第九話 防波堤たちの台所、上弦の響き
セレニアから戻った翌日のこと。王都からの調査団を無事に撥ね退けたフォルティナとフレイアの二人は、領主館の広大な厨房の前に立っていた。二人の手には、静から連絡板で届いた丁寧な『醤のレシピと使い方のメモ』が大切そうに握られている。
「……フォルティナ様、本当にお正気ですか!?」
厨房の入り口では、領主館の料理長と執事長が、揃って顔を真っ白にして大慌てで引き留めていた。我が主である高貴なフォルティナと、王都の冒険者ギルドマスターであるフレイアが、突然動きやすい服装で「自分たちで料理をする」と言い出したのだから無理もない。
「ええ、少し気分転換よ。料理長、火の管理や調理道具の使い方を教えてもらえるかしら?」
フォルティナが優雅に微笑むと、フレイアも「領主館の財政が傾いたわけじゃないから安心して。ちょっと美味しい調味料が手に入ったから、試作をしたいのよ」と笑いながらエプロンを身に着けた。
「フォルティナ様の高貴なお手を汚すなど……!」
と涙目になる執事長を宥めつつ、二人は厨房へと入る。
しかし、いざ調理が始まると、料理長のアドバイスがあるとは言え、その手際の良さに使用人たちは次々と目を見張ることとなった。
フォルティナは料理長に教わりながらも、持ち前の集中力で手順を一つずつ正確にこなしていく。最初こそ包丁の扱いに少し戸惑っていたものの、数回繰り返すうちに綺麗な大きさで野菜を揃えられるようになっていた。
フレイアにいたっては、元最上級冒険者として長年パーティの食事を担当していた経験があり、手慣れたナイフ捌きで大ぶりの肉の塊を自然に捌いていく。
「この部位は煮込み用、こっちは焼いた方が美味しいわね」
そう言いながら迷いなく切り分けていく姿に、料理長は思わず目を丸くした。
「ギルドマスター殿……まさか、ここまで料理がお出来になるとは」
「冒険者は食事も仕事のうちよ。野営で不味いものばかり食べていたら士気が下がるもの」
フレイアは当然のように笑いながら、香草や野菜の下処理まで手際よく進めていくのだった。
静のメモに従って、じっくりと出汁を取ったスープに『ドワーフの醤』を溶かし、肉料理のタレを調合していく。やがて厨房いっぱいに、これまでに嗅いだこともないような、豊潤で身体の芯を震わせるような香ばしい湯気が立ち上った。
「よし、これで完成ね。料理長、少し味を診てくれるかしら?」
フォルティナに促され、おそるおそるスープを口に含んだ料理長は、一瞬その表情が固まり、思わず呟くように話し出す。
「……な、なんという深み……我が領の根菜の甘みと、この未知の調味料の旨みが、完全に一体となっております……見事です……。この調味料の使い方、私には思いつきませんでした」
大絶賛する料理長の声に、二人は顔を見合わせて「よし、合格ね」と小さくハイタッチを交わすのだった。
手応えを掴んだフレイアは、「やるなら、あのお屋敷の面々を領主館に呼んで緊張させるより、いつもの『上弦の宿』の厨房を借りて、完全なプライベートの食事会にした方が静さんたちも気兼ねなく楽しめるわね」と提案した。フォルティナも深く賛同し、その日のうちに静へ連絡板を送った。
【フォルティナ:静さん、セリナさん。先日いただいたレシピで、素晴らしいお料理が作れるようになりました。もしよろしければ明日の昼、日頃の感謝を込めて、私とフレイで『上弦の宿』にて手料理を振る舞い、おもてなしをさせてください】
◆◆◆
そのメッセージをお屋敷のリビングで受け取った静は、大喜びで顔を上げた。
「へえ! あの二人が手料理を振る舞ってくれるんだって。領主館の料理長の知恵が入った調理方法がどんなものか、すごく興味があるな。みんな、明日の昼は『上弦の宿』へ招待されたよ」
「フォルティナ様たちの手料理、本当に楽しみですね、静様」
セリナが嬉しそうに微笑むと、長椅子にいたフィアが「やったー! 美味しいものいっぱい食べたい!」と声を弾ませ、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と楽しそうに短い羽を揺らした。アリアやリーナ、ミレイアも「あの二人がねぇ……」「面白いじゃない、食べに行ってあげるわ」と興味津々の様子だ。
「せっかく招待してもらったんだから、俺たちもお礼にデザートを作って持って行こうか。……よし、今から少し、果樹園へ素材を採りに行こう」
静の提案で、お出かけ前のひと仕事が始まった。雪が薄く積もる屋敷近くの森の一角へ、静とセリナ、そしてツキが向かう。
お屋敷の周囲には、静たちがこれまで各地で見つけてきた果樹や薬草を試しに植えている場所があり、冬を迎えた今も一部の木々には瑞々しい果実が残っていた。屋敷から滲み出る穏やかな気配の影響もあってか、その実りは季節の割に驚くほど豊かで、中には通常ではなかなか見られないほど品質の良い果実も混じっている。
「静様、この果実、とても張りがあって美味しそうですよ」
「うん、これなら最高のコンポートゼリーができるね。昨日領民の皆さんから貰ったドライフルーツも、たっぷり使ってケーキを焼こう」
ツキが「にゃあ」と短く鳴いて静の足元をついてきながら、二人の様子を見守っている。静とセリナは手際よく収穫を終え、屋敷の台所で調理を開始した。
コンポートゼリーというのは、果実をシロップでじっくりと煮た後、煮汁ごと型に流し込んで固めたものだ。透き通るような美しさに仕上がった深皿のゼリーと、領民たちの優しさが詰まったドライフルーツをこれでもかと贅沢に練り込んだ、香ばしい焼きケーキ。
焼き上がった直後、セリナは一番良い形に仕上がった深皿たっぷりのゼリーと、綺麗に切り分けた数人分のケーキを盆に乗せ、ツキを連れて静かに礼拝堂へと向かった。
「ルーナフィリス様。明日、街のフォルティナ様たちに届ける特別なおやつが出来上がりました。一番最初の一切れと、瑞々しいゼリーです。どうぞ、お召し上がりください」
セリナが祭壇に器を捧げてそっと目を閉じると、次の瞬間、礼拝堂の静謐な空気がふわりと揺れ、柔らかな光の粒子が盆を包み込んだ。セリナが目を開けたときには、湯気を立てていたケーキも、きらきらと輝いていた大盛りのコンポートゼリーも、跡形もなく、すっと綺麗に神界へと消え去っていた。
「ふふ、喜んでいただけたみたいですね、ツキちゃん」
「にゃん」
ツキが短く喉を鳴らし、二人は満足げにリビングへと戻るのだった。
◆◆◆
翌日の昼。お屋敷のメンバー全員は、静のふわりとした柔らかな光の転移を用い、一瞬で『上弦の宿』の貸切個室へと到着した。部屋の扉が開くと、そこにはいつもと違って少しくだけた服装にエプロン姿のフォルティナとフレイアが、少し照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに立っていた。テーブルの上には、すでに温かな白い湯気を立てる大皿の数々が並べられている。
「ようこそ、静さん、皆さん。日頃の感謝を込めて、私たちの手料理です。どうぞ温かいうちに召し上がってください」
「あ、エプロン、似合ってますね」
静がのんびりと言うと、フォルティナはぱっと頬を薄く染めて「あ、ありがとうございます……」と少しだけ視線を逸らした。フレイアが「ティナ、顔」とこっそり耳打ちすると、フォルティナはこほんと一つ咳払いをして、深皿からスープを注ぎ始めた。
フレイアが『ドワーフの醤』をベースに仕込んだ特製肉料理と、色鮮やかな冬の蒸し野菜の特製醤ソース添えをみんなの前へと並べていく。
「いただきます」
静たちが一斉にスプーンやフォークを動かし、その料理を口に含んだ。次の瞬間、個室の中に驚きと感動の声が広がった。
「美味しい……! 醤の独特の癖が完全に消えて、肉の出汁と冬野菜の甘みが完璧に調和してる。さすが領主館の料理長の知識をベースにしたスープだなぁ」
静がのんびりと目を細めて絶賛すると、セリナも「お肉の旨みが醤によって何倍にも引き出されています。蒸し野菜のソースも、身体が本当にポカポカと温まりますね」と、嬉しそうに頬を緩めた。
「これすっごく美味しい! おかわり!」
フィアが勢いよく器を差し出すと、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と嬉しそうに羽を動かした。静の膝の上では、ツキが「にゃあ」と満足そうに鳴いて丸くなり、アリアの膝の上のあかねも「きゅ!」とちぎってもらったお肉を美味しそうに食べている。ミレイアの腕の中のルゥは「くぅ」と喉を鳴らし、リーナの足元ではマルが「ぷぅ……ぷぷぅー」と、自分たちがいつも食べている好きな根菜がほっくりと美味しそうに煮込まれているのを確かめるように、もぐもぐと楽しんでいた。
「あなたの好きな根菜が入ってて良かったわね、マル」
リーナが小さく言って、マルの丸い頭をそっと撫でた。マルは「ぷぷぅー」と得意げに一鳴きして、またスープに向き直った。
「やるじゃない、二人とも。冒険者の野営料理の域を完全に超えてるわよ」
「これは困ったわね」
リーナが小さく笑いながらスプーンを口へ運ぶ。
「また静が変なものを持ち込んだと思ったら、今度は二人まで料理の腕を上げてしまったじゃない」
「え、それ褒めてる?」
「もちろん。おかげで私たちの食卓の基準が、また少し上がったわ」
そう言って微かに口元を緩めると、足元のマルも「ぷぅ」と満足そうに鳴いた。
アリアやリーナからの言葉に、フレイアは「ふふん、当然よ。元最上級冒険者を舐めないで貰おうかしら」と少し得意げに胸を張り、フォルティナも「静さんにそう言っていただけると、本当に頑張った甲斐がありました」と、セレニアでお土産の壺を抱えていた時のような、無邪気で優しい笑顔を咲かせるのだった。
「あ、こちらからも、おもてなしのお礼にデザートを持ってきました」
食後、静がそう言って、屋敷から持参した大きな器をテーブルに並べた。蓋を開けた瞬間、個室の中に、果樹園の清らかな空気そのもののような、瑞々しくも甘い香りがふわりと広がった。
「これは……昨日、私たちの果樹園で採れたフルーツを使ったコンポートゼリーと、皆さんからいただいたドライフルーツのケーキです」
差し出されたデザートを、フォルティナとフレイアが一口食べた瞬間、二人は完全に言葉を失った。ひんやりとしたゼリーの中に凝縮された、通常では絶対に手に入らないような深い生命力を持つ果実の甘み。そして、領民たちの優しさが静の手によって何倍にも引き出された、濃厚なケーキの味わい。
「……やっぱり、静さんには、私たちは一生敵いそうにありませんね」
フォルティナが幸せそうに脱帽すると、フレイアも「こんなに美味しいデザート、王都の王族でも食べたことがないわよ」と、スプーンを動かす手を止められずに夢中になって頬張っていた。
王都がどれほど制度や疑惑で動こうとも、防波堤である彼女たちとお屋敷のメンバーの間にあるのは、お互いを思いやり「美味しい」を同じテーブルで共有する
どこまでも温かなお裾分けの循環だけだった。
上弦の宿の個室には、冬の寒さを完全に忘れさせるような
ポカポカとした笑い声がいつまでも優しく響き続けていた。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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