第三話 空白地帯の奥、黄金の紅葉
「……ねえ、アリア。最近、風がすっかり秋の匂いになってきたと思わない?」
前日の夕食後。温かいお茶で一息ついていた静が、ふと思い出したようにアリアへ問いかけた。
テーブルを囲んでいたリーナやフィアも、手元を止めて静に視線を向ける。
「そうね。朝晩は特に冷えるようになってきたわ。……それがどうしたの?」
「うん。そろそろ山の実りが美味しい季節かなと思って。冬に向けた保存食も作りたいし、どこか良さげな場所って心当たりあるかな?」
静の言葉に、アリアはニヤリと不敵に口角を上げた。
「いいタイミングね。東の方に、まだ私たちが手をつけていない山があるのよ。ちょうど明日、調査に行こうと思ってたところ。……どう、静も行ってみる?」
「東の山か……。うん、ぜひ行ってみたいな」
「決まりね! じゃあ明日は総出で行きましょう。お弁当、楽しみにしてるわよ」
フィアが元気よく手を叩き、その場の空気がパッと華やいだ。
足元では、話を聞いていたのかいないのか、マルが「ぷぷぅー!」と得意げに鳴いて、庭の方へとぽてぽてと歩き出した。
「マル、もう寝る準備?」
「ぷぅ」
短く鳴いて、マルは縁側の隅でごろりと丸くなった。
◆◆◆
翌朝。屋敷はいつものように、穏やかなルーティンから動き出した。
静は夜明けと共に畑へ向かい、露を含んだ新鮮な野菜を収穫する。セリナは静謐な空気の中で朝の祈りを捧げ、その後に二人は台所で並んで朝食と、今日のための特製弁当の準備に取り掛かった。
「静様、このサンドイッチの具材はこれで良いですか?」
「うん、それで。あとは……秋の味覚おこわも入れようか。山の中で食べると美味しいんだよね」
「楽しみですね」
セリナが微笑みながら、丁寧におこわを包んでいく。
その間にアリアたちは、探索用の装備を丁寧に点検し、幼体たちの体調を確認していた。
「きゅ!」
あかねはアリアのブーツの先に鼻先を押し当て、「早く行こう」と催促している。
「……分かった分かった。もう少し待ちなさい」
アリアが苦笑しながら、あかねの頭をそっと撫でた。
◆◆◆
「よし、準備万端! 出発しようか」
朝食を終え、各自が荷物を背負う。静にとっては、重い背嚢ではなく、中身の詰まったバスケットが今日の主役だ。
一行はまず、屋敷のコアを通じて東の境界石がある支配エリアコアへと転移した。
光が収まると、そこはすでに色づき始めた深い森の入り口だった。
「ここから先は、まだ誰も歩いていない場所よ。気をつけてね」
アリアが先頭に立ち、慣れた足取りで茂みをかき分けていく。
ハルがアリアの少し前を飛んで、気配を確かめるように耳を動かしていた。
「ひゅん」
「……大丈夫そうね」
アリアがハルの様子を確認しながら頷く。ハルが反応しないということは、警戒すべき気配がないということだ。
しばらく緩やかな斜面を登っていくと、不意に視界が開け、冷たく澄み切った空気が一行を包み込んだ。
深い渓谷を埋め尽くしているのは、鮮やかな黄金色の紅葉。
木々の隙間から差し込む陽光が、風に舞う落ち葉を金色の粒子のように照らし出し、渓流のせせらぎが心地よく響いている。
「わあ……綺麗! まるでお宝の山みたい!」
フィアが声を上げると、それに応えるように幼体たちが一斉に駆け出した。
「ぷぷぅー!」
マルが黄金の落ち葉の山を見つけると、短い足を一生懸命に動かして文字通り突撃した。ガサリ、とお尻まで葉の中に埋もれて、満足そうに「ぷぷぅー!」と鳴いている。
「あかね、待って」
アリアが声をかけるより早く、あかねは「きゅ、きゅ!」と楽しげに鳴きながら、宙を舞う落ち葉を追いかけてくるくると回り始めた。
「……やれやれ」
アリアが腕を組んで見守るが、その目は柔らかい。
ルゥは落ち葉を一枚そっと口にくわえて、不思議そうに首を傾げている。
「くぅ?」
「ルゥ、それは食べられないわよ」
ミレイアが穏やかに言うと、ルゥは「くぅ」と返してそっと葉を置いた。
「ハル、もっと飛ばして!」
「ひゅん!」
フィアに呼ばれたハルが羽ばたきで風の渦を作り、黄金の葉を高く舞い上げた。フィアが歓声を上げて葉を追いかけ、その周りを子狼型の幼体が楽しそうに旋回する。
「……フィア、一応探索中よ」
アリアが言うと、フィアは「分かってる! でもハルが楽しそうで!」と笑った。
リーナはそんな賑やかな場を少し離れた場所から眺めながら、渓谷全体の地形と植生をメモに書き留めていた。
◆◆◆
その賑やかな様子を眺めながら、静は手元のマップを確認していた。
意識の端に浮かぶ地図には、一行が歩くごとに新しい地形が書き込まれていく。
「……あ、あの辺りに何かありそうかな。反応が出てるみたいだよ」
静が渓谷の奥にある、古びた石柱の跡を指差した。
すると、肩から降りたツキが「にゃ!」と短く鳴いて、真っ先にその場所へと駆け出していく。
「あ、待ってよツキ」
静たちが追いかけると、崩れた石柱の陰でツキが「にゃ」と誇らしげに座っていた。その目の前には、埃を被りながらも微かな光を宿す結晶が鎮座している。
「やっぱり。ここにもあったんだね」
静が屈み込み、慣れた手つきで結晶に触れる。視界には『休止状態を解除しますか? はい/いいえ』という、見慣れた選択肢が表示された。
「……また、あっさりと」
アリアが呆れたように呟くと、隣のリーナが深く、そして重いため息を漏らした。
「……そうね。本来なら簡単に見つかるようなものじゃないんだけど。あの人にかかれば、散歩の途中の拾い物みたいな扱いだわ」
「あ、繋がった。これで次からは、ここへ直接来られるね」
静が「はい」を選び、気軽な口調で立ち上がると、解放されたコアから柔らかな光の波紋が渓谷全体に広がっていった。
ただでさえ澄んでいた空気が、より一層清らかに、そして屋敷の庭と同じ安心感を持つ場所に穏やかに変わっていく。
「にゃ」「ひゅん!」「きゅ!」「くぅ!」「ぷぷぅー!」
幼体たちが一斉に顔を上げ、新しいテリトリーの誕生を祝うように鳴き声を重ねた。
「みんなも気に入ったみたいで良かった」
静は、マルの頭に乗った落ち葉を優しく払ってやりながら、黄金に輝く渓谷を見渡した。
◆◆◆
一行が渓谷の奥へと進んでいくと、近くの木に蜜が溢れそうな実がなっているのが目に入った。
「あ、アリア、見て。あの木の実、すごく美味しそうだよ。冬の保存食にぴったりだ」
「……ねえリーナ。静、やっぱり探索より食材のこと考えてるわよ」
「ええ……。まあ、あの人が見つけるものは、だいたい美味しいからいいんだけどね」
アリアとリーナが顔を見合わせて苦笑する。
静は実を一つ手に取り、じっくりと観察した。
「これ、中に蜜が詰まってる感じがする。匂いも甘いし……煮詰めたら、とろとろのシロップになりそうだな」
「シロップ?」
フィアが聞き返すと、静は少し嬉しそうに続けた。
「うん。この実を煮て、液体を絞って、さらにじっくり煮詰めると、甘いシロップができるんだよ。パンに塗っても美味しいし、お菓子に使っても良いし……それから、焼いた芋に垂らしても最高だと思うんだよね」
「焼き芋に……!」
フィアの目が輝いた。
「ちょっと待って。今度作ってくれるって言ってた焼き芋に、そのシロップを垂らすの?」
「うん。甘くてとろとろになって、とても美味しいと思うよ」
「それ、絶対美味しいじゃないですか……!」
セリナが思わず声を上げた。普段は控えめなセリナの、珍しく弾んだ声に、静が少し驚いて振り返る。
「セリナも気に入りそう?」
「は、はい。……とても、楽しみです」
セリナが頬をわずかに赤らめながら答えると、ミレイアが穏やかに笑った。
「私も楽しみだわ。静アレンジって、いつも想像以上だから」
「リーナは?」
フィアが聞くと、リーナはメモを書き留めながら短く答えた。
「……聞いていないふりをしていたけれど、楽しみにしているわ」
「正直!」
フィアが笑い声を上げ、渓谷に賑やかな声が響いた。
アリアだけが腕を組んで黙っていたが、あかねが「きゅ!」と鳴いてアリアの足元をくるりと回ると、アリアは小さく口元を緩めた。
「……まあ、焼き芋とシロップは、悪くないわね」
「あはは! アリアさんも楽しみなんじゃないですか!」
「……別に」
あかねが「きゅ!」とタイミングよく鳴いた。
それがまるで「そんなことないよ」と言っているようで、また笑いが広がった。
「たくさん採っていこうか。みんなで試してみよう」
静が籠を広げると、全員が自然に集まって実を採り始めた。マルが「ぷぅ」と鳴いて木の根元の土をちょんちょんと叩く。ルゥが静の隣でちょこんと座って「くぅ」と短く鳴き、採れた実を静かに見守っていた。
◆◆◆
しばらくして、一行は渓谷の開けた場所に戻り、バスケットを広げた。
黄金の紅葉が舞う中で、静とセリナが用意した弁当が並ぶ。
秋の味覚おこわ、彩り豊かな野菜のサンドイッチ、甘酸っぱい果実のコンポート。
「わあ……! 美味しそう!!」
フィアが身を乗り出す。あかねが「きゅ!」と鳴いてアリアの隣に陣取り、マルが「ぷぷぅー!」と得意げに鳴いてからリーナの膝の前にとてとてと歩み寄った。
「マルもお腹すいたの?」
「ぷぅ」
「じゃあみんなで一緒にどうぞ」
静が笑いながら幼体たちにも取り分けてやると、渓谷に小さな食事の時間が始まる。
落ち葉が風に舞い、渓流のせせらぎが聞こえる。
黄金色の光の中で、思い思いに食事を楽しむ一行の姿は、どこか絵の中のように穏やかだった。
「来て良かったね」
静が静かに言うと、セリナが「はい」と微笑んだ。
「また来ましょうね。今度は……フォルティナさんたちも誘えたら」
「いいね。次はもっと大きな弁当を作ろうか」
「フィア、おかわりしたいって言うに決まってるから、最初から多めに作っておかないとね」
ミレイアが穏やかに笑うと、フィアが「もちろん!」と元気よく答えた。
黄金の紅葉が舞う渓谷で、新しく繋がったこの場所が、これからも大切な居場所になっていくそんな空気が、静かに満ちていた。
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