第七話 冬支度の贈り物
数日間にわたる厳格な街頭調査と検分をすべて終え、フォルツの街に滞在していた教会中央監察局の調査団が、いよいよ王都ルミエールへと出発する日の朝。領主館の重厚な玄関ホールにて、団長である監察官レナードは、領主フォルティナと冒険者ギルドマスターのフレイアを前に、真剣な面持ちで深く頭を下げていた。
「――領主殿、そしてギルドマスター。数日間の非礼を心からお詫びする。この街の数字が完璧であったのは、他国の陰謀などではなく、お二人の誠実な統治と、領民たちの篤い自治の賜物であったと、この目で確かに確認した」
レナードの言葉には、生真面目で実直な善人だからこその、深い納得と清々しいほどの敬意が込められていた。
「未所属の治療師についても調査したが、現時点で国家秩序を脅かす兆候は認められない。過度な監視や介入は不要であると上申しておこう。それが、この地に息づく純粋な聖性を汚さぬための、我ら教会の誠実さだ。……では、失礼する」
彼はそう言い残して馬に跨ると、部下たちを率いて白雪の残る街道へと静かに出発していった。
馬蹄の音が遠ざかった後、フレイアが隣のフォルティナを横目で見て、ふっと肩の力を抜いた。
「……お疲れ様、ティナ」
「フレイも。……これで、少し楽になりますね」
二人は顔を見合わせて、静かに微笑み合った。外側の冷たい制度からあのお屋敷の平穏を守り抜く「防波堤」としての役目を、無事に果たすことができたのだ。
◆◆◆
調査団を見送ったその日の午後。フォルティナは執務室に戻ると、すぐに引き出しから静へと繋がる連絡板を取り出した。街を守りきった安堵感を込めながら、文字を刻んでいく。
【フォルティナ:静さん、セリナさん。例の王都からの調査団ですが、先ほど無事に王都へと出発いたしました。監査の結果も極めて良好で、街はすっかり元の落ち着きを取り戻しています。色々とご配慮いただき、ありがとうございました。……追伸、お二人に『お預かりもの』がございますので、また街へ来られた際はぜひ『上弦の宿』へお立ち寄りくださいね】
◆◆◆
そのメッセージが屋敷のリビングのサイドテーブルの上で淡く光ったとき、静たちは暖炉の前で、お茶を飲みながらのんびりとした時間を過ごしていた。
「ん? フォルティナさんから連絡だ」
「フォルティナさんからですか? もしかして、調査団の皆さまが帰られたのでしょうか」
静の手元をそっと覗き込みながら、セリナが温かいお茶を注ぎ足す。
「そうみたいだよ。今日フォルツを発ったんだって。街もすっかり元の落ち着きを取り戻したみたいだし、ちょうどセレニアの買い出しもひと段落したところだから、明日からは数日ぶりに、いつものようにフォルツの街へお買い物に行こうか。みんなも、いつものフォルツの味が恋しくなってきたみたいだしね」
静がのんびりと笑ってリビングを見渡すと、大きな長椅子で寛いでいたアリアが、膝の上のあかねを優しく撫でながら「そうね。フォルツの馴染みの市場が、私も一番落ち着くわ」と柔らかく微笑んだ。あかねも「きゅ」と短く鳴いて同意する。
「あ、じゃあ明日はフォルツのいつものお肉屋さんに行ける? あそこの串焼き、また食べたかったんだ!」
フィアが嬉しそうに声を弾ませると、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と楽しそうに短い羽をパタパタと動かした。ミレイアの腕の中でまどろんでいたルゥも「くぅ」と澄んだ声を響かせ、リーナの足元でお餅のように丸くなっていたマルが、短い前足で「ぽむ」と床を叩いて嬉しそうに一鳴きした。
「決まりだね。じゃあフォルティナさんにはそう伝えておこう。お預かりものがあるみたいだから、まずは『上弦の宿』に行ってみるよ」
【静:フォルティナさん、明日からまたフォルツに行きますね。午前中にはいつもの『上弦の宿』に行きますね。】
静が返信を連絡板に文字をなぞると、板の端を指先で軽く押さえる。光の粒子となってすっと消えていった。
その文字を自室の連絡板で受け取ったフォルティナは、小さく首を傾げた。
(……明日から、ですか。昨日までセレニアにいらしたはずなのに、また一日で……? やはり、どこか近くの別な場所をそう呼んでいらっしゃるだけなのかしら)
静たちがわずか数日の遠足で国家間ルートを完璧に繋げてしまったことなど夢にも知らないフォルティナは、あまりにも圧縮されすぎた距離感にまたしても静かに困惑した。しかし、深く追及するのも野暮と思い直し、
【フォルティナ:……ふふ、お待ちしておりますね】
と、不思議そうに首を傾げながらも、どこか楽しげに返信するのだった。
◆◆◆
翌朝
静たちは数日ぶりにフォルツの街へと足を運んでいた。セレニアの異国情緒あふれる活気も楽しかったが、やっぱり門をくぐった瞬間の、見慣れた景色と、星霞草が淡い銀色の光を揺らす優しい空気には、実家のような深い安心感がある。
静の肩の上で、ツキが「にゃあ」とどこかホッとしたように喉を鳴らした。アリアの腕の中のあかねは「きゅ」と鳴き、ミレイアの腕の中のルゥは「くぅ」と静かに冬の風を楽しんでいる。フィアの肩のハルも「ひゅるぅ」と風を逃がすように優しく羽ばたき、リーナの隣ではマルが「ぷぅ」と機嫌よさそうにぽてぽてと歩いていた。
一行は、街の上級宿屋――『上弦の宿』へと立ち寄った。すると、そこで待っていたフォルティナから、頑丈に梱包された大きな木箱と、いくつかの丁寧な包みを手渡された。
「フォルティナさん、これ、なんですか?」
静が不思議そうに尋ねると、フォルティナはどこまでも穏やかな微笑みを浮かべて答えた。
「街の領民たちから、お二人に届いた『贈り物』ですよ。……街の人々は、静さんたちがどこにお住まいなのかは誰も知りません。けれど、お二人がこの『上弦の宿』の店主や私たちと非常に懇意にしている姿を、市場の多くの領民たちが見ていましたから。あの優しい静さんたちにお礼を届けたいけれど、場所が分からない。なら、いつもおられるこの宿へ預ければ、きっと届けてもらえるはずだ、と……自発的にここに持ち寄られたのです」
「俺たちにお礼、ですか……?」
「ええ。皆さんがこの街へ無自覚に蒔いてくださった、たくさんの優しさへの、これが街からの精いっぱいの『お返し』ですよ」
◆◆◆
屋敷へと戻った一行は、暖炉の前に大きな木箱と包みを並べ、全員でそれを開封した。中から出てきたのは、丁寧に紡がれた、冬の寒さを撥ね退けるような手触りの良い良質な羊毛の毛糸玉がいくつもと、領民たちがそれぞれの家庭で仕込んだと思われる冬用の干し肉、そして、たくさんの瑞々しい乾燥果実だった。
「……誰か、送り先を間違えたのかな? 俺たち、こんなにたくさん貰うようなことは何もしてないよ」
静がぽつりと呟くと、その横で包みを整理していたセリナが、底の方から小さな、少し不揃いな形をした『手編みの赤い手袋』を見つけた。そして、そこに添えられた一枚の小さな紙片に気づき、胸の奥の灯りをふわりと揺らした。
それは、あの市場の果物店で出会った小さな女の子が、一生懸命に書いたお礼の手紙だった。ひらがな交じりの不器用な文字が、そこには丁寧に並んでいる。
『やさしいおねえちゃん、おにいちゃんへ。あしをなおしてくれてありがとう。おねえちゃんはまるでおとぎばなしのせいじょさまみたいです。さむいから、このてぶくろをつかってね』
セリナはその文字を一字一字、丁寧に目で追った。
「まるでおとぎ話の聖女様みたい」という言葉に、セリナはほんの少し首を傾げた。
(……聖女、ですか。私はただ、当たり前のことをしただけなのですが……そう思ってくれるのは、嬉しいですね)
自分では「静様の専属治療師」として、ただ目の前の困っている人へ手を差し伸べてきただけだった。聖女と呼ばれるような大それたことをした自覚は、これっぽっちもない。けれど、この小さな女の子の一生懸命な文字が、セリナの胸の奥のどこかを、静かに温めていた。
セリナはその小さな手袋を、大切そうに両手でそっと包み込んだ。
「……いいえ、静様。送り先は間違いなく、ここですよ。きっと、静様がいつもお裾分けしてくださるお花や、皆さんの優しさへのお礼、だと思いますよ」
セリナが穏やかに微笑むと、アリアが毛糸を手に取り、「まあ、すごく良い羊毛ね。これなら冬の防寒具が新しく編めそうだわ」と優しく目を細めた。
「手帳の記録にもない、純粋な好意の重み……数字にも術式にもならないものほど、案外侮れないのよね」
リーナが呟きながらマルの頭を撫でると、マルは「ぷぷぅー」と満足げに尾を揺らした。
「これだけたくさんの乾燥果実があるなら、何かおやつを作ってみようか」
静が木箱の中の果実を見つめながら提案すると、セリナは「はい、静様!」と嬉しそうに頷いた。
二人は並んで台所へと向かう。今回は、先日セレニアの市場で仕入れておいた『セレニア産の小麦粉』を贅沢に使い、貰ったばかりの『フォルツの乾燥果実』をたっぷりと練り込んだ、特製の焼き菓子を作り始めた。オーブンが温まるにつれ、台所にはいつもとは少し違う、香ばしくもフルーティーな甘い湯気が豊かに立ち上っていった。
焼き上がったお菓子を、静が丁寧な手つきで綺麗に切り分ける。セリナはその最初のお菓子を器に丁寧に盛り付けると、温かいお茶と共に、静かに礼拝堂へと向かった。ツキが「にゃ」と短く鳴いて、セリナの足元をついていく。
静謐な空気が満ちる礼拝堂。セリナが祭壇の前でそっと目を閉じ、心からの感謝を込めて器を捧げる。
「ルーナフィリス様。街の皆さまからいただいた大切な果実で、静様と一緒にお菓子を作りました。どうぞ、お召し上がりください」
セリナが静かに目を開けると、次の瞬間、祭壇の上の器をふわりと柔らかな光の粒子が包み込んだ。そして、光が静かに引いていくと同時に、湯気を立てていた焼き菓子とお茶は、跡形もなく、すっと綺麗に消え去っていた。女神がその真心を、確かに受け取った証だった。セリナは嬉しそうに微笑み、足元で大人しく待っていたツキの頭を優しく撫でてから、リビングへと戻っていった。
◆◆◆
暖炉の火が心地よく爆ぜるリビングのソファの周りで、全員でのおやつタイムが始まった。切り分けられた焼き菓子を口にした一同は、その初めて出会う味わいに、一様に目を丸くした。
「うん、美味しい。セレニア産の材料を使ったからか、いつもと生地の味わいというか、しっとりとした感触が違って美味しいね」
静がのんびりと微笑むと、セリナも嬉しそうに言葉を重ねた。
「はい、静様。フォルツの乾燥果実の凝縮された甘みと、セレニアの小麦粉の豊かな風味が合わさって、いつもとはまた層の違う美味しさになっていますね」
「これ、すっごく美味しい! 静、もう一つちょうだい!」
フィアがソファから身を乗り出してお皿を差し出すと、肩の上のハルが「ひゅるぅ!」と同調するように短い羽をパタパタと動かした。静の膝の上では、ツキが「にゃ」と満足そうに喉を鳴らしながら丸くなっている。
「はい、あかねの分よ」
アリアが小さくちぎったお菓子の端っこを膝の上に置くと、待っていましたとばかりにあかねが「きゅ!」と嬉しそうに鳴いてぺろぺろと食べ始めた。ミレイアの腕の中では、ルゥが「くぅ」と満足げに喉を鳴らし、リーナの足元では、マルが「ぷぅ……ぷぷぅー」と小さくちぎってもらったお菓子を美味しそうにもぐもぐと楽しんでいた。
彼らが無自覚に街へ蒔いた小さな善意が、冬の寒さの中で、今度は街の人々からの温かな贈り物の形となって屋敷へ還ってきた。さらにその貰った果実と、新しく開拓したセレニアの小麦粉が、お屋敷の台所で合わさって、新しい日常の美味しさを生み出していく。
外の世界がどれほど制度や疑惑で動こうとも、人と人との丁寧な営みから生まれる優しさの循環だけは、この屋敷の内側をどこまでもポカポカと温め続けるのだった。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
https://suno.com/@10monoshin8
カクコムでも先行掲載しています。
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