第四話 木漏れ日の庭、名もなき職人との出会い
秋の気配が色濃くなり始めた朝、屋敷の玄関先には、装備を整えた《ルミナ・ヴェール》の四人の姿があった。
「それじゃあ、渓谷の入り口まで送るよ」
静の言葉に、アリアが頷く。
「ええ、お願いするわ。あそこはまだ調査の初期段階だもの。拠点のすぐ近くまで送ってもらえると助かるわ」
静が転移を行うと、景色は一瞬で屋敷の庭から、黄金色の紅葉が舞う渓谷へと切り替わった。
目の前には、先日屋敷コアとの接続を行った支配エリアコアが静かに佇んでいる。
「……ふぅ、やっぱり転移って便利よね」
アリアが周囲の気配を探りながら言う。
「どういたしまして。帰る時はこの支配エリアコアに戻ったら連絡板で教えてね。迎えに来るから」
アリアたちが渓谷の奥へと足を踏み出すのを見送り、静は再び転移の光に包まれて屋敷へと戻った。
◆◆◆
屋敷で改めて準備を整えた静は、セリナを伴い、ツキ・あかね・ルゥ・ハル・マルを連れてフォルツの街へとやってきた。
今日の目的は買い出しだ。
市場で必要な食材を揃えた帰り道、静は久しぶりに街の外れの方まで足を伸ばしてみようと思い立った。
「この辺り前に来た時から少し変わった気がするね」
「そうですね。なんだか、街全体の空気が……明るくなったような気がします」
セリナが静かに答えた。
石畳の道を歩きながら、静はふと立ち止まった。
「あ」
街の外れにある、小さな共用広場。
その片隅に手入れの行き届いていない花壇があり、植えられた花々が力なく頭を垂れていた。
だがその中に、一株だけ。
見覚えのある葉の形が目に入った。
「これ……星霞草だ」
以前、静が街の店主に渡した株の一つが、誰かの手によってここへ移されたのだろう。他の花に比べて萎れ方が少ないが、それでも元気があるとは言いがたい。
「水が足りないのかな。ちょっと手伝ってあげようか」
静は持っていた水筒を取り出し、花壇の土に丁寧に水を注いだ。屋敷の井戸から汲んできた水は、どこか落ち着く澄んだ気配がする。それから膝をついて、固くなった土をそっと解していく。
「にゃ」
ツキが静の隣に来て、花壇をじっと見つめた。
「ツキ、どう思う?」
「にゃ」
短く答えて、ツキは満足そうに目を細めた。
その時、花壇の端に気づいたマルが「ぷぅ?」と鳴いてとてとてと歩み寄ってきた。土の様子を確かめるように前足でちょんちょんと叩き、また叩く。
「マルも手伝ってくれるの?」
「ぷぷぅー!」
マルは誇らしげに鳴いて、花壇の周りを一周し始めた。マルが歩いた後の土が、ほんのりとふかふかになっていく。
しばらくして、星霞草の葉がわずかに顔を上げた。昼間なのに、葉の縁がほんの少しだけ光を帯びているように見えた。
「良かった。もう少し元気になれるといいね」
◆◆◆
「……何をしてるんだ、あんた。そんな萎びた草に水をやったところで、明日には枯れるさ」
低くひび割れた声が、広場の端から飛んできた。
ベンチに腰を下ろしていたのは、白髪混じりの頑固そうな老人だった。傍らには使い込まれた大工道具の袋がある。老人は手に持った鑿を袋に戻そうとしていたが、指先が思うように動かないのか、危うく地面に落としそうになっていた。
「花が好きなので、ついつい」
静が立ち上がりながら答えると、老人はふんと鼻を鳴らした。
「道楽もんの仕事だな。花の世話より先にやることがあるだろうに」
静はその言葉を咎めるでもなく、老人の傍らに視線を移した。広場の隅に使い込まれた木製の遊具が置かれている。脚の一本が折れており、修理途中で放置されているようだった。
「あれ、直そうとしているんですか?」
「……ああ。この広場の遊具でな。子供たちが使うもんだから、ほっておけなくてな。だが最近、指がいうことを聞かなくて……」
老人の声が、少しだけ苦い色を帯びた。
その様子を隣で見ていたセリナが、そっと老職人の傍らに歩み寄った。
「指がお辛そうですね。……少しだけ、拝見してもよろしいですか?」
老人は不審そうに鼻を鳴らしたが、セリナの穏やかな微笑みに毒気を抜かれたのか、無言で節くれ立った手を差し出した。
セリナがその手にそっと自身の掌をかざすと、微かな、けれど清冽な光が老人の指先を包み込んだ。
「……あ?」
老職人が目を見開く。強張っていた指先から、不快な痺れがふっと消えていた。それどころか、内側から熱い活力が湧いてくるような感覚がある。
「これなら、お仕事も捗るかもしれませんね」
セリナが優しく微笑んで手を離すと、老人は自分の手を何度も握ったり開いたりして、驚きに固まった。
◆◆◆
その頃、広場の隅では小さな探索隊が動いていた。
あかねが広場の石畳をくんくんと嗅ぎながら歩き回り、「きゅ」と鳴いて古い井戸の方へと駆けていく。
「あかね、あまり騒いじゃダメだよ」
静が苦笑しながら声をかけるが、あかねはもう井戸の縁の前に座って「きゅ?」と首を傾げていた。
ルゥが「くぅ」と鳴いてあかねの後を追い、井戸の傍らに来ると、前足をそっと石の縁に乗せた。
深い井戸の底から、冷たく澄んだ水の気配が伝わってくる。ルゥの潤晶がほんのわずかに光を帯びた。
「くぅ」
ルゥが短く鳴いて、前足を縁から下ろした。それだけだった。
ただそれだけなのに、井戸の深いところで、何かが静かに動いたような気がした。
ツキが井戸の縁にひょいと飛び乗り、下を覗き込む。
「にゃ」
短く鳴いて、また降りた。それで十分だというように。
その様子を静が見て「みんな、井戸が気になるの?」と声をかけると、あかねが「きゅ!」と元気よく鳴いた。
「まあ、危なくないならいいか」
静は苦笑して、老職人の方へ視線を戻した。
◆◆◆
老職人はしばらく自分の手を見つめてから、ゆっくりと工具袋へ手を伸ばした。
指先が、自然に動いた。
「……おや」
老人が小さく呟く。
鑿を手に取る。握る。力を込める。以前なら鈍い痛みが走るはずの動作が、今日は滑らかに、確かに動いた。
「これなら……」
老職人は立ち上がり、折れた遊具の脚へと向かった。
木材の状態を確かめ、鑿を当て金槌を振る。
トントン、と。
小気味よい音が広場に響き始めた。
「すごいですね。さすが職人さんだ」
静が感心したように言うと、老人は照れたように顔を背けた。
「……当たり前だ。これが俺の仕事だからな」
それでも、その手は止まらなかった。
長年の経験が指先に宿り、木材を読み、正確な角度で鑿を走らせていく。
セリナはその光景を黙って見つめていた。
(……静様は花を助けただけ。でも、その周りにいる人たちの心まで、少しずつ解けていく)
老職人の横顔が、作業を続けるにつれて柔らかくなっていくのが分かった。眉間の皺が緩み、口元がわずかにほどける。
「……こういう仕事は、やっぱり好きだな」
誰に言うでもなく、老人は呟いた。
マルが「ぷぅ」と短く鳴いて、老人の足元にちょこんと座った。老人はちらりとマルを見下ろし、「なんだ、見物か」と言いながらも、その口元が緩んでいた。
◆◆◆
「そろそろ行こうか、セリナ」
静が声をかけると、セリナは「はい」と頷いた。
「職人さん、ありがとうございました。遊具が直ったら、子供たちが喜びそうですね」
静が軽く会釈すると、老人は手を止めずに短く答えた。
「……余計なお世話だったが、まあ助かった」
それが彼なりの礼だということは、静には分かった。
「またフォルツに来た時に寄りますね」
「好きにしろ」
静が微笑んで踵を返す。
あかねが「きゅ」と鳴いてその後を追い、ルゥが「くぅ」とついてくる。
マルは老人の足元から離れ際に「ぷぅ」と一声鳴き、老人はその声に思わず小さく笑った。
ツキだけが最後に振り返り、老人を一度だけ見てから「にゃ」と短く鳴くと
老人はその黒猫の目が妙に落ち着いているなと思いながら、また仕事に戻った。
◆◆◆
帰り道セリナはずっと考えていた。
(広場の空気が、変わった)
先ほどまでの、どこか重く淀んだ感じが消えている。
風が通り抜けるように、ふっと軽くなった。
振り返ると、老職人が遊具の修理を続けていた。その傍らに、通りかかった子供が一人、また一人と集まってきている。
「おじいさん、これ直るの?」
「当たり前だ。もう少し待ってろ」
子供が「やったー!」と歓声を上げる。
老職人は顔を背けていたが、その背中が心なしか嬉しそうに見えた。
(静様はただ、花が元気になるように手を貸しただけ。でも……)
セリナは静の隣に並んで歩きながら、静かに思った。
それだけで、こんなにも変わる。
「静様、今日も良い一日でしたね」
「うん、そうだね。職人さんの仕事、格好良かったな」
静はそれだけ言って、前を向いた。
自分が何かをしたとは、これっぽっちも思っていない様子だった。
セリナはその横顔を見て、小さく微笑んだ。
「……はい。本当に」
◆◆◆
静たちが去った後の広場に、小気味よい金槌の音が響き続けた。
トントン、トントン。
その音に引き寄せられるように、子供たちが集まってくる。近くを通りかかった大人も、「珍しいな、あの頑固じいさんが」と足を止める。
今日ここで起きた小さな変化の理由を誰も知らない。
広場の片隅で星霞草が、夕暮れにはまだ早い時間なのに
ほんのわずかに光を帯びていた。
その淡い光は、夕暮れ前の広場にそっと残っていた。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。
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