第四話 セレニアの風、未知の市場
一歩踏み込んだ先に広がっていたのは、今まで知っていたフォルツの街とは明らかに異なる、賑やかで色彩に満ちた世界だった。
独立交易地、『セレニア自治連邦』
石造りの頑丈な建物がひしめき合う大通りの両側には、色鮮やかな布のキャノピーを広げた露店がどこまでも連なっている。行き交う人々の中には、長い耳を揺らすエルフや、背は低いが横幅のある屈強なドワーフ、そして様々な獣の耳や尾を持つ獣人たちの姿が当たり前のように混ざり合っていた。
「……すごいな。本当に色んな人がいる」
周囲の気配を警戒するために少し前を歩いていたアリアの隣で、静が珍しく足を止め、子供のように目を輝かせて周囲を見渡している。普段は屋敷で穏やかに微笑んでいるだけの彼が、今は露店に並ぶ見たこともない道具や、異国情緒あふれる品々を目で追うたびに、わずかに肩を揺らして楽しそうに息を吐いていた。
「あはは! 静、目がきらきらしてる! なんだか新鮮だね」
フィアが楽しそうに笑いながら、賑やかなおもちゃの露店を指差す。その肩の上で、ハルが「ひゅるぅ!」と周囲の賑やかさに応じるように、短い羽をパタパタと動かして鳴いた。
「無理もないわ。ここは王都とも交易ルートが違うから、並んでいる物の規格自体が違うもの。……ほら、あの織物なんて、あちらの寒冷地特有の編み方みたいね」
ミレイアが少し離れた衣類店を興味深そうに見つめ、その腕の中にいるルゥがロップイヤーの耳を小さく揺らして「くぅ」と鼻先を鳴らしている。
少し後ろを歩くリーナは、手帳を開くことも忘れ、足元で「ぷぅ、ぷぅ」と珍しい匂いに鼻を動かすマルの丸い頭をそっと撫でながら、前を歩く静の背中を見て、ふっと口元を緩めた。マルが立ち止まっては鼻先をひくひくと動かし、石畳の縁に鼻をくっつけて何かを確かめている。
「……何が気になるの、マル」
「ぷぷぅー!」
マルが得意げに一鳴きして、大通りの端に並べられた大きな木樽の方へとぽてぽてと歩み寄る。樽の蓋の隙間から、発酵したどっしりとした匂いが微かに漂っていた。
(……発酵食品の仕込み樽ね。嗅覚が鋭いわ、本当に)
リーナは手帳にそっとメモを書き留め、また静の背中へと視線を戻した。
そんな一行の中で、セリナは薄い栗色のストールをそっと押さえながら、静のすぐ隣を歩いていた。
(静様……本当に楽しそう)
セリナの胸の奥に、名前のない温かな灯りがふわりと広がる。いつも自分たちを優しく見守り、何が起きても穏やかに受け止めてくれる静。彼がこうして、新しいおもちゃを見つけた子供のように心を弾ませている姿は、セリナにとってもひどく新鮮で、そして、どうしようもないほどに愛おしかった。
「静様、あちらに珍しい果物があるみたいですよ」
「え? 本当だ、セリナ。あの青い実、なんだろう。……ちょっと見てきてもいいかな?」
「はい、行きましょう」
セリナが弾んだ声で頷くと、静は嬉しそうに歩調を速めた。二人の足元を、ツキが長い黒尾をぴんと立てて、エスコートするように機嫌よく歩いていく。
「おや、見ない顔だね。お兄さんとお姉さん、他所からお買い物かい?」
食材を扱う大きな露店の前で足を止めると、店主である恰幅の良い獣人の女性が、静の肩を叩かんばかりの勢いで声をかけてきた。その太い腕には、ふさふさとした茶色の毛並みが見える。
「あ、はい。近くに新しく道が繋がったので、ちょっと見にきました」
「へぇ、そりゃいい! ……おや、可愛いお客さんも一緒だねぇ」
店主の視線が、静の足元でじっと干し肉の棚を見上げていたツキへと落ちる。ツキは「にゃ、にゃあ」と、喉をくるると鳴らしながら、まるで挨拶をするように店主を見上げて小さく右前足を上げた。深い艶のある黒い毛並みが、秋の柔らかな光を受けてわずかに紫がかって見える。
「まぁ、なんてお利口さんなんだい! ほら、これをお食べ」
「にゃん!」
店主が笑いながら細かく刻んだ乾燥肉を一切れ差し出すと、ツキは器用にそれを咥え、嬉しそうに「にゃむ、にゃむ」と音を立てて食べ始めた。
「すみません、ありがとうございます」
「いいってことさ! で、お兄さんたちは何を探してるんだい?」
「冬のお鍋に使う、ちょっと変わった調味料とか、発酵させたものがあればと思って……」
静がそう切り出すと、店主の目がニヤリと細くなった。
「それなら、奥の『ドワーフの職人通り』に行きな。あそこの頑固親父たちが造ってる『セレニア産の醤』がある。匂いはちときついが、スープに入れると、信じられないくらい深みが出るよ」
「……醤。発酵調味料ですか」
静が小さく息を呑む。その表情には、セリナから見てもはっきりと分かるほどの『はしゃぎ』が滲み出ていた。
「セリナ、行ってみよう。スキルのものとはまた違う、この世界独自の新しい深みがあるかもしれない」
「ふふ、はい。今日の夜、さっそくお鍋で試してみましょうね」
二人がそんなやり取りをしていると、前方からがさがさと落ち葉を踏み鳴らす音が聞こえ、アリアがあかねを抱きかかえたまま戻ってきた。あかねはアリアの腕の中で「きゅ! きゅぅ!」と、何か美味しい匂いを見つけたとでも言うように、市場の奥の大きな建物を小さな前足で指差している。
「静、セリナ。ちょっと早いけど、あかねがもうお腹ペコペコみたい。この先に行列ができてる食堂があるんだけど、お昼はそこにしない?」
「あはは、あかね、さっきからずっとそっちを見てたもんね。よし、まずはご飯にしようか」
静がのんびりと笑うと、一行はあかねが指差した、大きな煙突から白い湯気を勢いよく立ち上がらせている食堂へと向かった。
◆◆◆
案内された食堂の内側は、お肉の焼ける香ばしい匂いと、様々な種族の話し声で活気に満ちていた。静たちが注文したのは、この街の人気メニューだという、大ぶりの川魚と根菜を地元の麦酒で煮込んだ豪快な煮込み料理と、焼きたての厚切りパンだ。
「……ん! これ、すごく美味しいわ」
アリアがふうふうと息を吹きかけながら、出汁のたっぷり染みた根菜を口に運び、驚いたように目を丸くする。
「本当ね。フォルツの味付けよりも、少しだけ塩気が強くて香辛料が効いているわ。冬の体にちょうどいい温まり方だわ」
ミレイアがスープを上品に口に運びながら、納得したように頷いた。フィアはすでに口いっぱいにパンを頬張っており、「ひゅるぅ」とおねだりするハルに、小さくちぎったパンの端を分けてやっている。
「やっぱり、その土地ごとの『手つき』があるんだね。屋敷の台所でも、この味を少し再現してみたくなったな」
静がスプーンを動かしながら、どこか嬉しそうに呟く。その隣で、セリナは温かいスープの器を両手で包み込みながら、静の横顔をじっと見つめていた。
(お屋敷に帰ってからも、また楽しい時間が続くのですね……)
「セリナ? どうかした? 口に合わなかったかな」
「――あ、いいえ! とても美味しいです、静様。……ただ、明日からのご飯が、もっと楽しみになってしまって」
セリナが少し照れたように微笑むと、静は「そっか」と、どこまでも穏やかに目を細めた。
◆◆◆
食事を終えた一行は、店主に教えてもらった『ドワーフの職人通り』へと足を向けた。
大通りから一本入った石畳の路地は、打って変わって静かで重厚な雰囲気が漂っていた。両側には頑丈な石造りの工房が並び、どの扉の前にも年季の入った木樽や陶器の壺が積み上げられている。独特の発酵した匂いが、路地全体にじんわりと染み込んでいた。
「ぷぅ! ぷぷぅー!」
マルがリーナの足元からぱっと離れ、一軒の工房の前に積み上げられた壺へと真っ先に駆け寄って、満足そうに前足で壺の縁を「ぽむ」と叩いた。
「……ここ、ね」
リーナがマルの判定を受けて、工房の扉を静かに見上げた。
「いらっしゃい。見慣れない顔だね」
扉の向こうから出てきたのは、白い顎鬚を豊かに蓄えた老ドワーフだった。背は低いが、その肩幅と腕の太さは、長年の職人仕事が刻んだものだと一目で分かる。
「醤を探しているんですが、試させていただいてもいいですか」
静が丁寧に頭を下げると、老職人は少しだけ目を細めてから、「……分かる目をしてるね」と短く言って奥へと引っ込んでいった。
しばらくして、小さな器に入った黒褐色の醤が差し出された。静がひと匙すくって口に含んだ瞬間、その目がゆっくりと見開かれた。
「……っ」
言葉が出なかった。
深い。ただ深い。塩気の中に甘みと複雑な旨みが幾重にも重なり合って、舌の上でゆっくりと広がっていく。静が普段使っている調味料とは明らかに違う、この世界の土と時間と職人の手が作り上げた、まったく新しい味の厚みだった。
「……これ、すごく美味しい。スキルのものとは全然違う、新しい深みがある」
珍しく、静の声が少しだけ上擦った。
横で同じように試食したセリナも「まあ……」と小さく声を上げ、それから静と顔を見合わせて、二人同時に笑い出した。
「これ、絶対お鍋に合うよ。ちょっと多めに買ってもいいですか」
「……ふん。分かる人間に売るのは悪くないね」
老職人が無愛想に言いながらも、口の端を僅かに持ち上げた。
アリアとリーナも試食して、揃って無言で深く頷いた。フィアは「うわ、なんかすごい味がする!」と率直に目を丸くし、ハルが「ひゅるぅ」と興味深そうに鼻先を器に近づけた。
「ハル、これは食べられないよ」
フィアが笑いながら器を遠ざけると、ハルは「ひゅん」と少しむくれたように一声鳴いた。
醤の他にも、静とセリナは職人通りを丁寧に歩きながら、冬に合う香辛料の調合品や、地元の豆を発酵させた珍しい調味料をいくつか見繕った。ミレイアは気になっていた寒冷地の織物を数枚買い求め、リーナはいくつかの工房の記録を手帳に書き留めた。
「ぷぅ」
帰り際、マルが最初に案内した工房の前で短く鳴いた。まるで「ここが正解だったでしょう」と言わんばかりに胸を張っている。
「……ええ。正解だったわ、マル」
リーナが小さく言って、マルの丸い頭をそっと撫でた。マルは満足そうに「ぷぷぅー」と鳴いて、リーナの足元にぴったりと寄り添った。
◆◆◆
屋敷に戻った静とセリナは、買ってきた醤と新しい香辛料を手に、早速台所へと向かった。
「まず少量だけ、お鍋のスープに足してみよう。入れすぎると味が変わりすぎるから」
「はい。私、出汁を整えておきますね」
二人が並んで鍋に向かう間、セリナはふと手を止め、「少しだけお供えをしてきてもいいですか」と静に声をかけた。
「もちろん。……今日の醤、一番に届けてあげよう」
静が小さな器に醤をほんの少しだけ掬い、温かいお茶と共にセリナに手渡した。セリナはツキを連れて礼拝堂へと向かう。ツキは「にゃ」と短く鳴いて、セリナの足元を静かについていった。
◆◆◆
その夜の食卓に並んだのは、セレニア産の醤を隠し味に加えた深みのある鍋料理と、職人通りで買ってきた香辛料を使った温かいスープだった。
最初の一口を口にした瞬間、リビングに短い沈黙が広がった。
「……なにこれ」
フィアが目を丸くして静を見る。
「美味しい、ですね。いつものお鍋と同じ材料なのに、奥行きが全然違う」
ミレイアが穏やかに言葉を選びながら、もう一口スープを口に運んだ。
「……ええ。醤の旨みが出汁と合わさって、層になってる」
リーナが静かに頷き、手帳を開こうとして、思い直してそのままスープに向き直った。今夜は記録より先に、この味をちゃんと覚えたい気持ちがあった。
「美味しいといいなと思ってたけど、想像以上だったな」
静がのんびりと笑いながら言うと、セリナが「静様が目を輝かせていたのを見て、絶対に美味しいと思っていましたよ」と穏やかに微笑んだ。
「きゅ!」
あかねがアリアの膝の上でタイミングよく鳴いた。アリアはあかねの小さな頭を撫でながら、「あんたは食べられないわよ」と言って、それでも自分の取り分からほんの小さな具材をあかねの前にそっと置いてやった。
「ぷぷぅー!」
マルがリーナの足元で得意げに鳴く。
「……マルのおかげでいい醤が見つかったのは認めてあげるわ」
リーナが静かに言って、マルの頭をそっと撫でた。マルは嬉しそうに目を細めて、リーナの足元にぴったりと丸くなった。
窓の外では、晩秋の冷たい風が屋根を揺らしていたが、醤の深みのある香りとお鍋の湯気に包まれた食卓には、新しい味との出会いをみんなで分かち合う、どこまでも温かな夜の時間が流れていた。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
https://suno.com/@10monoshin8
カクコムでも先行掲載しています。
もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578




