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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第十五章 冬の静寂と繋がる世界

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第八話 冬の休息と森の恵み

王都からの調査団を無事に見送り、領民たちからの優しい贈り物をお屋敷へと引き渡した、その日の夜のこと。領主館の静かな執務室でふぅと大きな溜息をついていたフォルティナの元へ、静と繋がる連絡板が淡い光を放ちながらメッセージを届けてきた。


【静:フォルティナさん、フレイアさん、色々と対応お疲れさまでした。お二人がすごく大変そうだったので、もし良ければ明日、気分転換にセレニアの街へ日帰りで遊びに行きませんか? 美味しいものもたくさんありましたよ】


「セレニア……?」


フォルティナは連絡板の文字を見つめたまま、またしても椅子の上で深く困惑していた。空白地帯を越えた遥か北東にある隣国独立地。通常なら何週間も命懸けで行軍せねば辿り着けない場所に、「明日、日帰りで遊びに」などと言われても、到底信じられるはずがない。


「やはり、フォルツの近くにある小さな集落か何かを、静さんたちはそう呼んでいらっしゃるのね」


フォルティナはそう結論づけながらも、どこか釈然としないものを感じていた。これまで静たちは、一度として大言壮語を口にしたことがない。むしろ、自分たちの成したことを過小評価するほど慎ましい人たちだ。だからこそ、『明日、日帰りで遊びに行きませんか?』という何気ない誘いの文面が、妙に引っ掛かっていた。


(……まあ、考えても仕方ありませんね)


小さく苦笑すると、フォルティナは連絡板を閉じた。


「フレイ、明日、少しお出かけしてみない?」


「いいわよ。あの監査官たちの相手で、私も少し頭がガチガチになっていたところだから、息抜きに良いわね」


翌朝、二人は領主やギルドマスターとしての厳格な法衣を脱ぎ捨て、お忍び用の私服のマントを深く羽織ると、いつもの上級宿屋――『上弦の宿』の静かな個室へと足を運んだ。部屋では、静とセリナ、そして足元に黒尾をぴんと立てたツキが、のんびりとお茶を飲んで待っていた。


「静さん、セリナさん、今日はお誘いありがとうございます。それで、その『セレニア』という場所へは、裏口から馬車にでも乗っていくのですか?」


フォルティナが不思議そうに尋ねると、静はどこまでも穏やかに笑ってカップを置いた。


「あ、いえ。一瞬ですよ。他のみんなは今日は近くの森へ遊びに行っているので、俺たちだけで行きましょう。……じゃあ、行きますね」


静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれた。次の瞬間、目の前の景色が文字通り、一瞬で切り替わる。


「え――」


フォルティナは反射的に振り返った。そこにあるはずの『上弦の宿』の個室は、どこにも存在しない。石壁も。テーブルも。暖かな暖炉の気配も。ほんの一瞬前まで確かにいた場所の痕跡が、綺麗さっぱり消えていた。


「……静さん」


フォルティナが恐る恐る声をかける。


「はい?」


「念のため確認したいのですが……私たち、今もフォルツ領の中におりますよね?」


静は少しだけ首を傾げた。


「いえ? もうセレニアですよ」


「……」


「……」


フォルティナは無言になった。隣を見ると、フレイアも同じ顔をしていた。


ふわりと降り立ったのは、人影のない、静かなセレニアの裏路地の木陰だった。人目に配慮した静の案内に従って、二人が呆然としたまま大通りへと一歩踏み出した瞬間、フォルティナとフレイアは完全にフリーズした。


目の前に広がっていたのは、初雪の残るフォルツとは明らかに異なる、極彩色のキャノピーがどこまでも連なる大市場。行き交う人々の中には、長い耳を揺らすエルフや屈強なドワーフ、様々な獣の耳や尾を持つ獣人たちが、当たり前のように混ざり合って笑い声を上げている。圧倒的な、本物の隣国の異国情緒がそこにはあった。


「……ちょっと待って。ティナ、ここ、どこからどう見ても本物の『セレニア自治連邦』のど真ん中じゃないの……っ!?」


フレイアがいつもの凛とした声音を完全に引っくり返し、顎が外れんばかりに驚愕する。フォルティナにいたっては、あまりにも圧縮されすぎた世界の距離感の前に、美しい薄紫の目を丸くしたまま完全に再起動不能になっていた。


「あはは、驚かせてすみません。こっちにすごく美味しいお店があるんですよ。ね、セリナ」


「はい、静様。本当に素敵なお店ばかりですから、ゆっくり見て回りましょうね」


ツキが「にゃ!」と機嫌よく黒尾を揺らし、二人をエスコートするようにトコトコと前を歩き始める。そんなお屋敷のブレない日常の空気感に引っ張られるように、防波堤である二人の、最高に楽しいお忍び観光が幕を開けた。


◆◆◆


同じ頃、雪が薄く積もり始めた屋敷近くの空白地帯の森では、アリア、フィア、ミレイア、リーナの四人と、残りの幼体たち(あかね、ハル、ルゥ、マル)が、冬の恵みを探して賑やかに歩いていた。


「ぷぅ! ぷぷぅー!」


リーナの足元で、マルがふかふかとした丸い体を揺らし、白雪に覆われた凍った土の前で立ち止まった。短い前足で、その土を優しく「ぽむ」と叩く。すると不思議なことに、カチカチだった土が柔らかく解れ、その雪の下から、冬にしか採れない瑞々しい冬野菜の青々とした芽吹きと、丸々とした冬キノコが顔を出した。


「あ、ここにもあった! マル、すっごーい! ありがとー!」


フィアが大喜びでそれを籠へと収めると、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と同調するように嬉しそうに羽を揺らした。


ミレイアの腕の中では、ロップイヤーの耳をパタパタさせたルゥが「くぅ」と鼻先を鳴らし、耳をぴくりと動かして何かを感じ取るように顔を向けた。


「ルゥ、こっち?」


ミレイアが屈み込むと、雪の下からほんのりと甘い香草の束が顔を出した。「くぅ」とルゥが満足そうに一声鳴いた。


「冬の冷たい森の植生も、マルにかかれば、まるで宝箱を開けて回るようになるわね」


リーナが感心したように呟きながら手帳に短い記録を書き留めると、アリアの腕の中にいたあかねが「きゅ! きゅぅ!」と、自分も何か見つけたいと言いたげに短い前足をパタパタと動かしていた。


「はいはい、あんたの足元にも、ほら、美味しそうな乾物の実が落ちてるわよ」


アリアが微笑みながら、あかねの小さな頭をそっと撫でるのだった。


◆◆◆


一方、セレニアの街。ようやく驚きから立ち直ったフォルティナとフレイアを案内して、静たちはあの重厚な石造りの工房が並ぶ『ドワーフの職人通り』へと足を向けていた。独特の発酵した匂いが漂う中、一軒の頑丈な工房の前で足を止める。


「おじさん、こんにちは。この前の醤、すごく美味しくて屋敷でお鍋の隠し味に使わせてもらいました。今日は、いつもお世話になっているこのお二人を連れてきたんです」


静が丁寧に頭を下げると、奥から白い顎鬚を豊かに蓄えた無愛想な老ドワーフが顔を出した。静の顔を見て、それから後ろにいる二人を一瞥すると、「……ふん、分かる奴の連れか」と短く言って、小さな器に入った『冬用の隠し味の醤スープ』を差し出してきた。


香ばしい湯気と共に差し出されたそれを、フォルティナとフレイアが恐る恐る口に含む。その瞬間、二人は同時に息を呑み、揃って美しい目を限界まで見開いた。


「――っ! 何これ、美味しい……!」


フォルティナが思わず声を上げる。ただ深い。塩気の中に、ドワーフの職人が時間と手をかけて造り上げた、圧倒的な旨みと複雑な層が幾重にも重なり合って、冷えた身体の芯を劇的に温めていく。フレイアも「嘘、普通のスープが、この調味料一つでここまで化けるの……!?」と戦慄していた。


「私たちの分もいくつか売ってください!」


普段の領主としての凛とした佇まいはどこへやら、二人はすっかり美味しいものに心を奪われた普通の女の子のような顔になり、夢中になって老職人が仕込んだ珍しい発酵調味料の壺を、お土産用にといくつも買い込んでしまった。両手で大切そうに壺を抱える二人の姿は、なんとも微笑ましい。


工房を出てしばらく歩いた後も、二人は時折壺を見下ろしては顔を見合わせていた。


「ティナ」

「何かしら?」

「私たち、今まで人生の半分くらい損していた気がするわ」

「奇遇ですね。私も同じことを考えていました」


フォルティナは真面目な顔で頷いた。


「あの調味料一つで、冬のスープがあそこまで変わるなんて……静さんたちのお屋敷がいつも美味しそうなのも頷けるわね」


「本当に」


フレイアも深く頷く。二人は思わず顔を見合わせて、声を揃えて笑った。


「あの、少し使い方が独特なので、美味しいお鍋やスープへの合わせ方は、後で連絡板かメモに書いて教えますね」


静がのんびりと笑いながらフォローを入れると、セリナも「はい、静様直伝のレシピがあれば、冬のご飯が何倍も美味しくなりますよ」と優しく微笑んだ。フォルティナは「まぁ、ありがとうございます。静さんのお料理の知恵なら、絶対に美味しいわね」と、お土産の壺を抱きしめながら、嬉しそうに胸を弾ませるのだった。


その後、一行は大きな煙突から白い湯気を勢いよく立ち上がらせている人気の食堂へと入り、大ぶりの肉と根菜を地元の麦酒で煮込んだ豪快な煮込み料理を囲んだ。


「本当に、素晴らしい気分転換になりました。静さん、セリナさん。……王都のあの堅苦しい監査官たちのことなんて、どうでもよくなってしまうくらいに」


フォルティナが温かいスープの器を両手で包み込みながら、心からの笑顔を浮かべる。


「ふふ、良かったです。フォルティナさんもフレイアさんも、いつも街の平穏を守ってくださっていますから。今日くらいは、ゆっくり羽を伸ばしてくださいね」


セリナが栗色のストールをそっと押さえながら、優しい目で二人を見つめた。


夕方、また静のふわりとした柔らかな光の転移によって、一行は一瞬で『上弦の宿』の個室へと帰還した。


フォルティナは個室が再び目の前に現れると、静かに一度だけ目を閉じ、それからフレイアを見た。


「……今日一日で、私の世界の広さの認識が、根本から書き換わりましたよ、フレイ」


「……同感ね、ティナ」


フレイアもどこか遠い目をしながら、手の中の壺をそっと確かめた。お土産の壺を手にした二人の表情は、朝の張り詰めたものとは打って変わって、どこまでも柔らかく和らいでいた。


◆◆◆


静たちが空白地帯の屋敷へと戻ると、ちょうど森での宝探しを終えたアリアたちも、籠いっぱいの冬の恵みを抱えて帰ってきたところだった。リビングの暖炉の前には、マルの「ぽむ」とルゥの嗅覚のおかげで見つけてきたばかりの、立派な冬の根菜や肉厚のキノコと、雪の下から顔を出した香草が並べられる。静とセリナはさっそく、セレニアで買い足してきた発酵調味料を台所へ運び、みんなで食べるための特製冬野菜スープを作り始めた。


やがて、暖炉の火が心地よく爆ぜるソファの周りで、白い湯気を立てる大きな土鍋を全員で囲む、少し遅めの夕食の時間が始まった。


「ん! 私たちが採ってきたキノコ、すっごく良い出汁が出てるわね」


アリアがふうふうと息を吹きかけながらスープを口に運び、嬉しそうに目を細める。


「本当だね! 静が味付けしてくれたスープの深みと合わさって、いくらでも食べられちゃう!」


フィアがソファの上で弾んだ声を上げると、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と嬉しそうに短い羽をパタパタと動かした。静の膝の上では、ツキが「にゃむ、にゃむ」と、細かくちぎってもらったお肉を機嫌よく食べている。


「はい、あかねもふうふうして食べなさい」


アリアが小さくちぎった具材を差し出すと、あかねは「きゅ!」と嬉しそうに鳴いてぺろぺろと平らげた。ミレイアの腕の中では、ルゥが「くぅ」と満足げに喉を鳴らし、リーナの足元では、マルが「ぷぅ……ぷぷぅー」と、自分たちが最初に見つけた冬野菜の味を確かめるように、美味しそうにもぐもぐと楽しんでいた。


リーナは湯気の立つ器を見つめながら、小さく微笑んだ。


「……今日も、良い記録が増えたわね」


外の世界がどれほど慌ただしく動こうとも、お屋敷の内側には、新しく開拓した世界の恵みと、自分たちの足で見つけた身近な森の恵みが、一つの温かいスープの湯気の中に美しく溶け合っている。人と人、そして世界との丁寧な営みがもたらす優しさの循環は、この暖炉の光と共に、どこまでも優しく、屋敷の夜を温め続けていた。

イメージソングを作成してみました。

もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。

物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。

https://suno.com/@10monoshin8


カクコムでも先行掲載しています。

もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。

https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578

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