第十話 冬の円卓、世界の調和鍋
『上弦の宿』での、フォルティナとフレイアによる最高に温まる食事会を終えて屋敷に戻ってきた、その日の夜のこと。暖炉の火が心地よく爆ぜるリビングのソファで温かいお茶を飲みながら、静はふと思いついたように顔を上げた。
「フォルティナさんたちの醤スープ、本当に美味しかったね。ドワーフの調味料にあんな使い方があるなんて、すごく刺激を受けたよ。……よし、明日はみんなでセレニアの市場へ行かないかい? あの街にしかない珍しい食材や調味料を探して、みんなで最高の『冬のお鍋』を作ろう」
静ののんびりとした提案に、リビングの空気がふわりと明るくなった。
「わあ、やったー!またみんなで行けるんだね!美味しいもの、いっぱい探そう!」
フィアがソファの上で弾んだ声を上げると、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と嬉しそうに羽を揺らした。アリアやミレイア、リーナも「それは面白そうね」「たまには全員で探すのも良いわね」と、それぞれに興味深そうな笑みを浮かべる。
翌朝、静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれた。次の瞬間、一行は一瞬で人影のないセレニアの静かな裏路地の木陰へと降り立っていた。活気あふれる大市場へと繰り出した面々は、自然といつもの三組に分かれて『至高のお鍋の素材』を探す遠足を開始した。
アリアとフィアの組では、フィアが「アリア、あのお肉、すっごく弾力がありそうだよ!」と、寒冷地で育った珍しい獣の極上肉を発見し、ハルが「ひゅん」と鳴きながら羽を動かす。アリアが「お鍋にするなら、こっちの旨みが染み出しやすい部位がいいわね」と上級冒険者としての確かな目利きを発揮し、あかねが「きゅ!」とちぎってもらった干し肉をおいしそうにハムハムと噛み締めていた。
ミレイアとリーナの組では、ミレイアがエルフの集落から流れてきたという、お鍋の出汁を極限まで引き立てる肉厚な冬キノコや雪の下の香草を見つけ、腕の中のルゥが「くぅ」と満足げにロップイヤーの耳を揺らした。
リーナの足元ではマルが「ぷぅ」と楽しそうに立ち止まり、見たこともない肉厚な冬野菜の前へと駆け寄った。
短い前足で「ぽむ」と土を叩くその姿は、まるで『これも美味しそうだよ』と教えているかのようだった。
「……ええ、それもお鍋に合いそうね。よく見つけたわ、マル」
リーナがそっと頭を撫でると、マルは「ぷぷぅー」と得意げに一鳴きした。
◆◆◆
一方、静とセリナの組はツキを先導役にして、他国の珍しい冬の香辛料や魚介を探し、市場の少し落ち着いた通りを歩いていた。ある高級な乾燥食材を扱う店の前を通りかかったとき、静は真剣な目で小さな帳簿を片手にきびきびと食材の買い付けをしている、一人の若い女性の姿に目を留めた。
柔らかい栗色の髪に、落ち着いた琥珀色の瞳。動きやすい機能的な商人服を纏った彼女の手元には、静が見たこともない、不思議な淡い琥珀色の結晶のような形をした、乾燥調味食材の袋が並んでいる。
「あの、すみません。それはどのような食材なんですか?」
静がのんびりと声をかけると、その女性――リシェルは、突然の呼びかけに僅かに肩を揺らし振り返った。感情を表に出さないいつもの商人の目で、声をかけてきた人物を正面から捉える。お互いに相手の正体を知らない、偶然の出会いだった。
「……これはセレニアの奥地の汽水域でしか採れない、特殊な乾燥藻類と岩塩を調合した発酵調味料です」
丁寧だが堅すぎない、いつもの柔らかい声音で、リシェルは必要にして正確な情報だけを静へと届けた。
「スープに入れると、肉や野菜の持つ本来の旨みを何倍にも引き出し、雑味を綺麗に消す効果があります。冬の煮込み料理には重宝するものですね」
「へえ! お鍋のスープにぴったりですね。教えてくれてありがとうございます」
静が嬉しそうに目を細めると、リシェルは「仕入れの予備として多めに買い付けた分がありますので、よろしければ定価でお譲りしましょうか?」とすっと袋を差し出した。静は喜び、お金を支払って貴重な調味料を受け取った。
「ありがとうございます、大切に使いますね」
静とセリナが穏やかに微笑んで頭を下げると、リシェルは「良いお鍋になるといいですね」と短く告げ、次の仕入れ先へと向かうためにその場を歩き出した。深入りせず、一歩引く――それが彼女のいつもの商売のスタンスだった。
――しかし、数歩歩いたところで、リシェルの足がぴたりと止まった。頭の切れる優秀な商人としての鋭い直感が、背後を去っていくあの不思議な一団に対して、良い意味での強烈な『引っかかり』を覚えたのだ。
(……待って。あの人たち、何かがおかしい……)
リシェルはさりげなく人混みに紛れ、一歩引いた位置から、そっと静たちの様子を観察した。その瞬間、彼女の琥珀色の瞳が僅かに見開かれる。
市場の雑踏の中、荷物を抱えたお年寄りが冬の寒さに足元を滑らせ、辛そうに蹲った。そこへあの金髪の女性――セリナがごく自然に、当たり前の日常の動作のようにそっと手を差し伸べたのだ。少女の指先がほんのりとした温かな光を帯びたかと思うと、お年寄りの強張っていた表情がふっと和らいだ。
そして驚いたように何度か足を動かした後、何度も頭を下げながら立ち上がる。
(……不思議ね。今の治療、神殿の治療師たちが使うものとも少し違う……)
(詠唱も儀式も見当たらなかった。それなのに、あのお年寄りの表情は明らかに楽になっていたわ)
さらにリシェルの視線は、黒髪の青年の足元を気ままに歩く黒猫へと向けられた。
最初は愛らしい飼い猫にしか見えなかった。だが、商人として様々な土地を巡ってきた彼女の直感が、小さな違和感を拾い上げる。
よく見れば、その額には夜空の欠片を閉じ込めたような美しい黒い魔石が静かに煌めいていた。
(……ただの動物ではなさそうね)
(使い魔? それとも希少な魔獣の類……?)
リシェルは背中にすっと冷や汗が流れるのを感じた。正体はまったく分からない。けれど、あの圧倒的に穏やかで底の知れない黒髪の青年と、無自覚に奇跡を振りまく少女、そして謎の美しい獣。深入りはしない。それが彼女の正しい判断だったが、そのあまりにも強烈で奇妙な一団の姿は、リシェルの記憶に深く、深く刻み込まれることとなった。
◆◆◆
夕方、お屋敷へと戻った一同は、さっそく暖炉の前に大きな土鍋を用意し、全員で持ち寄った最高の素材を台所へと並べた。フィアたちが目利きした弾力のある肉、ミレイアたちが見つけた幻の冬キノコと香草、マルが真っ先に見つけた肉厚の冬野菜、そして静たちが市場の物静かな商人女性から譲り受けた、素材の旨みを爆発的に引き出す発酵調味料。
静とセリナが下ごしらえをし、大鍋の出汁にすべての素材を投入していく。ぐつぐつと小気味よい音を立てて煮立つ大鍋からは、これまでのどのお屋敷の料理とも違う、セレニアとフォルツの恵みが完璧に一つへと溶け合った、至高の湯気がふわりと立ち上った。
お鍋が極上の状態に煮詰まった最高のタイミングで、セリナが立ち上がった。
「静様。一番良いところを盛り付けました。ルーナフィリス様へ、お供えしてまいりますね」
「うん、よろしくね。温かいお茶も新しく淹れたから、一緒に持っていって」
静がのんびりと笑って盆を手渡すと、セリナは肉厚のキノコや極上の肉、黄金色に輝くスープが並々と注がれた美しい小鍋を乗せ、足元のツキを連れて静かに礼拝堂へと向かった。
静謐な空気が満ちる礼拝堂。セリナは祭壇の前でそっと目を閉じ、今日出会ったあの丁寧な佇まいの商人女性の姿を心の片隅で思い返しながら、心からの感謝を込めて器を捧げた。
「ルーナフィリス様。今日、みんなでセレニアの市場へ行き、セレニアとフォルツの恵みを一つに集めた、特製のお鍋が出来上がりました。どうぞ、お召し上がりください」
セリナが静かに目を開けると、次の瞬間、礼拝堂の空気がこれまでにないほど強く、黄金色の柔らかな光の粒子によって包み込まれた。そして、光が優しく引いていくと同時に、極上の湯気を立てていた大盛りのお鍋は、まるで今か今かと待っていた存在に吸い込まれるように、跡形もなくすっと消え去っていった。
「ふふ、今夜もすぐに受け取っていただけましたね、ツキちゃん」
「にゃん」
ツキが短く喉を鳴らし、二人は満足げにリビングへと戻るのだった。
◆◆◆
リビングの暖炉の前、大きなソファの周りで、全員での至高のお鍋会が始まった。器に取り分けられたスープを口にした一同は、その「素材の味が限界を突破して調和した美味しさ」に、一様に目を丸くした。
「うん、美味しい! あの市場の人が教えてくれた通り、お肉も野菜も、素材の味が引き立ち合って、いつもとまた違う層の美味しさになってるね」
静がのんびりと微笑むと、セリナも嬉しそうに言葉を重ねた。
「はい、静様。みんなで見つけてきたセレニアの恵みが、この大鍋の中で美しく溶け合っていますね」
「これすっごく美味しい! 静、おかわり!」
フィアがソファから身を乗り出してお皿を差し出すと、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と同調するように短い羽をパタパタと動かした。静の膝の上では、ツキが「にゃあ」と満足そうに喉を鳴らしながら丸くなっている。
「はい、あかねの分よ」
アリアが小さくちぎった具材をソファの前に置くと、待っていましたとばかりにあかねが「きゅ!」と嬉しそうに鳴いてぺろぺろと食べ始めた。ミレイアの腕の中では、ルゥが「くぅ」と満足げに喉を鳴らし、リーナの足元では、マルが「ぷぅ……ぷぷぅー」と、自分が真っ先に見つけた冬野菜の旨みを確かめるように、美味しそうにもぐもぐと楽しんでいた。
リーナは湯気の立つ器を見つめながら、小さく微笑んだ。
「……今日も、良い記録が増えたわね」
外の世界がどれほど慌ただしく動こうとも、お屋敷の内側にある「ただの丁寧な生活」は一歩も揺らがない。新しく広げた世界の素材が、お屋敷の台所でまた一つ、美しい日常の思い出を増やしていく。
◆◆◆
同じ頃、夜の帳が降りたフォルツの領主館。執務室の机で書類に目を通していたフォルティナの元へ、手元の通信魔道具が微かに震え、定期の短文連絡を告げた。いつもは極めて簡潔な報告に終始するリシェルから、なぜか今夜は、驚くほど連続して短い文字が送り込まれてきた。
――《市場動向報告》
――《異常なし》
――《追伸・別件》
――《奇妙な一団を観察》
――《金髪少女・無詠唱奇跡》
――《黒髪青年・底知れない》
――《黒猫・額に特殊な魔石》
――《正体不明・深入り回避》
――《良い意味で気になる》
連続してチカチカと画面に躍り出たその文字の羅列をすべて繋ぎ合わせ、読み終えた瞬間、フォルティナは持っていたペンをピタリと止め、執務室の静寂の中で完全にフリーズした。
「……え?」
フォルティナは一度瞬きをすると、机の端に置かれていた連絡板へ視線を向けた。
そこには昨夜届いたばかりの、
【静:明日はみんなでセレニアへ買い物に行く予定です】
という連絡が残っている。
フォルティナは再び通信魔道具へ視線を戻した。
「まさか……静さんたちのことでは……? ……いいえ、いくら何でも流言飛語の類でしょうか……」
あまりのタイミングの良さと特徴の合致に、フォルティナが幸せな頭痛と共に首を傾げた。そのまましばらく呆然と短文通信を見つめた後、そっと顔を覆う。
「……フレイに、明日報告しなければ……」
それだけ呟いて、フォルティナはまた書類に向き直った。ただし、その後一時間、ペンが一切進まなかったことは言うまでもない。
――地上から届けられた至高の大鍋を受け取った遥か高天の『白の庭園』は、その夜、かつてないほどの歓喜と混乱に包まれることになる。
節度ある女神としての威厳などどこへやら。極上の香りを放つその鍋を前に、女神たちは揃って大騒ぎを始めていたのだが――もちろん、静たちはまだ知る由もなかった。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
https://suno.com/@10monoshin8
カクコムでも先行掲載しています。
もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578




