の目にも触れない場所へと丁寧に仕舞い込んだ。


机に戻り、すっかり冷めたハーブティーを一口だけ飲んだ。冷たかった。それでも悪くない味だった。


立ち上がり窓辺へと歩み寄る。見下ろす王都の夜景はどこか冷たく、規則正しい光が整然と並んでいる。


レナードは窓ガラスに映る自分の顔を見つめ、小さく息を吐き出した。


「……それで十分だ」


呟きは夜の闇に溶けていく。

イメージソングを作成してみました。

もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。

物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。

https://suno.com/@10monoshin8


カクコムでも先行掲載しています。

もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。

https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578

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